豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

花束

2006年01月31日 | Weblog
お花を贈るのってどういう状況でしょう。

お母さんの日のカーネーション。
退任される先生への感謝。
演奏者へのお礼の気持ち。
恋人へのプレゼント。


お花を贈るのって、特別な感じがするのは、何故でしょう。

そこに、尊敬がないと成り立たないプレゼントだと思うのは、私だけかな?

たとえば、娘に花を贈る父親って、あり?
私は、ちょっと疑問なのですけど。

単なる嫉妬!?

・・・・・・・かも。


ひと月

2006年01月30日 | Weblog
先月の30日にブログを開設してから、ひと月たちました。
毎日の更新を目標にしていたのに、抜けた日が二日。
二日とも、それなりに「記念日」です。
とりあえず納得。

お忙しい中、見守って下さった皆様に感謝致します。
ここに割いてくださる時間、本当に申し訳なくあり難く感じています。

日記というものに挑戦して、初めて一ヶ月を迎えることができました。
たった一ヶ月!?とおっしゃるなかれ。
最長不倒記録樹立なのです。
とても、楽しかったです。

これからも、なんとか続けて行きたいと思いますが、すこし、力を抜いてみようかな?
内容は、もうすっかり抜けているのですけど。


皆様も、どうかお気の向かれたときにお立ち寄り下さい。
身近にいらっしゃるあの方この方に、ここの時間をお返ししなくてはなりません。





化学

2006年01月29日 | Weblog
次の日は、理科の試験という日、化学を選択していた友達が「明日は、ユウキが出るといいなあ。」と言いました。
生物を選んでいた私は、「そうだね、ユウキが出るといいよね。」と答えました。

どうも、話が噛み合わない・・・。
友達はそんなあいまいな話をするタイプではない。
つまり・・。
彼女は、「有機」化学を話題にしていたのでした。
「勇気」だと思っていた私。


男性デュオ、Chemistry のコンサートに出かけてきました。
痒いところに手が届くように自在に声を操る堂珍くん。
達郎さん以来初めて、声に惚れた!と思った人です。

改めて甘い声だったんだと気が付いたバニラのような声の川畑くん。
触媒は何かわからないけど、やっぱりChemistryです。

道路まであふれた入場口への長い列に、外国人の観光客が、これはなにですか?と聞かれていました。
「Chemistryです」って答えに、「Oh,・・・Chemistry・・!?」。
ちゃんと理解してもらえたのかな。

大人になった僕らを見て!って歌ってくれたクラプトンの「CHANG THE WORLD 」が素敵でした。
ゆったり目に大切に歌ってくれました。聞き応え十分。
アンコールも入れて、全部で20曲。
体力的にも、すごいなー。
バックの演奏は、確実にサポートしてくれるのだけど、邪魔しすぎない。
二人の実力をちゃんと表現できる素晴らしいコンサートでした。
川畑くんのバースデーもあったし!
コンサートで、お誕生日をお祝いしたのは、スマコンの中居くん以来でした。
堂珍くんは、ここがふるさと(といっても、ここよりかすごーくお山の中ですけど)。
二人の人柄もあるのか、会場からどんどん突込みが入る、妙にのんびりとアットホームな雰囲気でもありました。

しかし、一曲目からのスタンディングはちょっときつかった・・。


舞台が好きよ。

2006年01月28日 | Weblog
舞台を観にいくのが好きなのですが、何故なのか?
これは、意外とまじめに考えたことがありません。

ご贔屓の役者さんの生のお姿が拝見できるという、ものすごく「ミーハーな」理由が、まず第一の答え。
も~の~す~ご~く~、かわゆいし・・・竜也くん!

それから、これは、血のなせる技というか、業というか、ご先祖様にそういう人がいたらしい。
農閑期に、田んぼに芝居小屋を作って一座を招いていたという変わり者が私の母方の祖父。
父方の祖父は、盆踊りを一晩のうちにいくつもはしごしていたお調子者。
どちらに似ても、結果は似たようなものでしょう。

そして、そうだな。
たとえば、原作者や脚本家の頭の中にしかなかった世界が、現実の世界に現れてくるという面白さを知ったから。
彼らの頭の中では、ひょっとしたら四次元の世界で構築されていた世界が、脚本という二次元の世界に翻訳され、それが生身の人間によって、舞台で三次元の世界で表現され、それを観客である私たちが、また脳内変換によって四次元の世界に復元する。
ときどき、そんな風に感じる舞台があります。
たとえば、後藤ひろひとさんの描く世界。

彼の頭にあったときとは全く別の世界が、私の頭の中に再構築されているかもしれない。
その可能性は大なのですが、チケットを買い、時間のやりくりをして劇場に足を運び、そこで獲得したものだから、私の好きにしてもいいでしょう。

そういうのも、面白いなって最近感じています。





作品(1)

2006年01月27日 | Weblog
次女の竜子は、絵を描いたり、工作が大好き。

これは、きっとお父さんのお蔭。

虎子と竜子は、小さい頃、ほとんど毎週、市の子ども科学館の工作教室に出かけていました。
材料費の30円握り締めていくと、ボランティアの先生からいろんな工作を教えてもらえます。
一番最初に作ったのが、廃材を利用したカスタネット。
うまく上下の板が合わさらなくて、音が出なかったね・・。
新聞紙の怪獣や、張子の虎、ローソクやからくり人形、鬼の面、季節ごとに本当にいろいろなものを作りました。

私にまとまった時間を作ってくれるために、お父さんは、二人を連れて毎週日曜日に工作教室に向かうのでした。
一週休むと、先週はどうしたの?って係りの方から声をかけられるほどの精勤ぶりでしたね。

その結果、工作好きな女の子が二人誕生しました。

プラネタリウムや、子供向けの劇場もあって、楽しいことがいっぱいある素敵な場所でした。って、いまもあるけど。
もう、随分出かけていません。
特徴のある建物を見るたびに、あの頃を思い出します。

子ども科学館さん、お世話になりました。
今でも、竜子は粘土でスニーカーなんて作っています。
まだまだへたくそだけど・・。

でも、なにより、一生懸命子守をしてくれたお父さんに感謝です。
バックアップあってこその今の私です。

一緒に子どもを大きくしてくれるお父さんに出会えて良かったです。
娘たちも、あなたのような伴侶に出会えるようにと心から願っています。

ソウルメイト

2006年01月27日 | Weblog
ソウルメイト=魂の伴侶だそうです。

なんとなく怪しい雰囲気も漂っているものの、かなり魅力的な言葉です。
誕生日によって、それぞれのソウルメイトがいるという説に従えば、一年のうちの該当する数日に生まれた人がその人にあたるそう。

いまだかつて意識して出会えたことはありませんでしたが、このたび見つけることができました。
偶然お邪魔したブログがご縁でした。
無意識に引き合うということが、本当にあるのかもしれません。
不思議です。


一方、たまたま街で出会うと、向こうに大きな鏡があるのか?と思うような友人がいます。
お互いがお互いを自分だと認識するという変な関係です。

彼女との出会いは、小学生の頃に遡ります。
二人とも本を読むことが好きで、「ドリトル先生」や「ナルニア国物語」、そして「ポーの一族」などの面白さを共有してきました。

同じ頃結婚し、同じ頃出産し、同じように二人の娘の母となりました。
人の話を聞かないから会話が続かないと言われたという彼女ですが、私とだと際限なく話せると言います。
私もそのように感じますが、よく考えたら、お互いに自分の思うことを勝手に語っているだけなのかも。

私のいいトコ悪いトコも知り尽くしているはず。迷惑もいっぱい掛けました。
そんな彼女ですが、実は、占星術の言うところの「恋人や友人」、「力になってくれる人」、「運命の人」、「ライバル」、そして「ソウルメイト」、このいずれにも、全く、少しも、かすってもいないのです。

星の教えって、不思議以上ですね。




格言

2006年01月25日 | Weblog
昔習った格言も年を経るにしたがって、
都合よく熟成されていくようです。


厳格な英語の先生はおっしゃいました。

Do what you want to do!

でも、これ、かなり迷惑かも?

だから、最近は結局のところ、
自分がして欲しくないことは人にしないでおこうって
せめてそう心がけています。
臆病かしらね。


そして、先生はこうもおっしゃいました。

Do what you can do today!

だけど、そんなに急いでどこへ行く?
今日無理してするより、明日でいいなら明日すればいいよね。

明日は明日の風が吹きますし・・。







昨日買った本

2006年01月24日 | Weblog
小学生の頃、それはもう熱心に読んだ「ドリトル先生」シリーズ。
ドリトル先生が、目を閉じてあてずっぽうに地球儀(地図かも?)をペンで指して、そこに出かけていくというお話にわくわくしたものです。
何故か、月にまで行っちゃったけど。

目をつむって本を開いて、そこで出会った言葉に指針を得るというのは、だれしも経験のあることでしょう。
昨日、出勤途中に衝動買いした本は、そういう使い方もして欲しいと編まれたものでした。

『美しいお経』瀬戸内寂聴著。
なんだか、悟りたかったのかもしれません。

昨日のお告げは、
「しやせまし、せずやあらましと思う事は、おほやうは、せぬがよきなり」明禅法印 だって。

意味は、しようか、しないですませようかと迷うようなことは、大概しないのがよい、ということ。

なるほど、ごもっとも。

いつも、反対のことしているような、
いきなり実戦で戦っちゃう自分がいますね。

戒めとしたいけど、無理だなあ。






ごまだんご

2006年01月23日 | Weblog
ちょっと前に、ものすごくはまったお菓子があります。
「ごまだんご」

中華のデザートに出てくるのより、もう少しあっさりしています。
行きつけのパン屋さんの棚にある日突然加わっておりました。

外は黒ごま入りの餅生地。
中はつぶ餡。
生地にたぶんラードが混ぜてあって、それをオーブンで焼いた感じといえばわかるかな?

さくっとした食感とあぶらとあんこが絶妙にマッチしてて、美味しいの。
ひとつ63円。

タイミングが合わないとなかなか手に入らない人気商品でして・・。

ショーウインドーで数を確かめて、安心して入店。
でも、ちょっと油断していたら、となりのオバサマが残り全部を買い占めたってこともありました。
詰めの甘い自分に涙しました。

せっせと食べたお蔭で、最近はご無沙汰気味。
ごまだんごさん自身には何のかわりもないのだけれど。


今日は久しぶりに買ってみました。
やっぱり、美味しかったです。


大晦日の秘密

2006年01月22日 | Weblog
130坪ほどの土地に4軒の家が建ちました。
不動産屋さんの旗が翻って、販売開始。

去年の夏頃、以前あった古いおうちが壊され、分譲住宅の建設が始まりました。
なんとなく、工事の人と顔を合わせるのがおっくうで、この数ヶ月ひどく無愛想な奥さんだと思われていたみたい。

外周りの工事をする人がとても気のいい人で、朝のごみ出しに行く私に挨拶をしてくれて、この人とはかろうじて最小限の挨拶をする仲になりました。

昔ながらのいわゆる田の字造りの農家でした。
おばあさんが一人で住んでおられました。
私たちが、その前に引っ越してきた数年前は、まだしっかりしていらしたけど、だんだんと身体も思うようにならなくなり、今は専門の介護施設に入っています。

一昨年の台風の日。
その家の瓦が、粉々に砕けて飛び散りました。
そんなにひどい状態ではなかったけど、そのときにこの家の運命がきまったのかな?

そのときうちに飛んできた瓦のかけらを処分し損ねて庭の片隅に置いていました。
昔ながらの石州瓦。

クレーンが来て、あっという間に古屋を解体し、あっというまに家だった塊が運び去られ、更地が誕生しました。

私は、いつ瓦を返せばいいか、踏ん切りがつかないまま。
ゴミにするのはしのびなかったし。

で、新築なった家の外溝の工事が始まったとき、決心しました。
埋めちゃえ!

大晦日の夜、決行しました。
ガス管かな?その埋設予定地として掘ってあった穴に、ぽとぽとって落としてきたの。
今も、たぶん埋まってる。

先ごろ完成したきれいなおうち。

どんな人が買うのかな。
見学の人が玄関に靴脱いでたりすると、覗いてしまいます。





私は、組長。
入居者に、町内会への勧誘をしなくてはなりません。
できるだけ愛想良く。
いい人に見えるよう努力します。