昨日も今日も報道はそのことばかり。
震災の日のことも、その後の混乱も、
今では毎日の暮らしの中ではすっかり影をひそめました。
けれど身の安全に恐怖を感じた出来事、
日常物資が次々と亡くなり不安に感じたこと、
計画停電による生活の混乱など、
当たり前のことが当たり前でなくなっていく日々は記憶にしっかり残っています。
あの不安な毎日の中、全く減らないものがありました。
それは、人々の愛情こもったつながり。
ご近所の人たちとの他愛のない立ち話や、
通りすがりの人たちのちょっとした親切。
学校が休校になってしまい、まだ日の高い真昼間からレッスンをしましたっけ。
夕方からの停電を避けて…。
レッスンが終わった後、生徒や一緒についてきてくださったママたちと
温かいお茶を飲んでおしゃべりに花が咲きました。
いつもは時間に追われているのに、この時ばかりは持て余すほどの時間があったのです。
車のガソリンが少なくて、徒歩や自転車でしか移動が出来ないとか、
停電のためにあらゆる生活が制限されるとか、
つまりは人間が無理せず生きていける範囲に(原始的な?)生活を収めるというのはこういう事なのですね。
たくさんの不安はありましたが、時間に追われている感覚も
帳尻を合わせるために無理をするストレスは全くなくなりました。
停電で電気も暖房もTVも、世の中すべてのモーター音が消えてしまった静けさ。
その時に弾いたピアノの音の美しかったこと。
きっと昔の人たちは、こんな中で音を聞いていたのでしょう。
音楽が与えてくれる安らぎと喜びは心に染み入るようでした。
もう4年が経ちました。
けれどまだ4年しか経っていません。