いろいろと気持ちをもっていくために、周辺の機材をそろえてみたり、
このタイミングであの人に会ったのは「そういうことなんだよ」と自分に語りかけてみたり、
こういう巡り合わせがあるということは、私も捨てたもんじゃないじゃん、とか思いながら、
そんなこんなで、ここのところ、とても楽しい毎日を送っている。
プロの技というのは、どの世界にも共通することがあるから、
全然違うジャンルの何かを見ているときに、
心と頭がざわざわして、カッチーンとハマって、気持ちよくなることもある。
そんな、週末だった。
知り合いの家族に、いわゆる「霊」が見える人がいる。
その方のお写真を拝見すると、やはり普通の人と瞳の雰囲気が違うと思う。
見えない人が「ない」と言い切るのはナンセンスで、
「あるかもしれない」くらいがちょうどいい。
なぜなら、見えてしまう人にとっては、
見えない世界があることが普通じゃないわけだから、
「見えることもあるかもしれないし、見えないこともあるかもしれない」で、バランスがとれる。
あるかもしれないし、ないかもしれないんだ。すべては。
私はよく友人から「見えそうだよね」と言われるけれど、実際に見えたことはない。
ただ、いくつか、「そうなのかな~」と思った経験はある。
例えば、「あの道は通らない方がいい」「今日は帰るべきだ」「いま違う選択をしたのは必然的だ」という
第六感みたいなものは、おそらくすべての人がもっている。
私のもその程度だ。
むかし中国に留学していた頃、私の生き霊を見た、という人がいた。
生き霊を見られると早死するという都市伝説みたいなものがあり、
友人はすごく心配してくれたのだけど、
私は確信をもって「それは母が尋ねて来たんだ」と言った。
なんとなく直観でそう思った。
私が中国語を学ぼうと思ったキッカケには、母が大きく関係していた。
だから植物状態で寝たきりの母の心が飛んで、中国の私に会いに来たのだと思った。
何と言っても、学校のお勉強はすべて母のほうができて、
大学受験のときまで母に教えてもらっていて、美術や音楽も母の方が賞をとっていて、
どう頑張っても母よりも賢くはなれない私が、
唯一、母も私も興味があって、私のほうが上へいくチャンスがあるジャンルとして、
中国語を大学で学ぶことにしたわけだった。
ちなみに漢文は、もしいま比較することができたなら、
大学で専門的に学んだ私よりも、母の方が断然読める。
あの人は、独学で「唐書」を白文で読みこなした人だったから。
私が中国語を学んでいるとなりで、母がそれを聞き流していたとしたら、
いま母の方が、中国語が話せるようになっていたかもしれないとすら思う。
その機会があったなら・・・、自慢のよう・・・で、やはり打ちのめされたのだろう。
それほど、あの人は賢すぎた。
だから、避けてきた道があった。
いろいろな人に「試してみたら?」と言われても、こわくて踏み出せなかったこと。
それにいま、取りかかろうとしている。
母が、本気で向き合ったことだ。
普通に考えても、とてもじゃないけれど、かないっこない。
でも、結果がどうであれ、それでもやってみよう。
そう思えたことだけでも、いま、本当にしあわせなんだ。
このタイミングであの人に会ったのは「そういうことなんだよ」と自分に語りかけてみたり、
こういう巡り合わせがあるということは、私も捨てたもんじゃないじゃん、とか思いながら、
そんなこんなで、ここのところ、とても楽しい毎日を送っている。
プロの技というのは、どの世界にも共通することがあるから、
全然違うジャンルの何かを見ているときに、
心と頭がざわざわして、カッチーンとハマって、気持ちよくなることもある。
そんな、週末だった。
知り合いの家族に、いわゆる「霊」が見える人がいる。
その方のお写真を拝見すると、やはり普通の人と瞳の雰囲気が違うと思う。
見えない人が「ない」と言い切るのはナンセンスで、
「あるかもしれない」くらいがちょうどいい。
なぜなら、見えてしまう人にとっては、
見えない世界があることが普通じゃないわけだから、
「見えることもあるかもしれないし、見えないこともあるかもしれない」で、バランスがとれる。
あるかもしれないし、ないかもしれないんだ。すべては。
私はよく友人から「見えそうだよね」と言われるけれど、実際に見えたことはない。
ただ、いくつか、「そうなのかな~」と思った経験はある。
例えば、「あの道は通らない方がいい」「今日は帰るべきだ」「いま違う選択をしたのは必然的だ」という
第六感みたいなものは、おそらくすべての人がもっている。
私のもその程度だ。
むかし中国に留学していた頃、私の生き霊を見た、という人がいた。
生き霊を見られると早死するという都市伝説みたいなものがあり、
友人はすごく心配してくれたのだけど、
私は確信をもって「それは母が尋ねて来たんだ」と言った。
なんとなく直観でそう思った。
私が中国語を学ぼうと思ったキッカケには、母が大きく関係していた。
だから植物状態で寝たきりの母の心が飛んで、中国の私に会いに来たのだと思った。
何と言っても、学校のお勉強はすべて母のほうができて、
大学受験のときまで母に教えてもらっていて、美術や音楽も母の方が賞をとっていて、
どう頑張っても母よりも賢くはなれない私が、
唯一、母も私も興味があって、私のほうが上へいくチャンスがあるジャンルとして、
中国語を大学で学ぶことにしたわけだった。
ちなみに漢文は、もしいま比較することができたなら、
大学で専門的に学んだ私よりも、母の方が断然読める。
あの人は、独学で「唐書」を白文で読みこなした人だったから。
私が中国語を学んでいるとなりで、母がそれを聞き流していたとしたら、
いま母の方が、中国語が話せるようになっていたかもしれないとすら思う。
その機会があったなら・・・、自慢のよう・・・で、やはり打ちのめされたのだろう。
それほど、あの人は賢すぎた。
だから、避けてきた道があった。
いろいろな人に「試してみたら?」と言われても、こわくて踏み出せなかったこと。
それにいま、取りかかろうとしている。
母が、本気で向き合ったことだ。
普通に考えても、とてもじゃないけれど、かないっこない。
でも、結果がどうであれ、それでもやってみよう。
そう思えたことだけでも、いま、本当にしあわせなんだ。