スローライフ~子どもと楽しむスローな時間

4人の子ども達と楽しむ自然な暮らし。子供達は、自然の中で生きる力をつけています。
日々の暮らしの様子を夫婦で綴ります。

チェルノブイリハート

2011-10-07 23:42:57 | 反核、反原発

ドキュメンタリー映画「チェルノブイリ ハート」を見てきました。


福島の方々や、子供達と重なり、涙が止まりませんでした。


原発から80kmのベラルーシのゴメリ州では健常な赤ちゃんが生まれる確率が15~20%という医師の話に愕然としました。


何らかの病気や障害をもって生まれてくる子供が80~85%もいるって事。


事故当時おなかにいた赤ちゃんや、小さかった子供達が、大人になった今、妊娠、出産している。


そして、生まれてきた赤ちゃんの障害もさることながら、


事故当時小さな子供だった彼らの甲状腺がんが多発している。


事故前に比べて一万倍!に増えているそうです。


子供達が被爆するということの重大さがここに描かれています。


細胞分裂が盛んな小さな子供時代に、放射線により遺伝子が傷つけられた事の証なのです。


チェルノブイリ事故から25年、


チェルノブイリから学ばなければなりません。


何が起こっているのか、知らなければいけません。


福島の子供達を、妊娠しているお母さん方を、


これから子供を産むであろう人達を守らなければいけません。



【抄訳】




シーン1:テロップ

世界最悪の原子力事故が1986426日に起きた。

ウクライナ北部のチェルノブイリ原子力発電所が爆発を起こし、190トンの放射線ウランと黒鉛が大気中にばらまかれた。

60万人のリクビダートル(事故処理作業者)が徴収され、大量の放射能にさらされた。

事故以来、13千人のリクビダートルが亡くなっている。

チェルノブイリの人々は広島原爆の90倍の放射能にさらされた。

40万人以上が避難し、2千以上の村が解体された。

しかしチェルノブイリの被害を最も受けたのは子どもたちだった。




シーン2:チェルノブイリ立入禁止区域

防護服とマスクをつけて、チェルノブイリ原発30km圏内の立入禁止区域へ。

今でも放射線量は非常に高い。アイルランド、ダブリンの通常の環境放射線量の1000倍。

実は事故で大気中に放出された放射能は3%。残りはまだ石棺の中にある。

石棺は劣化が進んでおり、危険性が叫ばれている。

「次なるチェルノブイリはチェルノブイリ自身」と言われている。

(筆者注:しかし次なるチェルノブイリは福島になってしまった)



シーン3:ベラルーシの首都ミンスクの甲状腺病院

甲状腺がんの子どもたち

チェルノブイリ事故後、ゴメリ(ベラルーシの高濃度汚染地域)の甲状腺がんの発生率は事故前に比べて1万倍に増えた。




シーン4:ミンスク郊外にあるベラルーシ最大の精神病院

知的障害や身体障害をもつ子どもたち

チェルノブイリ事故後、先天性出生異常が2.5倍増加した。




シーン5:ミンスクの孤児院

奇形の子どもたち

チェルノブイリ事故前はなかった施設。




シーン6:チェルノブイリから240kmの汚染地域の村

セシウム137で汚染されている。

「放射能は心配だけど、どうしろって言うの?

みんなまだ生きてるわ。

ほら、こんなに長生きしてるじゃない。

死んじゃいないけど、骨が痛いわね。

来てくれてありがとう」




シーン7:体内被曝の測定

チェルノブイリから200kmの汚染地域の村で、ベラルーシ放射線研究所の科学者2名が学童の体内放射性セシウムレベルを測定した。

106名の学童のうち、45名が70以上という危険な体内被曝レベル。




シーン8:精神病院

知的障害や身体障害のある子どもたち。

手足に障害のある男の子

「大きくなったら医者になりたい。子どもを助けたいから」




チェルノブイリから80kmのゴメリは人口70万人。

危険限度とされるレベルの40倍以上のセシウムで汚染されている。




シーン9:ミンスクの孤児院

水頭症の子どもが増えている。




シーン10:ゴメリ市民産科病院

医師によると、健常な赤ちゃんが生まれる率は1520%。

免疫系が弱く、生後病気になる子が多い。

ベラルーシの乳児死亡率はヨーロッパ平均の3倍。




シーン11:ゴメリの新生児集中治療室

遺伝子に損傷をもつ子どもたち




シーン12:ゴメリの小児科病院

心臓に疾患をもつ子どもたち

心臓手術を待つ子どもたちは7千人。手術をしなければ死んでしまう。




シーン13:ミンスクの小児科病院

心臓外科病棟

アメリカのボランティア医師チームが重い心臓病(=チェルノブイリハート)を持つ子どもたちの手術を行っている。

チームは13名の子どもの心臓手術を行った。

手術を受けられるのは年300名以下。

手術待ちの子どもの大半は25年以内に亡くなってしまう。




シーン14:テロップ

国連の推計によれば汚染地域で生活している人は600万人。

1986年、チェルノブイリ原発の爆発により、放射能の雲がウクライナ北部、ベラルーシ、ロシアへと運ばれた。

高い放射線レベルがスウェーデン、イギリスのウェールズ、アイルランド、ギリシャ、アラスカでも記録された。

ベラルーシは国土の99%が汚染されている。


バナナフィッシュ日和http://nomadmorenacokelat.blogspot.com/2011/06/blog-post_09.html さんのブログより

【抄訳】をコピペさせていただきました。ありがとうございます。


チェルノブイリ ハート公式サイトhttp://www.gocinema.jp/c-heart/ で、全国の上映情報をお確かめください。


青森県内の上映は、

シネマヴィレッジ8・イオン柏 10/15~

 

 


青森松竹アムゼ 11/5~


です。




お近くの方は、ぜひご覧ください。

 



原発のない社会へ! 広河隆一さんの講演会

2011-10-07 03:20:27 | 反核、反原発

―六ラプ東日本市民サミット緊急企画―
講演会 原発のない社会へ!
踏み出そう東北~福島、六ヶ所を語る

 

が10月2日(日)仙台市にて行われました。約180名もの参加者がありました。

我が家では父と中2の長男の2人で参加してきました。今回はスタッフとして会場準備なども手伝ってきました。

  

福島第一原発の事故により、私達の住む東北地方を中心とした広い範囲が放射能に汚染されてしまいました。

 

一方、来年2012年に本格稼働が予定されている青森県六ヶ所村の再処理工場は、

 「本格稼働すれば、原発が通常運転で1年間に放出する放射能をたった1日で海や空に放出する」

 と言われています。実際、2006年から2008まで行われた再処理アクティブ試験の際には、クリプトン85やトリチウムを主とする大量の放射能が放出され周辺の汚染が進みました。

 福島第一原発事故収束の見通しがたたず、現在も放射能を垂れ流し続けている状況下で、さらに再処理工場の稼働を許せば、ますます放射能汚染が広がっていくことは明らかです。

 だから「原発も核燃サイクルもいらない!」という思いをさらに広げ、これ以上わたしたちのふるさとを、そして子ども達の未来を汚さないために、という強い思いを込めて、今回、緊急の講演会は企画されました。

 

 

第1部は、フォトジャーナリスト広河隆一さんの講演でした。

 岩上チャンネルで講演会の動画を見ることができます。必聴です。http://www.ustream.tv/recorded/17630782

 

広河さんは長年チェルノブイリを取材されていて、今回の東日本大震災では震災直後から福島に入り放射能汚染の現状を発信し、子ども達を守ることを訴えてきました。

 「チェルノブイリ25年 フクシマ元年 これから起こる本当のこと」

 というスライドが映し出されました。

 

広河さんは言いました。 3.11後ではなく、3.11が始まりなのだと。

 

広河さんは震災直後の3.12には双葉町に入っています。

 放射線量を測ると、チェルノブイリ取材の時に原発から3kmほどの場所にあるプリピャチ市で計った時の放射線量と同じ値だったそうです。

 そのプリピャチは居住が禁止されゴーストタウンと化し、人が住めるようになるまでには900年はかかると言われています・・・

 双葉町役場付近では1000マイクロシーベルトまで測定できる線量計が振り切れたそうです。チェルノブイリでも振り切れたことはなかったというのに。

 この頃、枝野さんは記者会見で、

ベントにより想定される範囲内で、管理された形で、微量の放射性物質を含む気体が放出をされているという状況でございますが、人体に影響を与える放射線が放出をされているものではございませんので、ご安心をいただければというふうに思います。」

というコメントをしていました・・・

 

 その後行った川内町では、避難した子ども達が外で大勢遊んでいたそうです。風向きによっては大変なことになるので、状況を説明しこの場所から避難するよう勧めて歩いたそうです。

  

 チェルノブイリ事故の時、原発から30km圏内では子供と女性を優先して避難させたといいます。

福島ではそういうことは行われていません。それどころか、政府は「不安をあおるな」、「パニックを防ぐため」などといって、全ての対策を封じてしまいました。25年前の旧ソ連よりひどいと広河さんは言いました。

 また、チェルノブイリ原発から120km離れたキエフでは、ウクライナの首相にあたる人が(女性だった)、安全だという政府に反抗し、夏休みを早めることを決定し、直ちに子ども達をウクライナ中の保養地へ避難させたそうです。

 このほかにも、旧ソ連では国の責任で今の日本以上に様々な対策をとりましたが、結局、チェルノブイリでは事故後3年目頃から、小児甲状腺がんが多発しました。

 危険だと言われ避難した人々よりも、安全だと言われ残って住み続けた人々に、今、病気が多いのだそうです。

日本では、もう政府が避難者の帰宅について検討している地域もありますが・・・

 

 広河氏が、「福島でこれから起こること」として危惧していることの1つはこの小児甲状腺がんの増加です。

 チェルノブイリ事故では、被爆と甲状腺がんの間に因果関係は認められなかったように発表されていますが、広河さんによれば、実は影響ないという結果になるように、調査方法を都合良く操作したり、情報を隠したり、調査時期にからくりがあったり、というのが実態だそうです。

 明らかに事故後、小児甲状腺がんは増加しているのです。

 

 福島第一原発周辺の子供1000人を調査したところ、45%の子供が甲状腺被爆していたという結果が以前報道されました。

 また、10月4日には、原発事故後に長野県松本市に避難した子供130人を健診したところ、10人に甲状腺機能の変化が認められたという報道もありました。

 原子力安全委員会は、精密検査の必要もないなどと言っていますが、そんなことは分かりません。

精密検査をし、早期に発見し転移する前に手術をしないと、助かるものもたすからない。病気にならなくてもよい子供達まで病気になってしまうと、広河さんは訴えます。きちんと子供達を継続的に検査し、健康面の観察を続ける体制を作ることが必要です。

 

 93年に行われたベラルーシでの調査では、調査した全員の母乳からストロンチウムとセシウムが検出されたそうです。チェルノブイリ原発から60kmも離れているのにどうしてこのような結果になったかというと、それは食べ物の放射能汚染が原因でした。

 ドイツでは、政府の発表はあてにならないと言って、自分達の手で食品の放射線量を測定し公表するということをしている人達もいるそうです。基準値以下だから安全とかではなくて、きちんと数値を公表し、それを元に、子供達にはこれ、大人が引き受けるものはこれ、など食べるものを選ぶ判断をしているということです。

 

 

 講演を聞いて、本当に大変なことが起きたんだと、改めて感じさせられました。

 福島がレベル7とされたときに、「でも福島はチェルノブイリとは違う。チェルノブイリの10分の1しか放射能は放出されていない」 だから安心しろと、政府は言っていました。

そんな比較に何の意味があるのか? 

10分の1だとしても、広島の原爆70個分です。

 子供達には何の罪もないのに、ふるさとで生活し、空気を吸い、水をのみ、食べ物を食べるという普通の生活をしているだけで被爆を強いられ、子供達の未来を汚すという事態を引き起こすかもしれないのです。

 この日本で、見えない放射能に向き合って生きていかなければいけなくなってしまったのです。

 

原発が出す放射能とあらゆる生命は共存なんてできない。これはチェルノブイリの事故ではっきりしたはずです。

 25年たった今、福島でも事故がおきてしまいました。

今でも放射能を垂れ流し続けているということではチェルノブイリを超えています。

チェルノブイリ事故という過去の教訓から学ぶことなく、「直ちに健康には影響がない」、などと言って何もしないことを選択するのでしょうか?

これから起こることに誰が責任をとるのか?

 

子供達の命を守れるのは私達大人しかいません。

 

子供達の命を軽視してまで、電気にあふれた生活なんてのぞまない。

 

 

今回の講演を聞いて、改めて思う。

原発も再処理工場もいらない。

子供達に残すのは、電気に不自由しない未来なんかじゃない。

成長した子供達が、何の心配もなく安心して大空の下をかけまわり、胸一杯空気を吸って、水を飲んで、その土地でできた食べ物を食べて、そんな、安心してすごせる日常です。

原発や再処理工場は、それをおびやかすということが今回の事故ではっきりしたのです。

 

 危険をあおる人と言われても、大げさだと言われても、声に出し、人に伝え、今私達が何をなすべきか模索しながら、行動していきたいと思いました