テレビで「ブラタモリ高野山へ潜入」
先週・昨夜・来週と高野山をテイマパークと捉え
1200年に 弘法大師空海が開いた高野山を紹介する旅
その道に詳しい佐藤様と共に
空海は31歳で中国に渡り仏門に入り
そこの僧侶から 日本に帰り宗教を創りなさいと言われ
彼方此方散策ある時 1本の松の木が小高い山に
その松の木に3個の枝が あるのを見つけ
<三こしょう松の木>と命名し
その膨大な高野山で真言宗を開いた・・
真言密教のシンボルー町石
180町~Ⅰ町まで探しながら山道を歩く
そこ儚く仏教の世界を感じる
そこかしこに色んなお堂があり
お墓も 大名の墓・著名人の墓・名立たる会社名称の墓並び
高野山の館長(山口文章氏)が
24歳の時に書かれた 空海の出家した時の仏法の尊書を
見せていただいた 乱れる事なき勢いある字に
豪快でいて知性溢れる若い空海を想像できた
他にもいろいろな話や工夫された仕掛けのお堂など有り
一言では言い尽くせない・・
最後に 空海は現在も【生きている】と
奥之院に朝・夕に食事を運ぶ僧侶マスクして
その料理も現代風にパスタ等々あると言う
ある意味高野山はテイマパークだねと言われた
タモリさんの言葉が印象に残った
女人禁制と思っていた高野山が
身近に感じられた・・
・・・・・・
・・・
」
先週・昨夜・来週と高野山をテイマパークと捉え
1200年に 弘法大師空海が開いた高野山を紹介する旅
その道に詳しい佐藤様と共に
空海は31歳で中国に渡り仏門に入り
そこの僧侶から 日本に帰り宗教を創りなさいと言われ
彼方此方散策ある時 1本の松の木が小高い山に
その松の木に3個の枝が あるのを見つけ
<三こしょう松の木>と命名し
その膨大な高野山で真言宗を開いた・・
真言密教のシンボルー町石
180町~Ⅰ町まで探しながら山道を歩く
そこ儚く仏教の世界を感じる
そこかしこに色んなお堂があり
お墓も 大名の墓・著名人の墓・名立たる会社名称の墓並び
高野山の館長(山口文章氏)が
24歳の時に書かれた 空海の出家した時の仏法の尊書を
見せていただいた 乱れる事なき勢いある字に
豪快でいて知性溢れる若い空海を想像できた
他にもいろいろな話や工夫された仕掛けのお堂など有り
一言では言い尽くせない・・
最後に 空海は現在も【生きている】と
奥之院に朝・夕に食事を運ぶ僧侶マスクして
その料理も現代風にパスタ等々あると言う
ある意味高野山はテイマパークだねと言われた
タモリさんの言葉が印象に残った
女人禁制と思っていた高野山が
身近に感じられた・・
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