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栗田健男元海軍中将旧蔵資料

2019年10月20日 23時24分03秒 | ○○関係文書
こんばんは。先月すっぽかした分の穴埋めです。

今週は10月25日、日本とアメリカの両海軍が激突したレイテ沖海戦75周年でありますので、所縁の深い栗田健男元海軍中将(1889.4〜1977.12)の旧蔵書をここに紹介します。なお本年(2019年)は栗田中将が生まれたから130年という節目でもあります。

栗田健男(「栗田健男」wikiより2019年10月20日閲覧)

簡単に栗田健男について述べますと。彼は茨城県水戸市出身で、旧水戸藩士の出身でした。
海軍兵学校を卒業後、駆逐艦や巡洋艦などの軽快な部隊で経歴を積み、「水雷」畑を歩みました。
日中戦争、アジア・太平洋戦争には将官として参加して、マレー作戦やミッドウェー作戦に従軍しました。
戦局が末期の1944年には、第二艦隊司令長官としてレイテ沖海戦に従軍。海戦中の「謎の反転」が特にいまも注目され続けます。
戦後は西宮市に居住し、同地で亡くなりました。

では、私が所蔵している栗田の旧蔵品に移りますが、点数は20点(アルバム1、書簡1、絵葉書セット1、書籍17)です。

書籍の部
1:奥宮正武・淵田美津雄『機動部隊』朝日ソノラマ、1974年初版。帯あり。「栗田」の小印2つあり。193-200頁下、249-253頁は未裁断にてくっつき有り。読書ハガキ、売上伝票あり。
2:高木惣吉『聯合艦隊始末記』文藝春秋新社、奥付なし(落丁カ)、「海戦日本艦隊航跡略図」の地図あり。経年劣化。
3:『文藝春秋 臨時増刊 読本・戦後十年史』23巻第8号、1955年4月、経年劣化。
4:松永市郎『思い出のネイビーブルー』海文堂、1977年2版、松永市郎の謹呈栞あり(破れあり、署名印刷)。
5:白浜芳次郎『零戦空戦記』河出書房、1968年、初版。ビニールカバー付。帯あり。
6:伊藤正徳『連合艦隊の栄光』文藝春秋新社、1962年再版。箱付き(痛みあり)。
7:伊藤正徳『戦艦『三笠』の光栄と悲惨」、文藝春秋愛読者賞論文、1958年4月。抜き刷り冊子。
8:楳本捨三『陸海名将100選』秋田書店、1971年。赤鉛筆で「87 栗田健男」の項目に栗田自身の書き込みあり(246-247頁)。
9:宇垣纏『戦藻録』原書房、1972年3版。箱付き(痛みあり)。
10:紀脩一郎『風塵抄』非売品、1981年1刷、1000部。(付・草蘆抄に収められる井上成美「海軍の思い出」、高木惣吉「井上成美大将の思い出」、「高木惣吉書簡集」)
11:紀脩一郎『第四艦隊事件』非売品、1976年1刷、1000部。紀の謹呈栞(署名印刷)有り。
12:紀脩一郎『草蘆抄』紀脩一郎、1976年。紀の謹呈栞(署名印刷)有り。
13:紀脩一郎『閑雲抄』非売品、1986年1刷、500部。
14:紀脩一郎『旅順の海は青かった』非売品、1987年1刷、500部。紀の謹呈栞(署名印刷)有り。
15:西本正巳ほか編『比島戦跡を偲ぶ』フィリピン戦跡写真集実行委員会、非売品、1970年初版。箱付き。ビニールカバー
16:日本リーダーズ ダイジェスト社『トラ トラ トラ』日本リーダーズ ダイジェスト社、1966年1刷。ビニールカバー。太平洋海域地図、海戦の日米両新聞のプラスチックの板有り。
17:栗田健男追悼会世話人会『栗田健男を偲ぶ』1978年3月、小冊子。

栗田の印が入った『機動部隊』

絵葉書の部
18:絵葉書アルバム。黒革、紐どめ。9枚。

アルバムの部
19:『海軍兵学校入校三十周年 記念写真帖』。奥付なし。海兵38期のもの。箱痛み(破れ、水ふやけ跡)あり。


書簡の部
20:岡崎義男書簡(6月30日)。封筒あり。切手なし。原稿用紙2枚。「海上戦跡慰霊巡拝に参加して」の記事承諾のお礼と、同雑誌を2冊同封しお届けした件につき。
※岡崎義男は海軍兵学校教授、戦後は広島大学教授を歴任した。


これが、栗田旧蔵の一覧となります。一部、栗田の死去した後のものがありますが、この紀脩一郎氏(1901〜?)は水戸中学の出身で、栗田からみたら後輩にあたる人物です。

書籍は1冊を除きほとんど書き込みなどなく、栗田が読んでいたかは、ここからはわかりません。ただ楳本の本には「杜撰極まるものである 仓卷推して知るべし」と書き込みがされています。ほかにも記述の一部に「?」と線引きされています。

最後の書簡にある、「海上戦跡慰霊巡拝に参加して」は、広島の「水交」に載ったあと、小冊子としてまとめられました。コレも栗田の旧蔵書としてありましたが、1冊は誰かの手に渡ったようです。もう1冊は不明です。

私の手元にある岡崎義男「海上戦跡慰霊巡拝に参加して」(古書店で購入)

この冊子に巡拝について載っていまして、1971年4月9日〜23日の日程で行われ、栗田元中将も参加、4月14日13時30分から45分までの15分間に捷一号作戦についてのお話をし、質疑応答も行われました。
また第一航空艦隊司令長官だった寺岡勤平元中将も参加して、昭和14-15年ごろと昭和20年の時の話をしました。

これは栗田元中将がはじめてレイテ沖海戦について話した事例で、新名丈夫「"すべては敵情不明のため"栗田中将は語る」(『決断 Vol3』所収、個人蔵)でも取り上げられました。

以上ですが、これも以前話した東條英機の蔵書とおんなじで、栗田元中将は、こういう蔵書の環境にいた、という僅かな残滓を垣間見える一端となればと思います。

それでは、台風に気をつけて。


なお、本項目作成にあたって、『決断 Vol3』を閲覧させてくださいました個人には厚く御礼申し上げます。


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