わたしがいつもおもうこと。
それは、使えなかった機能を使えるようになることよりも、その人がその人らしい
生活ができるようにすることを常に心かげるようにしています。
例えば、90歳の方と60歳の方では、治療方針が私の場合は異なります。
前者は、使えない(例えば手がうごきにくい。とか、肩が重い)症状とどうやってつきあっていくのか。
ということを考えます。
後者の場合は、年齢的または、疾患別によって対処方法が異なるということです。
わたしは昔、たとえ90歳であっても、やはり体を楽にするには、いま残されている機能を
できるだけつかえるようにしよう。とおもっていました。
でも、それは、とても苦痛であり、そして、時にはつらい出来事でもあります。
そんなあるとき、患者様に言われたのは、私がやってほしいのは、どうやってこの痛みと付き合うのか。
そして、その痛みとうまく付き合う方法を教えてほしいといわれたのです。
よくあるのが、麻痺をされている方が歩けるようになりたい。
といっていても、それが、トイレまでいけるようになりたいのか。
それとも、外出まで歩けるようになりたいのか。
それによっても異なります。
年齢が高いほど、目標は限りなく確実に痛みとの共存共栄を意味しています。
痛み。
これは生きているからしょうがない。とおもうかもしれません。
でも、使えない機能を戻すよりも、その痛みを軽減して、どうしたら
その痛みが少なくなるのか。
という考え方のシフトを考えないといけません。
わたしもそうですが、どうしても、評価(実際にどこまできるようになったのか)
を重要視しますが、それよりも、患者様一人一人が、患者様の視点で、
患者様の評価であって、第三者の評価はいらないのかもしれません。
例えば、左手の麻痺のある方がいらっしゃったとします。
麻痺の左手が使えるようになりたい。
というまえに、どうしたら、その左手の麻痺を軽減したらいいのか
という考えになりがちですが、本来は、どうしたら、
麻痺のある左手と共存し、そのなかで、その痺れを軽減することが
できないか。という考え方にもっていかなければならないとおもいます。
リハビリは痛い。
そのなかで、すぐに固くなってしまい、痛みがでてしまうという
悪循環ではなく、痛みと共存できるようにする。
そうかんがえないといけないとおもうのです。
痛み、痺れは本人しかわかりません。
確かに、学問上では、学習しましたが、痺れ具合、痛み具合は
当事者しかわからないのです。
その辛い苦しみをどうしたら軽減できるのか。
まず、一緒に考えることも重要だとわたしはおもうのです。
とても難しい一面だということはいうまでもありません・・・・。
それは、使えなかった機能を使えるようになることよりも、その人がその人らしい
生活ができるようにすることを常に心かげるようにしています。
例えば、90歳の方と60歳の方では、治療方針が私の場合は異なります。
前者は、使えない(例えば手がうごきにくい。とか、肩が重い)症状とどうやってつきあっていくのか。
ということを考えます。
後者の場合は、年齢的または、疾患別によって対処方法が異なるということです。
わたしは昔、たとえ90歳であっても、やはり体を楽にするには、いま残されている機能を
できるだけつかえるようにしよう。とおもっていました。
でも、それは、とても苦痛であり、そして、時にはつらい出来事でもあります。
そんなあるとき、患者様に言われたのは、私がやってほしいのは、どうやってこの痛みと付き合うのか。
そして、その痛みとうまく付き合う方法を教えてほしいといわれたのです。
よくあるのが、麻痺をされている方が歩けるようになりたい。
といっていても、それが、トイレまでいけるようになりたいのか。
それとも、外出まで歩けるようになりたいのか。
それによっても異なります。
年齢が高いほど、目標は限りなく確実に痛みとの共存共栄を意味しています。
痛み。
これは生きているからしょうがない。とおもうかもしれません。
でも、使えない機能を戻すよりも、その痛みを軽減して、どうしたら
その痛みが少なくなるのか。
という考え方のシフトを考えないといけません。
わたしもそうですが、どうしても、評価(実際にどこまできるようになったのか)
を重要視しますが、それよりも、患者様一人一人が、患者様の視点で、
患者様の評価であって、第三者の評価はいらないのかもしれません。
例えば、左手の麻痺のある方がいらっしゃったとします。
麻痺の左手が使えるようになりたい。
というまえに、どうしたら、その左手の麻痺を軽減したらいいのか
という考えになりがちですが、本来は、どうしたら、
麻痺のある左手と共存し、そのなかで、その痺れを軽減することが
できないか。という考え方にもっていかなければならないとおもいます。
リハビリは痛い。
そのなかで、すぐに固くなってしまい、痛みがでてしまうという
悪循環ではなく、痛みと共存できるようにする。
そうかんがえないといけないとおもうのです。
痛み、痺れは本人しかわかりません。
確かに、学問上では、学習しましたが、痺れ具合、痛み具合は
当事者しかわからないのです。
その辛い苦しみをどうしたら軽減できるのか。
まず、一緒に考えることも重要だとわたしはおもうのです。
とても難しい一面だということはいうまでもありません・・・・。