ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

難題

2012-05-01 20:04:42 | Weblog
この3連休、ちょうどよく具合が悪くなり、
出掛けられなくなった、という気分にさせてくれた本。
『吸血鬼と精神分析』(笠井潔著、光文社刊)

春節の休みに帰国したおりに、上海に持ってきた本だったけど、
「一気に読みたい、でも800ページくらいある」とタイミングをはかっていた。

『オイディプス症候群』から物語が続いているようなのだけど、
読んだのは数年前だし、象徴的なシーン以外は少し記憶も薄れてる。
今回は精神分析に関係があったから、
むか~しに読んだジャック・ラカンの本の内容とか、
あれこれ、いろいろと思い出しながら、でも一気に読んだ。

相変わらずの読み応え。
『青銅の悲劇 瀕死の王 』は、私にはツボがわからず、少し辛かっただけに、
今回は「スッキリしない部分もあるけど、よかった~!」という内容だった。
スッキリしない部分というのは、
周辺知識を補ってから読むと、少しずつ納得がいったりすることなので、
やっぱりもう一度、ジャック・ラカンにトライかなあ、と思う。

読書による想いは、ぐるぐると螺旋を描きながら、染み込んでゆくもの。
学校の教科書のように、何年生のときに読んだ、と、一方向に進むものではない。
一度に理解しきれないことや、そのときには表層にあらわれることのない感情が
あるとき、ふわりと訪れて、雲のようにかたちをかえ、流れて行くもの。
そして、読書を続けると、その気づきが増えて行く。
最初は難解で、まったく理解できないと思ったものであっても。

先日、上海の噴水のしずくを見つめていたとき、
このシリーズの登場人物、矢吹駆とナディアの会話を思い出した。
ああ、はやく中国語版を読んでみたいな。

いま、上海での私の人間関係は、近く、騒がしく、
私が本当に語りたいことを、同じ言語で(日本語・中国語という意味ではなく)、
沈黙を交えて語り合える関係を築くのは難しい。
これは、私の性格によることだから、上海に限らないかもしれない。

中国に自ら望んでいる日本人は、中国に興味があるからいるわけで、
西洋哲学となると、マルクスの話ができてせいぜいというところだ。
それすら、日本人からすると避けたくなる会話だろうし、
そもそも共産主義のかけらもない、というか共産主義だからこその上海という経済都市にいたら、
共産主義なんて、語るだけアホらしくなる。
そして私は、孔子、老子、孟子に、学生時代以降まったく興味がなくなっている。

それに、生活するという側面からしたら、
そんなことを考えたって、あまり意味はない。
周囲にいる生身の人間と、ちゃんと付き合えることのほうがはるかに重要だ。

でも、私には、その「付き合うこと」が難しい。