よく、患者様や同業者の先生、いや、後輩のこれから鍼灸師(マッサージもふくめ)になるかた
から、先生は、10年もこの業界におられてすごいですね。
といわれることがある。
この仕事が好きですから・・・、とか、この職が天職ですから・・。
ということも社交辞令でいうこともあるけれど、実際はそんなものではない。
本音はこうだ。
これしかやることがないからねぇ・・・。
これだけ、盲学校にいって、眼がみにくくなり、前職で仕事が続けられなくなってしまった
から、この職業についただけ。
ただそれだけ、ただ、せっかくこの職についたのだから、どっぷり、東洋医学を勉強して
せっかくの第二の人生、悔いのないようにがんばりたい。
ただ、それだけ。
障碍者が、晴眼者の先生と同じ土俵にたったって、所詮ハンデはあるとおもう。
わたしの個人的な考え。
だってさ。
目の見える先生と見えない先生。
鍼をはじめてやる方だったら、どちらが、不安にならないだろうか。
たぶん、眼がみえる先生にいやってほしいとおもう。
でもね。
体験したからわかるけど、目の見えない先生のほうが実際は鍼はうまい
ような気がする。
なんか、気をうまくつかうというか。
わたしが通っていた全盲の先生はとにかく、厳しい先生で
いまでも、たまに夢にでる。
及第点をとってさ。
先生にそれで臨床がつとまるかといわれ、経路経穴がきらいでさ。
本当に精神的にも参ったっけ。
でもね、そのおかげで、経穴がすきになったし、
そのせんせいのおかげで、今があるんだよね。
一生勉強だよと。
もう一度あの頃にもどりたいのかといわれれば、それはいや。
だってさ。
本当に、全盲の先生の試験は、いやだった。
うそいつわりのない、実地体験。
取穴もきびしかったっけ。
もちろん、臨床もね。
たまに、うなされるのさ。
いまでも、定期試験のことを。
そうおもうと、盲学校を卒業してよかったような・・・。
どうなんだろう。
いまはなつかしい、あのころ。
あれから、もう十年以上が過ぎる・・・。
はやいもんだな。
あの先生にあったら、いまの私の技術はなんていわれるのだろう。
まだまだだな。
といわれるにちがいない。
あの領域にいつになったら達するのだろうか。
その日が来るまで日々しょうじんするしかないな・・・。
から、先生は、10年もこの業界におられてすごいですね。
といわれることがある。
この仕事が好きですから・・・、とか、この職が天職ですから・・。
ということも社交辞令でいうこともあるけれど、実際はそんなものではない。
本音はこうだ。
これしかやることがないからねぇ・・・。
これだけ、盲学校にいって、眼がみにくくなり、前職で仕事が続けられなくなってしまった
から、この職業についただけ。
ただそれだけ、ただ、せっかくこの職についたのだから、どっぷり、東洋医学を勉強して
せっかくの第二の人生、悔いのないようにがんばりたい。
ただ、それだけ。
障碍者が、晴眼者の先生と同じ土俵にたったって、所詮ハンデはあるとおもう。
わたしの個人的な考え。
だってさ。
目の見える先生と見えない先生。
鍼をはじめてやる方だったら、どちらが、不安にならないだろうか。
たぶん、眼がみえる先生にいやってほしいとおもう。
でもね。
体験したからわかるけど、目の見えない先生のほうが実際は鍼はうまい
ような気がする。
なんか、気をうまくつかうというか。
わたしが通っていた全盲の先生はとにかく、厳しい先生で
いまでも、たまに夢にでる。
及第点をとってさ。
先生にそれで臨床がつとまるかといわれ、経路経穴がきらいでさ。
本当に精神的にも参ったっけ。
でもね、そのおかげで、経穴がすきになったし、
そのせんせいのおかげで、今があるんだよね。
一生勉強だよと。
もう一度あの頃にもどりたいのかといわれれば、それはいや。
だってさ。
本当に、全盲の先生の試験は、いやだった。
うそいつわりのない、実地体験。
取穴もきびしかったっけ。
もちろん、臨床もね。
たまに、うなされるのさ。
いまでも、定期試験のことを。
そうおもうと、盲学校を卒業してよかったような・・・。
どうなんだろう。
いまはなつかしい、あのころ。
あれから、もう十年以上が過ぎる・・・。
はやいもんだな。
あの先生にあったら、いまの私の技術はなんていわれるのだろう。
まだまだだな。
といわれるにちがいない。
あの領域にいつになったら達するのだろうか。
その日が来るまで日々しょうじんするしかないな・・・。