※以前にアップしていた記事を、
「長崎さるく」のカテゴリーに編入し、若干修整しました。
長崎市にある小菅修船場と蒟蒻煉瓦についてです。
小菅修船場の煉瓦の小口(一番小さい面)には、
いくつかの刻印のようなものがあります。
▼
この刻印の意味は現在でもはっきりとはわからないそうですが、
その数の多さから、窯のマークというよりは、
焼成の責任者印のようなものではないかといわれています。
最初の小菅の記事で取り上げた国際海底電線小ヶ倉陸揚庫には、
18種類以上の刻印が見つかっているそうです。
中ノ島に残る蒟蒻煉瓦にこれらと同じ刻印があるとすれば、
同じ窯の人が焼いたことになり、
その製造時期もはっきりしてくりのではないかと思いますが、
中ノ島に残る煉瓦、特に波打際に残る2つの蒟蒻煉瓦の遺構は、
長年風と潮に晒され表面が完全に削れているので、
なかなか刻印を発見するのは難しいかとも思います。
また小菅の煉瓦で気になるものが一つあります。
隣接する駐車場にぽつんと残る柱状の煉瓦の構造物です。
石壁にもたれかかるような設置のされかた、
上広がりのバランスの悪い形、
単体では用をなさなそうに見えるこの煉瓦の構造物は、
周囲を探しても他にありません。
▼
最後に蒟蒻煉瓦の製造下限に関して、
この小菅の記事の最初にふれた
『明治事物起源』に記載された明治16年(1883)の他、
明治19年(1886)の佐世保鎮守府の条例による
煉瓦企画の統一(『日本れんが紀行』)や
明治20年代の長崎造船所が三菱の経営下になった後の発展期に、
現在のサイズがに変わっっている
(『長崎製鉄所の建築用煉瓦について再検討(長崎談叢82号)』)
という記述はみつけられるものの、
いずれも確証がない記述になっています。
また、明治2年に通常サイズの煉瓦を使って造られた南洋井坑と、
そのすぐ近くにある明治20年頃造られた蒟蒻煉瓦製の擁壁に関して、
触れている記述をみつけることはできませんでした。
この小菅の記事で触れた煉瓦遺構は現在全て見学が可能です。
最初の蒟蒻煉瓦-ハルデス煉瓦-で造られた長崎造船所は既に解体され、
長崎造船所史料館内に当時の資料が展示されています。
また聖福寺の惜字亭は現在は漆喰が塗り直され、
かつて露出していた蒟蒻煉瓦を見ることはできません。
▼
■参考資料■
『日本れんが紀行』喜田信代
『日本煉瓦史の研究』水野信太郎
『赤煉瓦石考(一)』(長崎談叢47号)北岡伸夫
『蒟蒻煉瓦石考(承前)』(長崎談叢49号)北岡伸夫
『長崎製鉄所の建築用煉瓦について再検討』(長崎談叢82号)楠本寿一
『オランダ海軍将校H.Hardesとハルデス煉瓦の歴史的再評価』前田久・長谷川和洋
>中ノ島の煉瓦について1 >中ノ島の煉瓦について2
________________________________
■シリーズ:長崎さるく■
> NEXT > TOP > INDEX
「長崎さるく」のカテゴリーに編入し、若干修整しました。
長崎市にある小菅修船場と蒟蒻煉瓦についてです。
小菅修船場の煉瓦の小口(一番小さい面)には、
いくつかの刻印のようなものがあります。
▼
この刻印の意味は現在でもはっきりとはわからないそうですが、
その数の多さから、窯のマークというよりは、
焼成の責任者印のようなものではないかといわれています。
最初の小菅の記事で取り上げた国際海底電線小ヶ倉陸揚庫には、
18種類以上の刻印が見つかっているそうです。
中ノ島に残る蒟蒻煉瓦にこれらと同じ刻印があるとすれば、
同じ窯の人が焼いたことになり、
その製造時期もはっきりしてくりのではないかと思いますが、
中ノ島に残る煉瓦、特に波打際に残る2つの蒟蒻煉瓦の遺構は、
長年風と潮に晒され表面が完全に削れているので、
なかなか刻印を発見するのは難しいかとも思います。
また小菅の煉瓦で気になるものが一つあります。
隣接する駐車場にぽつんと残る柱状の煉瓦の構造物です。
石壁にもたれかかるような設置のされかた、
上広がりのバランスの悪い形、
単体では用をなさなそうに見えるこの煉瓦の構造物は、
周囲を探しても他にありません。
▼
最後に蒟蒻煉瓦の製造下限に関して、
この小菅の記事の最初にふれた
『明治事物起源』に記載された明治16年(1883)の他、
明治19年(1886)の佐世保鎮守府の条例による
煉瓦企画の統一(『日本れんが紀行』)や
明治20年代の長崎造船所が三菱の経営下になった後の発展期に、
現在のサイズがに変わっっている
(『長崎製鉄所の建築用煉瓦について再検討(長崎談叢82号)』)
という記述はみつけられるものの、
いずれも確証がない記述になっています。
また、明治2年に通常サイズの煉瓦を使って造られた南洋井坑と、
そのすぐ近くにある明治20年頃造られた蒟蒻煉瓦製の擁壁に関して、
触れている記述をみつけることはできませんでした。
この小菅の記事で触れた煉瓦遺構は現在全て見学が可能です。
最初の蒟蒻煉瓦-ハルデス煉瓦-で造られた長崎造船所は既に解体され、
長崎造船所史料館内に当時の資料が展示されています。
また聖福寺の惜字亭は現在は漆喰が塗り直され、
かつて露出していた蒟蒻煉瓦を見ることはできません。
▼
■参考資料■
『日本れんが紀行』喜田信代
『日本煉瓦史の研究』水野信太郎
『赤煉瓦石考(一)』(長崎談叢47号)北岡伸夫
『蒟蒻煉瓦石考(承前)』(長崎談叢49号)北岡伸夫
『長崎製鉄所の建築用煉瓦について再検討』(長崎談叢82号)楠本寿一
『オランダ海軍将校H.Hardesとハルデス煉瓦の歴史的再評価』前田久・長谷川和洋
>中ノ島の煉瓦について1 >中ノ島の煉瓦について2
________________________________
■シリーズ:長崎さるく■
> NEXT > TOP > INDEX
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます