往診専門の治療師(さとはま)のきまぐれブログ! (注)治療事例や中医学的なことは書きません。ごめんなさい。

往診専門の施術家としての悩み、苦しみ、時にはちょっと考えたことなどをつぶやいています。
不定期更新。きまぐれブログ!

源さん・・・

2016年06月15日 08時23分12秒 | 雑感

源さん(仮)という60代だろうか。

この源さん、いろんな人生観をもっているひとで、今は、生活保護を受給している。

彼と話していると、自分の人生観を考えさせられることが多くある。

彼は、20代に鳶になり、30代で体を壊し、働けないからだに・・・

40代になって、ホームレスをしていたが、路上に倒れ、それからは生活保護になったという。

名古屋には、栄という歓楽街があるが、そこの公園に倒れていたという。


病院にはいっても、入院費も生活費もなく、どうしたらいいのか。

それはそれは、途中で逃げようとおもったこともあるらしい。

そんなときに、助けてくれたのは、病院にいる看護師さんだったらしい。


かのじょが役所まで助けを求めに、手伝ってくれ、そして、なんとか生活保護を

受給できたというのだ。

生活保護は確かにもらっている人は楽じゃない。

働くなくてもいいんだから。

そう思う人もいるだろう。

でも、実際には、結構、自分を追い詰めるひとも多いのが現実。

ただ生きているだけ。というひともいる。



パチンコ三昧というひとをわたしはみたことがない。
(もしかしたら、いるのかもしれないけど)

そんな源さんが、脳こうそくになったのが、3年前。

何とか助かったけど、麻痺になり、動くことままならない。

自分の今までの罰があったという。


そうなんだろうか。

そうなんだろうか。

なんて、わたしが言葉をかけてよいのか

わからない。


ただ、きくだけで、ただ話をきくだけしかなかった。

施術というと、痛みをとるというよりも、固くならないように

することしかやっていない。


彼がそれでいいといったからだ。

確かに、医療扶助で、申請をしたら、無料で施術はできる。

(申請などは簡単だが、私たち施術側はいろいろと書類を書くのが大変)

でも、かれはいう。


いかされたのだから、いきなきゃね。

そうおもいながら、施術は終了した。(だいた治る見込みがない場合3年で終了。)



こんな制度何故あるのか。

とおもったことがある。

税金だからしょうがないけど、3年て。

まあ、そんなことをいってもしょうがない。


彼が今、どうなっているのか。

生きているのか。亡くなっているのか。

知るすべを私は知らない・・・・。

他人と共存共栄する難しさ

2016年06月01日 07時54分50秒 | 雑感
チーム医療っていうのは、言葉では、かっこいいかもしれない。

でも、実際にやっていると、様々な障壁がある。

また、仕事が難易度が上がれば上がるほど、各自の自己意識も高い。

時には、衝突もある。

悲しいけれど、時には、それが人間関係にまで衝突してしまうことがある。

どこかで妥協をしなければならない。

それをどこにするのか。

最終的判断は、決して統括さんでもなく、医師でもなく、患者様本人だと

わたしはおもう。

ときとして、家族が変わって代弁するかもしれない。

しかし、それが本当に患者様本位のコメントなんだろうか。

そう考えるようになった。

ただ、残存的機能を治すだけでいいとか、あんまやさんが何を言う。

と思われることもあるかもしれない。

わたしは、医療的な上下関係よりも、患者様が何をしたいのか。

何をやりたいのか。

それを重要視すべきだとおもう。

15日のブログではないけれど、その人がその人らしさはそれぞれ違う。

たとえ、脳こうそくになったとしても、そのひとがなにをしたいのかで、

リハビリプログラムは異なるとわたしはおもう。

そこには、マニュアルや、テキストなどの学問的な一方的な

ものではなく、そのひとにあったやり方を模索しないといけない

そこに、難しさとこの仕事(訪問特有の仕事だとおもう)の醍醐味だと

おもう。


たぶん、治療院を立てなくていいから、楽ね。

といわれるかもしれないし、そうおもわれるかもしれない。

でも、わたしはそれだけではなく、そのひとがその人らしさを追求するには

そのひとがやりたすいところでやるべきだとおもう。


そう考えると、自宅だとおもっている。

在宅=居宅ともいう。


それがニーズだから。

それが当たり前だから。

というのではなく、その人がやりたいことを話してもらえる環境作りこそが

一番重要だとおもう。


施術をするのは、私たち、専門的知識をもったもの。


でも、それを継続しようとおもうのは、患者様ご本人。

だからこそ、患者様がやりたいことを一緒に考える。

そこに共存共栄の難しさがあるとおもう。


ときには、厳しく、時には優しく接する。

甘えるというのではなく、支えるということを目指して・・・。