韓国の俳優さんによるコンボイショウ「ATOM」を観てきました。
まずは、感謝。
記憶の中に留まっていた大好きな作品が、若々しく再生されて目の前に(本当に、目の前でした)蘇ってきた喜びは何にも換えられません。
比べてはいけないけれど、礼儀正しい「ATOM」でした。
さすがに儒教のお国柄。
もうちょっと、そうね、大人の色気があったらなぁと言う贅沢な願いはおいといて、作品の伝えたいものはほぼ十分伝わっていたと思います。
ミュージカルの舞台でいうならアンサンブル、ブロードウエイの言い方ならノーバディ。そういう立場の彼らが、真夜中の詩人の会を開く。思い思いの詩集からお気に入りの詩を選んでそれを披露するという趣向です。途中で強引に仲間入りを目論む一人が乱入するのですが、彼もまたノーバディ。
コンテンポラリーともいえなくもない当て振り、パーカッションだけでのダンス、韓国の歌謡曲、アカペラ、ボレロ!、そしてリコーダー演奏。そういうものと一緒に、数本の詩が紹介されて行き、最後は玉置浩二さんの「カリント工場の煙突のうえに」で極めて叙情的なダンスを披露してエンディングへ。
オリジナル版でもたしかこれは各自が好きな詩を持ち寄ったのではなかったかな。一番人気のサムさんは、本屋さんに行って「詩集」はどこですかと聞いたら、店員さんに手芸コーナーの「刺繍」の本のところに連れて行かれた・・なんてエピソードもありました。(サムさんがわかれば、笑えるのですけどね。)
それはともかく、記憶のすみに落ちていたかけらも復元できて、本当に懐かしかったなあ。言葉は、ハングル。左右の電光板に日本語訳が出るのですが、あまりに前過ぎて見えません。しかし、ほぼ台詞は承知しているので問題なし。「無意識」って、韓国でも「むいしき」っていうみたいです。「ぽよ」って、「見える」って意味なのね・・と言葉の勉強にもなりました。
コンボイの舞台は、だれもが主役でだれもがアンサンブル。
必ず何度かは、例えばダンスのときもセンターを取ったり、一人きりで劇場を支配する時間も用意されています。ご贔屓さんの時間を楽しむのはもとより、そんな空間に生き生きと存在する彼らを見ているのがとても楽しいですね。
オリジナルメンバーの場合は、参加してきた経緯が作品に投影されているので、素の彼らと役柄が妙に交錯するのが魅力の一つでしょうか。そういうのがお嫌いでなければ。ダンスをしているときのお互いのアイコンタクトや掛け声も見所ですね。
今回の韓国バージョンは、オーディションにより選ばれたメンバーによる公演でした。しかし、単に寄せ集めたという感じはなくてそれなりのチームになっていたと思いました。もうすぐこのグループは解散するのでしょうが、どうかみなさん、それぞれに希望の道を進んでいかれますように・・。
ワールドカップのサッカーも韓国は調子いいみたい。
もしものときは、もちろん応援いたしますよ。
まずは、感謝。
記憶の中に留まっていた大好きな作品が、若々しく再生されて目の前に(本当に、目の前でした)蘇ってきた喜びは何にも換えられません。
比べてはいけないけれど、礼儀正しい「ATOM」でした。
さすがに儒教のお国柄。
もうちょっと、そうね、大人の色気があったらなぁと言う贅沢な願いはおいといて、作品の伝えたいものはほぼ十分伝わっていたと思います。
ミュージカルの舞台でいうならアンサンブル、ブロードウエイの言い方ならノーバディ。そういう立場の彼らが、真夜中の詩人の会を開く。思い思いの詩集からお気に入りの詩を選んでそれを披露するという趣向です。途中で強引に仲間入りを目論む一人が乱入するのですが、彼もまたノーバディ。
コンテンポラリーともいえなくもない当て振り、パーカッションだけでのダンス、韓国の歌謡曲、アカペラ、ボレロ!、そしてリコーダー演奏。そういうものと一緒に、数本の詩が紹介されて行き、最後は玉置浩二さんの「カリント工場の煙突のうえに」で極めて叙情的なダンスを披露してエンディングへ。
オリジナル版でもたしかこれは各自が好きな詩を持ち寄ったのではなかったかな。一番人気のサムさんは、本屋さんに行って「詩集」はどこですかと聞いたら、店員さんに手芸コーナーの「刺繍」の本のところに連れて行かれた・・なんてエピソードもありました。(サムさんがわかれば、笑えるのですけどね。)
それはともかく、記憶のすみに落ちていたかけらも復元できて、本当に懐かしかったなあ。言葉は、ハングル。左右の電光板に日本語訳が出るのですが、あまりに前過ぎて見えません。しかし、ほぼ台詞は承知しているので問題なし。「無意識」って、韓国でも「むいしき」っていうみたいです。「ぽよ」って、「見える」って意味なのね・・と言葉の勉強にもなりました。
コンボイの舞台は、だれもが主役でだれもがアンサンブル。
必ず何度かは、例えばダンスのときもセンターを取ったり、一人きりで劇場を支配する時間も用意されています。ご贔屓さんの時間を楽しむのはもとより、そんな空間に生き生きと存在する彼らを見ているのがとても楽しいですね。
オリジナルメンバーの場合は、参加してきた経緯が作品に投影されているので、素の彼らと役柄が妙に交錯するのが魅力の一つでしょうか。そういうのがお嫌いでなければ。ダンスをしているときのお互いのアイコンタクトや掛け声も見所ですね。
今回の韓国バージョンは、オーディションにより選ばれたメンバーによる公演でした。しかし、単に寄せ集めたという感じはなくてそれなりのチームになっていたと思いました。もうすぐこのグループは解散するのでしょうが、どうかみなさん、それぞれに希望の道を進んでいかれますように・・。
ワールドカップのサッカーも韓国は調子いいみたい。
もしものときは、もちろん応援いたしますよ。
載せますね。
「詩集と刺繍」
詩集のコーナーはどこですか
勇を鼓して尋ねたならば
東京堂の店員はさっさと案内してくれたのである
刺繍の本のぎっしりつまった一角へ
そこではたと気付いたことは
詩集と刺繍
音だけならばまったくおなじ
ゆえに彼は間違っていない
けれど
女が尋ねたししゅうならば
刺繍とのみ思い込んだのは
正しいか しくないか
礼を言って
見たくもない図案集など
ぱらぱらめくる羽目になり
既に詩集を探す意志は砕けた
二つのししゅうの共通点は
共にこれ
天下に隠れもなき無用の長物
さりとて絶滅も不可能のしろもの
たとえ禁止令が出たとしても
下着に刺繍するひとは絶えないだろう
言葉で何かを刺しかがらんとする者を根だやしにもできないさ
せめてもとニカッと笑って店を出る
悲劇と喜劇ってやはり表裏一体なのでしょうか。
私がご紹介したサムさんは、グループ一ダンディな方。しかし、その姿形に似合わず、のみの心臓をお持ちとかで、遠征の行き帰りはお母様・お姉さまのお見送りお出迎えを受けるという心優しい方です。
そんな彼の本質を見抜いた店員さんが「刺繍」のところに彼をご案内されたのでしょうか。その店員さんが茨木のり子さんをご案内されたなら、きっと「詩集」のところにお連れしたのではないでしょうか。
自分はどちらに案内されるか、試して見るのも面白いかもしれません。