私は、患者様との関係は、
先生というひともいれば、
治してくれる人という概念の人も多い。
しかし、しょせん赤の他人である。
でも、赤の他人だからこそ、そのひとのことを真剣にみることがある。
とはいえ、もし、患者様に何か命の危険性があったら、わたしは
恩師がいったように、何が何でも、そのひとを守る義務がある。
といって、患者様のことを考えることがある。
私が、盲学校時代に、教えてもらった医師がいる。
そのひとに、「あなたたちは、ファーストコンタクトなのだから、
絶対に、何か兆候があったら、すぐに主治医に連絡することを忘れてはいけない。」
そのために、基礎医学を学んでいるのだから。
決して、病名を診断するのではなく、あくまで、命にかかわるか否かを見極めることを
忘れないように、といわれたことがある。
そんなことをおもいながら、いつも仕事をしている。
そんなとき、いつものように、往診しているお宅から、sosがはいった。
明らかに調子がおかしい。
そんなとき、わたしはためらず、救急車を呼ぶ
それは、命があぶないと思ったら、なにがなんでもよぶ。
しかし、そのときは、ちょうど、日曜日で、いつもお会いしたことのない
ご家族の方がいらっしゃった。
そんなとき、わたしは救急車を手配を頼んだ。
しかし、その家族の方は、赤の他人に何がわかる。
といって、拒否された。
もちろん、その家族の方は、医学的なお仕事をされていない。
こういうとき、あなたならどうするだろうか。
わたしは、命が危ないと思ったら、私が判断して
救急車を呼ぶことにしている。
結果、よび、そして、脳こうそくということがわかり、
緊急入院となった。
あと、数時間遅れていたら。。
ということだった。
このとき、家族の方のことをいっていることを第一優先にすべきなのか。
それとも、主治医に連絡するのか。
それとも、ケアマネに連絡するのか。
わたしは、最初に救急車、そのご、ケアマネ、主治医という順に
対応した。
ただ、家族の方の赤の他人が何をする。
という言葉をきいたとき、ふと、この方はどうしたかったのだろう。
ちなみに、この方と、ほかの家族の方の関係は、この件をもとに、ぎくしゃくし
家族崩壊にまで発展した。
わたしは、医師ではない。
わたしに、最終的判断をもってはいない。
けれど、命というものが判断されたときは、全責任をおってでも
わたしは助ける。
わたしは、赤の他人である。
しかし、赤の他人でしかできないことがあることをわたしは
わすれてはいけないとおもう。