ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

読書2冊

2014-08-26 21:27:50 | Weblog
日本にいると、細胞の活動が収まって行く感じがする。
怒りも突発的な怒りではなくて、じわじわと骨身に沁みる。
いろいろと考えているんだけど、言葉としてまとまる前に、風に流されて行く感じ。

これが日本の素晴らしさであり、これじゃあ、世界で生き残れんだろうとも思う。
日本がというよりも、自分をそう思う。

日本を離れていた3年間で、やっぱり変わっていなかったのは、
東電の事故の後始末であり、アメリカ軍の基地問題であり、
いずれも私が生まれる前から発生していた「因」と、
私の命が果てた後も続くであろう「果」だ。

でも、私の中では大きな変化があって、
上海に3年住んだ間に、すごく日本が好きになって、
日本を肯定する気持ちになった。
絶えず変化を続けながら、そこにあると信じ、
しかし、その境界があいまいな日本。

『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』と『天皇と原爆』を読んだ。

1冊目の『日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』は、
タイトルから想像される内容が、現地への取材をもとにまとめられている。
それらはおおむね、私が東南アジアや台湾で感じたのと同じ感情で、中国・韓国とは全然違う。
いろいろなエピソードとともに語られていて、こんな取材旅行に行ってみたいものだ。

だからといって、中国や韓国の反応が間違っている、
みんな政府に操作されているんだ、と紋切り型に言いたいのではなくて、
大東亜戦争にはいろいろな側面があったのだ。

『天皇と原爆』は、アメリカと日本の戦争が、
世界史の中で起きた必然的な宗教戦争だというもので、
アメリカの独立戦争や当時のヨーロッパ情況など、多面的な話が展開された。

私の両親は、どちらかというと左寄りの本をよく読んでいたけれど、
実際のところは右寄りだった、というか、天皇を中心とする日本のありかたを、
理屈ではなく、心で肯定していた人たちだと改めて思う。

そして、先住民を殺しまくったアメリカの開拓者精神を忌み嫌い、
原爆と空襲の非人道性、その延長の基地問題を日本の恥としながら、
でも、共産主義のほうがもっと無理なんだ、
ロシア人は卑怯でいまでも敵国、と反発しながら、
アメリカの映画を好んで見に行き、ドストエフスキーの小説について
朝まで飽くことなく語り合える人たちであった。

そして、私もそんな感じだ。
一面だけを見て、好きか嫌いか、正か誤かを語ってもしょうがない。

それにしても、いまの皇居の森のところに、
むかしは江戸城が建っていたのかと思うと、なんとも不思議な気持ちになる。