今日から8月。
そのまえに、相模原で起きた事件が記憶に新しい。
あんな卑劣な事件が起きてしまったことに対し、
わたしも視覚障碍者なので、ふと、あのような出来事
に出くわしたとき、何ができるのか。
考えた。
何もできないとおもうし、また、とても悲しいというか、
重度心身障害者はお荷物だ。
だから、亡くなった方がいい。という考え方に
とても悲しく、かつ、この容疑者の生育歴はどんなもんだった
のか。ふと、考えされられた。
教職までとって、たぶん、いろんないみで紆余曲折があったに違いない。
でも、どんなひとでも、紆余曲折あったとおもう。
また、障害を持った人、たとえ、意思疎通がなかったとしても、
たぶん、自分の生きている価値はなんだろう?とおもいながら、
日々自問自動しているにちがいない。
だからといって、命をそまつにするものではないとおもうし、
誰もその人の命を阻止することはできないとおもう。
わたしのところにも、たくさん、生きている価値ってあるのか。
と言われる方もいる。
例えば、末期がんで、例えば、脳こうそくになって、今まで
できたことができなくなってしまって・・・。
そういう方にわたしはいつもはなすことがある。
それは、どんな人にも、生きていることの価値があるということ。
そして、生きることで、誰かのやくにたっているということ。
どんなひとにも・・・。
今のこの世の中は、不安定で、五体満足であっても、
生きづらい世の中。
そのなかで、どういきるのか。
試行錯誤。
それは、健常者も障害者もおなじ。
だからこそ、
いきる価値があるということ。
その命を全うしなければならないとわたしはおもう。
確かに、末期の患者様で、痛みがつらく、どうしてなんだろう?
とおもうこともある。
でも、どんなひともに、いきる価値があるから生かされるということ。
どんなひとにも、自分から命を絶っても行けないし、命を取られることは
いけないとおもう。
でも、このような事件がおきると、何故、その様な事件があるのだろう。
とおもうことがある。
容疑者は、確かに精神疾患があったことはわかる。
でも、判別はわかるのだから、私個人としては、きちんと裁判をうけて
適切に矯正すべきだとおもう。
とはいえ、このような
事件を起こした者に対して、
どのような矯正方法があるのか。
わたしにはわからない。
以前、精神科領域に携わったものとして、
精神疾患を元に審議免除ということだけは
やめてほしいとおもう。
きちんと人間として、法のもとに、きちんと
裁かれてほしいとおもうことしか
私には考えられない・・・。
すこし、暗くなってしまったので、
8月の話題を・・・
話題はかわりますが、さいきん、
あちらこちらで、食中毒が・・・。
ということが毎年いわれています。
(今年も多少なりとも言われています。)
ならべく、加熱や殺菌が大切。
生のものをたべるときには、きをつけないと・・・。
そうそう、おにぎりでも、食中毒はおきますよね。
おにぎりを素手で・・
というひともいるかもしれませんが、これはきけん。
ラップなどにくるんでやると効果的。
じめじめにならないように注意したいとおもう
せめて、ココロだけでもじめじめにならないように
したいと切に思う次第です。