まだ久米さんがキャスターをつとめていた頃のニュースステーションを見ていたら、急にものすごい恐怖感が襲って来た事があります。
明日突然私がいなくなっても、この番組は何も変わらず今みたいに放送されていくのだなと思うとなんともいえない気持ちになりました。
死んだら本当にどうなるの。
どこにいくのでしょう。
いろいろな説明の仕方があるけれど、死ぬ瞬間にほんの少し重さが軽くなるという玄侑宗久さんのお話は、興味深いものがありました。減ったのは魂分の体重というわけ。
魂にあたるなんらかの物質が存在しているということですね。
物理学的にも説明できるそうなのだけど、完全理解は難しい・・。
ただただ不思議なのは、昨日までそこにいて確かに存在していた人や動物が目の前からいなくなること。
そして、それを悲しみ嘆きはしても、「死」によっていなくなったことをだれも不可解だとは思わないこと。
亡くなる三日前に電話でお話した方の訃報。
その驚きと悲しみは、ご高齢でご病気がちだったいうこともあってか、一週間過ぎた今ではもはや日常にまぎれこんでしまっています。悲しみを引きずりすぎない対処の仕方は、薄情にも思えるけれど、気持ちを添わせすぎると何かに足元を取られるような気もします。
「日常」は、冬の湖に薄く張った氷の上を歩くようなものかもしれません。
冷たい水を想像すると、とても進んではいけないような。
明日突然私がいなくなっても、この番組は何も変わらず今みたいに放送されていくのだなと思うとなんともいえない気持ちになりました。
死んだら本当にどうなるの。
どこにいくのでしょう。
いろいろな説明の仕方があるけれど、死ぬ瞬間にほんの少し重さが軽くなるという玄侑宗久さんのお話は、興味深いものがありました。減ったのは魂分の体重というわけ。
魂にあたるなんらかの物質が存在しているということですね。
物理学的にも説明できるそうなのだけど、完全理解は難しい・・。
ただただ不思議なのは、昨日までそこにいて確かに存在していた人や動物が目の前からいなくなること。
そして、それを悲しみ嘆きはしても、「死」によっていなくなったことをだれも不可解だとは思わないこと。
亡くなる三日前に電話でお話した方の訃報。
その驚きと悲しみは、ご高齢でご病気がちだったいうこともあってか、一週間過ぎた今ではもはや日常にまぎれこんでしまっています。悲しみを引きずりすぎない対処の仕方は、薄情にも思えるけれど、気持ちを添わせすぎると何かに足元を取られるような気もします。
「日常」は、冬の湖に薄く張った氷の上を歩くようなものかもしれません。
冷たい水を想像すると、とても進んではいけないような。
ふぅ・・・気をつけろっす・・・。
ブタさんは、薄い氷の上なんか、歩いちゃ・・・ダメっすよ・・・!
おいら、心配っす・・・。
ゴリ健の座右の書 オグ・マンディーノ「十二番目の天使」
「私たちの誰もが、霊なのです。
先立った友人同様、私たちの誰もが、
永遠に続く喜びのパーティに招待されています。
でも、私たちが一緒にそこに向かうことはできないのです。
私たちは皆、自分の順番を待たなくてはなりません。
彼の椅子のほうが、私たちの椅子よりも少し早く用意されていたために、
彼は一足先にそこに向かいました。
それだけのことなのです。
ですから、あなた方や私が、ひどく悲しむ必要はないのです。
いずれ私たちも彼の後を追うのですし、
どこに行けば彼と会えるのかも分かっているのですから」
「先立った愛する者たちを思い、
悲しみに暮れたりはしないことだ。
彼らは死んではいない。
彼らはただ、われわれの誰もが歩む必要のある旅を、
歩み終えただけなのだ。
われわれもまた、いずれこの旅を終え、
彼らが集合している場所に向かい、
そこで再会した彼らと、再びともに生き続けることになる」
「あなたの愛する人が、今どこにいるのかを忘れないで。
あの人は、自分が今いる場所を、私たちの誰とも、
絶対に交換したくないはず」
山田風太郎「あと千回の晩飯」
未来で絶対確実視されることはほとんどないが、
地球の死滅はまちがいない事実である。
その日が来たら、人類はどうするか。
どうするかと聞かれたって、どうしようもないことだが。
唯一の逃げ道は、ほかの星に移動することだが、
いままで判明したところによれば、
何千億とも知れぬ銀河の星の中に、
生物が生きている星は一つもないらしい。
地球上に生物が発生したのは超の字を千回重ねても
追いつかない超偶然の結果だという。
それなら、地球の死滅後、生物の一匹も生きていない
暗黒の宇宙に、未来永劫にわたって、あらゆる星座が音もなく
運行しているだけの世界が来るということになる。
もっとも、そのときまで人類が生きているということはあるまい。
地球の死滅は、太陽の衰弱から来るにちがいない。
現在でさえ太陽までの距離、日光の角度によって、
地球の南極北極や四季の差などが生じるのだから、
太陽のほんのわずかな変化でも地球上の様相は一変するだろう。
いずれにしても地球に訪れる惨状は言語に絶する。
人類の滅亡まで何億世紀経過するか知らないが、
そのころの人類はいかなる状態にあり、また何億世紀かの
歴史をどんな風に学ぶのだろう。
やさしい眼を持ったメランコリックな大作家ツルゲーネフの
散文詩「対話」には、何百万年かの後、ウジ虫のような人類が
すべて死に絶えたあと、蒼空に白くそそり立つ
アルプスのユングフラウとフィンステラールホルンが、
静謐になった地上を見下ろして「これでせいせいした」と話し合う。
時間的にも空間的にも、無限につづく死の大宇宙。
来世があるとするなら、これがまちがいのない来世の姿だ。
それを空想すれば、やがて来る自分の死など、
虫一匹にもあたらない―と、考えることにする。
そりと、とが組み合わさってるんす・・・。
えへっ。
カッコ・・・いいんす・・・。
永久欠番
作詞・作曲 中島みゆき
どんな立場の人であろうと
いつかはこの世におさらばをする
たしかに順序にルールはあるけど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく 人1人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
100年前も100年後も
私がいないことでは同じ
同じことなのに
生きていたことが帳消しになるかと思えば淋しい
街は回ってゆく 人1人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く
愛した人の席がからっぽになった朝
もうだれも座らせないと
人は誓ったはず
でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまうもの
どんな記念碑(メモリアル)も 雨風にけずられて崩れ
人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
だれか思い出すだろうか
ここに生きてた私を
100億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙(そら)の掌の中
人は永久欠番
宇宙の掌の中
人は 永久欠番
ま、おいらはそりほど好きな曲でもないんすけど・・・。
>カッコ・・・いいんす・・・。
・・・でしょ。
千万言の言葉より、この歌を聴いたほうが、分かるような気がします。
女子駅伝で雨の横浜を見ました。あのゴールの倉庫街?あたりも雰囲気のあるところですね。
「青春の詩」・・・。
難しいです。