豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

'06 夏(2)

2006年08月31日 | Weblog
えー。

実は、前回の写真の貼り付けは、どう言い訳しても手抜きですね。
単純作業で切り抜けようとするシタゴコロがありありと・・。
お怒りのパンチ!が飛んでくることを覚悟していましたが、あんら、意外と好評・・・ですか!?

そのうえ貼り付けは途中経過でありまして、パソコンで宿題をするという虎子に追われて泣き泣き席を明け渡した無念の作品なのでございます。
時系列もむちゃくちゃ。
これは整理するのも面倒なのでこのままにしておきます。ほんの数日のことですから・・。いい加減ですね。

おりしも今朝から読み始めた本の主人公は、標本室にお勤めです。いわば、これらの写真たちもこの夏の標本なのかもしれません。
ではでは紙芝居の始まり始まり・・。



上段左:京都、鈴虫寺。この山門の左に立つわらじを履いたお地蔵さんはひとつだけ願いを叶えてくださるということです。
上段中:出町柳の「ふたば」。ここで豆餅を買いました。おはぎや水無月は売り切れでした。残念!
上段右:虎子の大好物、花園饅頭の薯蕷(じょうよう)饅頭。
下段左:花火大会の夜店のいとこ同士。大きくなってもスーパーボールすくいが大大好き。
下段中:姪の羊子の札幌土産。ジンギスカン味のキャラメル。びっくりさせようと思ったらしいけど、少々のゲテモノは平気なおばちゃんなのさ。
下段右:和風ケーキ。構成内容についてさらなる探求を試みたかったのに秋まで長期のお休みなのだそう・・。

'06 夏

2006年08月29日 | Weblog
「48歳の夏」。
これが30引いて「18歳の夏」だったら、形容詞も華やかでしょうが、今年もそれなりにめくるめく夏だったような気がします。
単にめまいがしただけかもしれませんが。

いろんなところに行きましたし、いろんなこともしました。
しかし、その多くが結構いきあたりばったり。とても大人の過ごし方とはいえないですね。

貼り付ける写真をいったんプールしておく所があります。
そこを見ていると、このブログを始めた時からこれまでのことが蘇ってきます。
人は死ぬ時ときに、それまでの人生が走馬灯のように蘇るとも言いますが、同じ仕組みなのでしょうか。

記事に使うことのなかった写真を貼り付けてみました。



【写真の説明】
1段目左:ジャスミンの入浴剤。夏のはじめにジャスミンに凝っていました。きっかけは伊藤園のジャスミン茶。最近再会しました。嬉!
1段目中:ということで、ジャスミンの香り。JEAN-CHARLES BROSSEAUの「フルール オンブル ジャスミンリラ オーデトワレ」。
1段目右:ゴジ健さんちで話題になっていた?台湾バナナを買いに走りました。
2段目左:その時売られていた紫蘇の葉。ジュースにするつもりが冷蔵庫の中で干からびちゃった。
2段目中:葉っぱが消えた後、土を掘ったら出てきた球根。何だったんだろう?
2段目右:さんまじゃなくてうなぎなの。ピンボケですみません。うなぎさんと格闘していたもので・・・。
3段目左:オープンキャンパスで展示してあった作品。かえるになった王子様。平面から立体への展開。
3段目中:鉄のカブトムシ。50センチくらい。別の美大の彫刻専攻の学生さんの作品。
3段目右:叡山電鉄で電車待ち。ソーダアイスは大学で貰いました。美味しかった!
4段目左:北野天満宮の鳥居。よろしくよろしくお願いいたします。
4段目中:大宰府天満宮。よろしくよろしくお願いいたします。
4段目右:ご存知、京都タワー。ローソクの形でしたよね、たしか。
5段目左:千住博さんの講演会があった大学内の劇場。お二方は見ず知らずのお方です。うちもこんな雰囲気だったのでしょうね。
5段目中:デパートのおめざフェアで買った花園饅頭の薯蕷(じょうよう)饅頭。虎子が大好き。でも、とーってもお高いの!これで、945円。
5段目右:さる美大の去年の鉛筆デッサンの課題です。靴とか鉛筆とかもありました。クイズに答えたら頂けたんですよ。
6段目左:浪速淀川花火大会。アクティ大阪の上階から眺めた何分の一かの花火。
6段目中:8月7日の平和公園内の平和の池。水がいつもより余計にきれいでした。消えずの火「平和の灯(ひ)」がともっています。
6段目右:8月7日の原爆死没者慰霊碑付近。記念式典の献花がまだ残っていました。この日ばかりは立ち止まり手を合わせました。

モモ

2006年08月27日 | Weblog
熱湯で5秒間茹でて、すぐに氷水に20秒ほどつけると、皮がつりると剥けることがTVで紹介されていました。

トマトと同じ方法でモモも剥けるなんて知りませんでした。



すーっと本当に気持ちよく剥けました。
あっけないほど簡単です。


ある日突然難問が解決することってあるんですね。
何でしょう、この寂しさは。





ぬいちゃん

2006年08月26日 | Weblog
外国のお話の中には、ぬいぐるみをずっと抱っこしている子どもたちが出てきたりします。
その持ち主にとってはぬいぐるみは単に玩具ではなく、特別な存在であるようです。

このことは、新井素子さんのぬいぐるみに関するエッセイを読んだときに初めて納得がいきました。
ぬいぐるみ・・新井さんの言うところの「ぬいさん」は、生きているのです。
それは、その筋の人には当然の話なのでした。
その筋とは、あの筋ではなく、ぬいぐるみと会話のできる人たちのことです。

長女の虎子もそういう子どもでした。
初代のぬいさんは、うさぎ。
私が学生時代に友達からもらっていたものです。どういうわけか虎子のお気に入りとなり、物心つくまでずっとその「うさし」は彼女のそばにいました。
眠たくなると、鼻と鼻をこすりあわせてふむふむしています。
後に聞いてみると、それは一日のあれやこれやをうさしさんに報告していたとのことでした。

そばにおいているので、だんだんぬいちゃんの様子がおかしくなってきます。あちこちがぼろぼろになり、果ては分解が始まります。
とうとうどうしょうもなくなったときになんとか虎子を説得し、二代目を探しに行きました。デパートのぬいぐるみ売り場で見つけた二代目はあざらしの「みーちゃん」。
このみーちゃんにも本当にお世話になりました。
相変わらず朝な夕なに語りかけ、かたわらにはべらせていました。この二代目くんも程なく分解しはじめ、私からかなり強引な修理を施されて何度も復活しました。

どうしようもなくなったときに、やってきたのがパスタくんです。
この子は、本当に生きている犬でした。

みーちゃんはどうなったのか・・?

虎子に聞くとみーちゃんはある日パスタが来る少し前にいなくなったのだそうです。実際になくなったわけではありません。
顔がそれまでとはまったく違ったのだと。
私たちが見ていたぼろぼろのアザラシの顔は虎子には例えようもないほど愛らしく生き生きとみえていたようです。

今でも大真面目でそのときの話をする虎子です。
あくまでも実感として話してくれました。
世の中には、なにか不思議なものが見えてしまうという方もいらしゃるようですが、それと同じようなことが、起こっていたのかもしれませんね。

どうしてぬいぐるみにそこまで執着していたのか。
専門家に尋ねれば、なにか名前を付けられそうで怖いです。
虎子は自分なりに何かを克服していたのかもしれません。


もうふたつ

2006年08月25日 | Weblog
福岡はとても大きな街でした。

少し郊外にある大宰府のあたりも開けた土地で、夏の雲がたくさん浮かんでいるのが広く見渡せて気持ちが良かったです。

広島は、土地が狭いのでしょうね。
山が海に迫り、耕作するところがあまりない・・・と教えられたきたことがよくわかりました。

一時間と少し新幹線に乗るだけで、空気の違う街にいけます。
広島にいると、まったく関係のない事柄もその土地に行って見ると身に迫ってきました。
頑張れ!福岡!


こっちのほうがずっと近いから、応援しているよ!

でも、何年後?
そして、私は何歳?
とにかく元気でいなくいちゃ。

ついでに、ラーメンも載せてみます。
「一蘭」のラーメン。
豚骨スープなのだけど、いりこだしが効いていました。


何より、変わっているのはそのお席。
選挙の時の投票机のようなしきり板に囲まれた一人ずつのお席です。

味わうことに集中するためだそうです。
注文も紙に書いてお願いするシステム。
替え玉も声に出さなくていいから、頼みやすいのだそう。

博多の人って、シャイなのかな?


おまけは

2006年08月24日 | Weblog
グッズ紹介。

今回のスマコンのグッズは、トリコロールで描かれたSMAPのロゴがあしらわれた涼しそうなものでした。

大宰府から帰り、天神から地下鉄に乗り換えて唐人町で降りて歩くこと約10分。
たどり着きました、YAHOO!DOME。
まずは、グッズ売り場に直行。この時点で午後三時前。六時半からの開演に備えるにはちょっと気合が入りすぎでしょうか。
炎天下のグッズ売り場。暑いなんてものではありませんでした・・・。

 

楽しみにしていた長女の虎子が参加できなくなったので、そのお土産も含まれています。(←言い訳)
左:ペンライト・リストバンド・ハンドタオル・うちわ・ショッピングバッグ
右:うちわ二種類とヴィンテージものっぽく加工してあるキャップ

 

ペンライトのライト部分は、直径約8センチ。普段使いの懐中電灯にするには、かなり勇気の必要なデザイン。


YAHOO!DOMEに降りたった無数の星の一つです。



そして

2006年08月23日 | Weblog
これが、一応本来の目的・・・だということにしておきますね。

先日の北野天満宮に続いて、大宰府にも参っちゃた竜子と母。
SMAPの夏コンに先立って、ここまで来たからにはお参りしなくてはならないでしょう。

北野天満宮が落ち着いた感じだったのに対して、大宰府は派手!
彩色が賑やかで、同じく菅原道真公をお祀りしているとは思えないほどです。

楼門を比べてみました。左が北野天満宮。右が大宰府天満宮。


買い求めた梅も、北野は四角い箱入り。大宰府はつぼ型の透明プラスティック入り。

今回は、本殿でご祈願をしていただきました。

天神様・・。
流される前と後と、こんなに念入りにお参りして良いものでしょうか。
なんとなく過ぎたるは・・・という気もしないでもないですが。
とにかく、人事を尽くして天命を待つ心境になるように、そして相応しいところに進む選択ができますように・・。
どうかよろしくお願い致します。


お約束。焼きたての梅が枝餅を頂いて参りました。外はぱりっ。中は熱々。
お口直しの梅干付です。



その日が来た

2006年08月22日 | Weblog
本当にSMAPっていたんだね・・・。
ステージそのものの内容以前に、SMAPが実在していることを確認できたことに深く感じ入った初スマコンの姪っ子。その母である妹も初めての参加。娘の竜子は2回目。私は3回目。まだまだ極めて初心者の範囲です。
スマコンの魅力を余すところなく伝えることは到底無理ですね。

実在するSMAP。
彼らは、空想上の存在でもなんでもなく、生きてそこにある人たちです。
これは、初めて外国に旅したときの感慨とも似ています。
頭では理解していたけど、本当に存在している街だったんだ・・。

ビーバーさんにこの夏お会いしたときも同じ。
本当にいらっしゃったのね。バーチャルじゃなくて。
そして、ゴジ健さんも。
私が手にしていたシールが、ゴジ健さんのお手元にあります。
ゴジ健さんも実在していらっしゃるのね。
パソコンで繋がれた向こうには、切れば血のでる生身の人間が存在しておられたのでした。



二年ぶりのスマコンは、まずその会場の大きさにびっくり。
思えば、広島ビッグアーチは、のどかな会場でした。街から遠く離れているという立地条件だけでなく、会場そのものが牧歌的というか開放的。屋根もありませんし。
ドームというものに初めて入った私は、あまりにも大きくて立派な造りに圧倒されてしまいました。人間って、すごいことができるんだなあっという単純な驚きです。スモークが焚かれてでもいるのか、上空はうっすらとかすんでいました。何故かその中を鳩が数羽舞っています。

私たちのお席はステージを正面にするスタンド席の上段。ステージ上のSMAPメンバーは豆のように小さく見えるいわゆる豆ップの状態です。双眼鏡が必須ですが、眼が慣れてくると、結構裸眼でも誰が誰だかちゃんと見分けがつくようになります。大きなスクリーンもステージ上に設置されているので、細かい表情はそれで見ることもできました。

どんなに遠くても十分楽しめるよという筋金入りのSMAPファンの教えは正しかったと思います。ほとんど出ずっぱりの状態で汗だくに動き続けた彼らの姿は、初めてその姿に接して感銘を受けたときと同じでした。
登場の場面はいつも意表をつく演出になっているのですが、今回もそうでした。
歓声の中、ステージに降り立った彼らは、我が家のお風呂でも眼に馴染んでいる色のスーツを着て、この春から始終耳にしていた歌を歌い始めました。まったくもっていきなりです。
SMAPってどんなものだか観てやろう・・なんて人はほとんどいないと思われる期待感いっぱいの観客ですから、それはもう一気に盛り上がりました。
21日の時点ですでにリピーターも大勢いらっしゃるようでした。とにかく予習はばっちりって感じです。受け取る側もステージから発せられるものを何倍かにして返そうとする心意気に溢れています。熱気に満ち溢れた濃い空間。ステージから眼にする観客の顔は、そのどれもがうれしそうに笑っていたにちがいありません。
あの空間のエネルギーを何かで測定できるとしたら、かなりの高濃度でしょうね。

三時間半をそこで過ごしてこそ得られるものをここで伝えることは、先に申しました以上に困難です。少しでもおすそ分けできるとしたなら、ペンライトの美しさを想像して頂くことくらいでしょうか。今回のペンライトは、光る部分が握りこぶし大の大きなものでした。これが会場で何万と光っている様子は、まさにこの世のものとは思えない美しさです。アリーナからすり鉢状に上っていくなだらかな斜面に、青を基調にして、ところどころ緑や赤が点在する光が無数にきらめくさまは、本当に見事です。コンサートということを一瞬忘れて見入ってしまうほどでした。

スマコン、いいですよ。
機会があったら是非にとお勧めします。

それにしても、何が私を引きつけるのでしょう。
先日の花火を見ていたときに、この雰囲気はスマコンと似ているなあと思いました。すばらしい花火が上がったときに、自然に湧き上がる観衆の溜め息や賞賛のどよめき。それこそ瞳孔は開き、顔は惚けた様な笑顔であったにちがいありません。
圧倒的に迫ってくるものの前に、人は同じような反応をしてしまうのでしょうか。
ステージ上のSMAPは、圧倒的な輝きを放っているのです。

知らないですむならそれも幸せ。
なんだ、こんなものかと納得できればまた幸せ。
もう一度見たいなーと思ってしまったら、ウンのつきかもね。



とうとう

2006年08月20日 | Weblog
買ってしまいました。
手を出すまいと思っていたのに・・・。

最初に「奥の細道」バージョンで、こういう本の存在を知りました。
あらかじめ薄く印刷してあるお手本をなぞり、古典を読んでいくワークブックのような形式。脳の活性化にも有効ということで、人気になっているようです。
鉛筆で毎日書写することでその行程を辿り、ついには旅友達と実際にゆかりの土地を訪ねている人もいらっしゃるという話も聞きました。

それはなんとか思いとどまることができましたが、とうとう手に取ってしまったものがこれです。



やはり、なじみのあるものにひかれてしまうのでしょうか。カルタ競技として、そしてあまりに身近でありすぎるゆえに、キチンと書写し内容を吟味することも無かった気のする百人一首です。

三日坊主の我が家の日めくりカレンダーは、いまだに4月。この百人一首も、何人で頓挫するか、たいへん気にかかりますが、とりあえずは、なぞり書きを楽しんでみたいと思っています。


とうとう・・・は、もうひとつ。
明日、SMAP夏コンサートに行ってきます。

どんな人に眼がとまりますか?という質問に、中居くんほかメンバーがこたえていたのは「露出の多い服の人」。

無理ですね。
いいえ。。。。ありました。

厄落としのウン万円の福袋に入っていたあのカットソー!
着るに着れない柄と形。

明日、着てみましょうか



いつか

2006年08月19日 | Weblog
長野県の上田市にある「無言館」という美術館をいつか訪れて見たいと思っています。
戦場に赴いたまま還ることのなかった画学生の絵が収集されている美術館です。
絵は、本当にさまざまで、今までテレビで見たことのあるものは、出征前に描きおいていた地元の風景や家族の肖像などのごく穏やかなものばかりでした。特に名のある作家というわけではなく、専門家には評価されない作品がその多くを占めているのだそうです。
このごろ、映像や文字でもよく取り上げられているので、ご存知の方も多いでしょう。今日も、ここの館長さんの記事を地元紙で見つけました。さきごろ「うつくしむくらし」という本を出版されたそうです。

「うつくしむ」とは、「慈(いつく)しむ」「愛(いつく)しむ」の元になっている古語。「かわいがり、大切にいとおしみ、許す意味を含んだ美しい和言葉」なのだそう。

中で印象的だったのが「身内だけへの愛は同量の憎しみを生む」という文章でした。戦後60周年の去年は、この無言館にも反戦平和運動に携わる人たちが大挙して訪れられたのだそうです。館長さんは、それがたとえ平和に向かうものであってもその中に「熱狂がはらむ危うさ」を感じられます。
そして、それは先の「身内だけ・・」の言葉につながり、そうならない暮らしを可能にするのが芸術作品と向き合う体験のはずではないかと問われます。向き合うことで何に自分が感動するか、何が気になるのか、ひいては自分が何者かを考えるにいたるのだと。
その体験が、バラが好きな人がゆりを好きな人を否定しないことを導き、他人の価値観を認めることができて共存が可能になる。そんな暮らし方が「うつくしむくらし」であると。

空想上のきれいな考えと捨て去るにはあまりに魅力的な考え方。
ゆっくりと収集作品の一点一点をたどっていったいつかのテレビ番組を思い起こしました。どの作品にも大切なものをいつくしむ気持ちが込められていたように思います。生きた時間が凝縮されたような作品に見えました。
守るべきものが漠然としている、むしろそれすらわからないと、何に向かっていけばいいのかを問うことすらもできないような気がします。
美しいこと、心地よいこと、楽しいこと、なくしたくないことをしっかりと感じること。まずはこれを大切にすることくらいしかできない自分がいます。
積極的に何かに参加することは、その方向に力を注ぐことそのものが目的になるようでかなりためらいを感じてしまうのです。

大事なものを持っていること、そしてほかの人もそうであることを認める想像力。これを養うのに何を持ってすべきか。これも途方に暮れるばかりです。
でも、大事なものを守ろうとして戦う前に、その戦いを回避する手段を考え出そうとしなければ、あまりにも人間という動物が可哀想だと思います。