豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

念願叶って・・(後編)

2009年01月30日 | Weblog
でも、だから長年お店が続いているのかもしれません。

まずは、私が小学生だったはるか昔のお話。
小学校の正門ともう一つの門の前にそれぞれ文房具店がありました。
正門の前のお店は、O。もう一つのほうはT。それぞれ店主の苗字がそのままお店の名前として通用している小さなお店です。
Tのおばちゃんは、比較的優しくて小学生にも好意的。対して、Oのおばちゃんはひょっとして子供が大嫌いなの?というくらい小学生の狼藉に厳しく目を光らせるこわ~~~いおばちゃん。口調も態度も全てがシビア!今思い出しても、しんから怖いなあ・・・。
でも、だからといって、O商店が流行らなかったというわけでもなかったのです。むしろお客さんが多かったのは、Oの方でした。というのは、品揃えが良いから。とはいえ、綺麗な消しゴムがたくさんあったり、鉛筆の種類が豊富といった本当にたわいのないものでしたが。文房具屋さんを真剣に営んでいるという気迫は子供ながら感じ取っていたのかなとも思います。
ともかく硬貨を握りしめて、Oで登校前に買い物をすることは、ある意味勇気を振り絞って行うチャレンジでした。ですから、気に入りのものを買った満足感と達成感はかなりのものでしたね。

そんな緊張感を久々に味わったのが、ちょうど25年くらい前でした。
勤め先に頂いたお土産のおせんべいの詰め合わせがあまりにも美味しかったので、その住所を控えておいた私は、出張の折に、そのお店に駆けつけました。もう夕暮れもだいぶ過ぎていた頃。当然お店を発見すればたやすく念願のものが手に入ると思っていたのですが・・・あにはからんや、そう上手くはいかなかったのでした。
そのお店の注文システムというものを、まったく承知していなかった私は、お店のおばちゃんの前で立ち往生。けんもほろろというのはこのこと?という応対の仕方にまずびっくりしましたが、非はまず何も仕来たりを解しなかった当方にありますから、ただひたすら恐縮するのみ。遠くから・・来ています・・と泣き言を言ってみましたが通用せず。でも、結局奥から、しぶしぶ?一箱取り出してくださり手に入れることができました。本当に、あのときの事は思い出しても冷や汗です。よくぞ、分けてくださいました。感謝しております。

そのおせんべいにはそれ以来お目にかかっておりませんでしたが、ずっと心にかかっていました。だって、すごく美味しいのです。存在自体が美しく、過剰ではなく物足りなくもなく、入っているおかきの種類も驚くほど豊富で、たくさん食べても喉が渇かない。

思い立ってネットで検索してみると、やっとその注文の仕組みがわかりました。
午前中のある時間帯に予約を入れて、その日の夕方取りに行くという方式で販売されているのでした。物は試し!送ってくださいますか?と電話してみました・・・。もちろん?不可!お店に取りに行くのみです。
で、こんなことを頼めるのは彼女しかいない・・という特派員にお願いしておき、先日念願叶って手元に届いたという次第です。
25年ぶりくらいに再会したおせんべいの詰め合わせ。以前とたぶんほとんど変わっていないのではないでしょうか。これも、時代に流されない、質を確保するお店の姿勢があってこそなのでしょう。改めて感嘆し賞賛させていただきたいと思います。

ちなみに。。。
包装紙やお届け物として頂かれた方のブログの記事には、配達もされているように書かれていました。おそらく、馴染みのお客さんには非常に手厚い販売方法を取られているのではと拝察いたします。
もしかすると、興味本位で訪れる一回だけのお客さんにかかわっているより、そのエネルギーを身近なご贔屓さんへのサービスに傾けたいと言う方針なのかもしれませんね。その気持ちはよく理解できます。自分のスタイルというものをもっていらっしゃるのでしょう。けっして誰も彼もにフレンドリーなお店ではないけれど、だからこそ長年その魅力を保っていらっしゃるのかもしれません。

開封した後、その次の日にはほとんど姿を消したおせんべいたち。
美味しいものに鼻が利く虎子も大絶賛。いつも買い置きしていたいなあ・・・と不埒なことを申します。
そんな・・・やわなものじゃないのよ、このお品は!!!

145人!

2009年01月18日 | Weblog
本日???参加した某サークルの新年会。
「大新年会」と銘打ってありましたが、本当に盛大でした。
出席者145人が新年グッズを身に纏い、このご時世の中、まことにノーテンキ?ながら名古屋か・・じゃなくて、和やかなひとときを過ごして参りました。

お料理も大変美味しくて、記録するつもりが、徐々に食べることに集中し、気がついたらデザートでございました。むむむ・・・ねん。ちなみに、中抜けはお魚料理とシャーベットとお肉料理でしたね。


会費は、かなりリーズナブル。その割にはとっても素晴らしいお料理とサービスだなあと感心していたのですが・・・。
後日、会場側の手違いで、当日戴いたお料理は本当なら倍の値段のコースだったことが判明しました。
・・・・・・なんということでしょう


成人の日

2009年01月12日 | Weblog
平成21年1月12日(祝)午前5時45分。


午前6時過ぎ・・・雪が舞い始めあっという間に積もり始めました(汗!)。


午前7時赤飯完成。着付けをしてもらい、お姉ちゃんにお化粧もしてもらって、仕度も整いました。おばあちゃんのところにご挨拶。


午前10時過ぎ・・。成人式の会場に向かう道すがら。日が差し始めました。良かったぁ~。


午後1持30分過ぎ。成人式終了。


午後3時頃。雪はすっかり姿を消していましたが、いつもより重そうな雲。


午後5時30分過ぎ。広島駅はすでに夕暮れ・・。



長い一日でした。
いろいろなことに、感謝です!

初映画

2009年01月11日 | Weblog
お正月休み最後の日、先週の日曜に「K-20 怪人二十面相・伝」を観にいってきました。



年末からバタバタと過ごして、中途半端なまま雪崩れ込んだお正月休み。
それでも何か休みらしい気分を味わいたくて出かけた映画館でした。
時間帯的にこれしかなかったのですね、本当の話。
ですから、それほど期待していなかった映画でしたが(・・失礼!)、面白かった~~
金城武さんの見方が変わりました。
映画俳優!!さんでした。かっこいい
彼の出演する他の映画も観たくなりました。
いろいろ知りたくて購入したパンフレットを見て納得です。
「ALWAYS三丁目の夕日」のスタッフの作品だったのですね。
しかも、監督・脚本は佐藤嗣麻子さんという方。こんな素敵な映画を作る面々を女性監督が率いていたなんて、なんて素晴らしいのでしょう。
エンドロールには中国人スタッフの名前も次々と。この映画は、上海ロケもしていたのですね。なるほど、時代を感じさせる建物など、あれは日本ではなかったのですね・・。日本でも九州大学などで撮影が行われたようで、エキストラの欄には山口県庁の方々という文字もありました。観にいかれるのでしょうね、もちろんその方々たちは。

さて、肝心な映画ですが、金城武さんはもちろんのこといずれの俳優さんも役にぴたりとはまる絶妙な配役だと思いました。松たか子さんは、本当に松さんでなくてはと言う役だし、仲村トオルさんもまさにそうです。國村隼さんもいい味出してました。高島礼子さんのコスプレも可愛いですし・・。

ン~~~内容は、秘密ですね。
「伝」って言うところが、ミソかなあ?
ハラハラドキドキ、そして笑えて泣けてロマンチックなこの映画。
お勧めです!
新年にして、はや今年のマイベストテンにノミネートの一本。
観にいって良かった!

続編も期待していいのかな?
白い鳩が、心強い味方を得て羽ばたいている姿も見たいですしねえ。
是非!


ある展覧会

2009年01月10日 | Weblog
12日の成人式に出席するために、ついこの前寮に戻っていった竜子が帰ってきました。お正月から引き続いて留まっていれば良さそうなものですが、休み明けからテスト期間に入ったため、そうもいかなかったようです。・・・・。

ちょうど午後からの予定が空いたので、一日早く県立美術館で行われている「六角紫水」展に一緒に行くことにしました。
岡倉天心のもと、東京美術学校に集った一期生の一人。
漆工芸に生涯を捧げ、国宝を創った男と称される人物です。展覧会のフライヤーには「明治・大正・昭和を漆で塗り歩いた偉大なる”物好き”の展覧会。」と紹介されておりました。

確かに・・、塗り歩いたと言う言葉も過言ではありませんでした。
なにせ、列車まで漆で塗っちゃったのです。
そうです、いわゆる「お召し列車」ですね。
列車全体は無理ですから、その一部が分解されて展示されておりました。紫水さんは、漆を実用的な塗料と考えてもいたようです。美術工芸の枠を産業分野まで広めようとした、まことに開明的な人物でもあったようです。
慶応三年(1876年)、大政奉還のあった年に、彼は広島県の能美島で生まれました。師範学校に進み、卒業したということですから、元来優秀であったのでしょう。17歳で私塾を開き、その後日本画を学び、22歳の時に日本で最初の美術学校の開校に、先んずれば人を制す、を旨として馳せ参じたのでした。

当時の制服やそれを身に着けた学生たちの写真も展示されいました。20代の若き校長岡倉天心を始め、横山大観も並んでいます。後の菱田春草、下村観山らも同期に連なっておりました。その、制服がふるっています。
奈良時代にタイムスリップしたような装束なのです。王政復古の大号令、天皇の下に国を造っていこうとする意気込みのようなものがそうさせたのでしょうか。明治時代にあっても、洋風の生活が浸透しつつある時期には、かなり目立っていたのではないでしょうか。

後に、紫水は、昭和天皇の立太子礼の際に、天皇に献上されたという飾り棚を創ることになります。どれほどの栄誉だったのか、今想像してみる以上のものがあったに違いありません。己の道に邁進する確信を得たことでしょう。
もともと、東京美術学校は、日本の伝統的な美術・工芸を守り育てるべく設立された学校でした。紫水は、そこで初めて漆と出会います。専科に進む際に、他にだれも選ばなかったからという理由で、漆工芸の道に進むことに決めたのだそうですが、己の欲することより、求められた道を行くという選択のしかたも、国を造る気概を根底に持つ当時の若者の気持ちを察すれば納得できるのかもしれません。

会場は、その精緻な仕事にため息が出るような作品が所狭しと並べられておりました。自前の拡大鏡で覗き込む方もいらっしゃったり、みなさんなかなか熱心な鑑賞ぶりです。40客のお膳全てが柄違いという気の遠くなるような一揃いもありました。輝く茶褐色の底塗りの上に、蝶や草花が描かれた図案は、それぞれが少しずつ異なっています。お櫃に湯桶も添えられて、実用されることを想定されている一式ですが、果たしてこれが実際に使われることはあったのでしょうか。その場面はさぞかし見事なことでしょう・・。

また、日本で最初の美術館と言われる、今の東京都美術館を寄付した石炭王に、そのお礼として贈られたという記念品も興味深いものの一つでした。木製の大振りな絵本とでも形容しましょうか。その当時の各分野で高名な作家それぞれの小さな作品が40センチ四方の木のパネルに一枚ずつ綴られている形式です。コンパクトながら大変な価値があるものでしょう。依頼された芸術家たちも競作相手に負けじと、製作には苦心しただろうと想像されます。高村光雲、そしてこの六角紫水も加わっておりました。その他に加わった作家たちの詳しい名前を記したいのですが、展覧会の図録が売切れてしまっていたのでいたし方ありません。念のため聞いてみると、一時間前に完売したのだとか。むむむ・・・、惜しかったですね。

そしてもうひとつ、興味深かったのが、ある伝説!?でした
麒麟麦酒の麒麟のマークをデザインしたのは、この六角紫水さんだというのです。
確かに、それを裏付けるような意匠考案のためのノートもありました。
でも、その詳細が残されているだろう資料は、関東大震災で焼けてしまって現存しないのだそうです。ともかくも、伝統工芸の枠だけには収まりきらなかった才知溢れる人物であったのは確かなことのようです。
彼を始め、後に大家と呼ばれる芸術家をたくさん輩出した東京美術学校の当時のカリキュラムは、まず古来の名画の「模写」、実物の立体感を再現する「写生」、そしてそれを踏まえた創意工夫を試す「新案」。徹底的に基礎を叩き込み、その上に独創性を築き上げていったのでしょう。自分の持てる力の全てを注ぎ込むような学生時代の研鑽、そして仕事振りは、明治の人の気骨を感じさせるものでもありました。作品群の素晴らしさとともに、明治初期の時代の雰囲気が感じられたのも面白い展覧会だったと思います。

初夢!

2009年01月02日 | Weblog
ですよね、今朝見た夢は・・。

とある教室の最後列。
ワタクシ、司法試験を受けておりました。
しかも、隣に座っている受験生は。。。。。
麻生太郎くん。
親しげに話しているので、旧知の間柄らしいです。
問題は、とてもカラフルで、まるで(見たことはないけれど)有名幼稚園の入学試験のようです。
問題の具体的な答えがわかってしまった私は、メモを取っています・・・。
しかもその答えは、麻生くんの大きなスタンプの文字に関係があるようです。
さて・・・。
続きが思い出せません・

思い出せたら、続けますね。
とりあえず、富士山もナスも鷹も出てきませんでした・・・残念!

さあ、今から、バーゲンに出陣します!!!!
今年は、福袋は買いません。買いません。買わないつもりです。買わないだろうな。

では!!!

元旦

2009年01月01日 | Weblog
皆様、明けましておめでとうございます。
2009年が始まりました。

万事あわてず穏やかに、欲張らず、平穏に過ごして行きたいと思います。
そのためには、予めの心配りが肝心ですね。
なんとか、賢く毎日を送って行きたいものです。

と、今は殊勝に思案してみますが、走り出せばなりふりかまわない所業をご披露することになるのでしょうが、どうかあきれないで合いの手を入れていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

広島の元旦は、霜の朝でした。山はうっすら雪化粧。
竜子が暮れに植えたパンジーやプリムラも早速の冬の洗礼に身を引き締めておりました。傍らでは、今年もそっと芽をだしていました。水仙の花が見られるのはもう少し先ですね。