ドキュメンタリー映画「あしたがきえる-どうして原発?-」を見てきました。
22年前の1989年、チェルノブイリ原発事故3年後に作られた映画です。
映画の最後には、「福島原発で大事故が起こったときに、日本全土がチェルノブイリと同じように危険地帯に一変する」というナレーション。
それが現実になってしまいました。まるで、福島第一原発事故を予言しているかのような映画です。
映画が作成された当時、原発は38基。映像に映っている六ケ所再処理工場は原野でした。22年後の今、原発は54基、六ケ所にはたくさんの建物や煙突が並んでいます。
全国の原発で20年働いていた52歳の父を骨ガンで亡くした主婦葛西真紀子さんが、「なぜ父は死んだのか」という疑問を追いかけていくストーリー。
当時、直接設計に携わった元原子炉設計技師、田中三彦さんの証言も収録。
「自らが設計に関わった福島第1原発4号機の圧力容器がいびつな楕円形に製造されていたが、納品まで日がないため、ジャッキで強引に丸く直して納品した。ジャッキが当たった部分には相当な負荷がかかっているので、大事故が起きてもおかしくない。」
また、職場の仲間の会話ということで、「自分が関わったあの原発でもし何かあったら、それがどこか俺にはすぐ分かる」と言っていたそうです。
技術者たちは、頭のすみに、「大事故が起こる可能性」をうすうす感じながら製造しているというのです。
田中さんは言っています。
「原発は多重防護で絶対安全と言っているが、それが働いていても、例えばアラームが鳴るとか、でも結局それを無視して運転を続けてきた。事故が起きたのは溶接がどうとかではなく、国、事業者のそういう体質が引き起こしている。」
田中三彦氏証言の映像および内容書き出しです。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-903.html
チェルノブイリ原発事故後、ヨーロッパからの輸入食品放射能汚染が報じられたことなどをきかっけに、当時、原発反対運動がかなりの勢いで盛り上がったと聞きます。
映画の後半、チェルノブイリ原発事故後、スウェーデンでの原発廃止法案制定の動き、イタリアでは大多数の国民が原発に反対などの各国の動向を紹介し、「これから世界の流れは脱原発へと向かってくだろう」というナレーションが入ります。
そこで、? と思いました。 これ、今の状況とそっくりじゃないか?
ところが、そこまで気運が高まっていたにも関わらず、その後はご存じのように、CO2地球温暖化説の登場で世界はコロっと原発推進へと変わってしまい、脱原発はすっかりなりをひそめてしまいました。
今回は、離れた遠い国の話ではなく、この日本で原発事故が起きてしまったのです。
空気が、水が、海が、土が汚染されてしまったのです。
今度こそ風化させずに、脱原発を実現させなければ、私達は福島から何も学ばなかったことになります。
広瀬隆氏の緊急寄稿(映画チラシより再録)です。
http://www.genpatsu22.com/kiko/index.html
映画に登場する葛西真紀子さんの舞台挨拶の映像があります。
http://www.youtube.com/watch?v=JBpuBLL7eF8
田中三彦氏の舞台挨拶の映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=Tsgbqu-j2BI&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=gjeWjc9bbKc&feature=relmfu