久しぶりに22時まで会社で仕事をして、
日付が変わろうとしているいま、夕飯を食べる。
なんだか・・・、笑えてくる。
本当に、人、物、仕事、金の関係は、個人がどうかできるものではない。
やりがい、名声なども加えると、もうそれはカオスの世界。
振り回されるのがバカらしい、というのではなくて、
自分にはどうしようもない余地というか、
手が届かない部分があることを「喜んで」、
だから救われるんだと思えればいいと思う。
ここのところ数日、
もうすでにたくさんお金をもっているくせに、
他人の財産で相撲をとって、もっと儲けようとしている人を何人か見た。
せめて自分の財産で勝負してほしい。
特に、著作権を作家の没後50年、遺族が保有するのは長過ぎる。
5年で、その作品をどのように扱ってほしいのか指針を示し、
6年目以降は、それを監視するだけになればいい。
親や配偶者の遺した作品で少しでも儲けようとする人たちは、
「作品のイメージを保つため」と言い張るのだけど、
作品イメージを一番傷つけていると思う。
作家が無欲だからこそ生まれるいい作品と言うのもあって、
そういう作品を多く遺した人に限って、
子孫が、がめつい、というのは、これはどういうカラクリなのだろう。
ある意味、裏方に徹した両親でよかったと思う。
日付が変わろうとしているいま、夕飯を食べる。
なんだか・・・、笑えてくる。
本当に、人、物、仕事、金の関係は、個人がどうかできるものではない。
やりがい、名声なども加えると、もうそれはカオスの世界。
振り回されるのがバカらしい、というのではなくて、
自分にはどうしようもない余地というか、
手が届かない部分があることを「喜んで」、
だから救われるんだと思えればいいと思う。
ここのところ数日、
もうすでにたくさんお金をもっているくせに、
他人の財産で相撲をとって、もっと儲けようとしている人を何人か見た。
せめて自分の財産で勝負してほしい。
特に、著作権を作家の没後50年、遺族が保有するのは長過ぎる。
5年で、その作品をどのように扱ってほしいのか指針を示し、
6年目以降は、それを監視するだけになればいい。
親や配偶者の遺した作品で少しでも儲けようとする人たちは、
「作品のイメージを保つため」と言い張るのだけど、
作品イメージを一番傷つけていると思う。
作家が無欲だからこそ生まれるいい作品と言うのもあって、
そういう作品を多く遺した人に限って、
子孫が、がめつい、というのは、これはどういうカラクリなのだろう。
ある意味、裏方に徹した両親でよかったと思う。