How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

LE b. ~(ル・べー)

2018-06-08 07:28:49 | 鮭一の徒然

夏が来る前に、物語をひとつ。



四十歳を過ぎての片想いなどこの上なく情けないものだと思い、早く通り過ぎてくれと僕は切に願っていた。
堪え切れなくなって走り出してしまわないか、迂闊な言葉を口走ったりしないか、僕は自分の言動や心理状態に怖れ戦きながらどうにか制していた。
もしかしたらもう心が惑うこともなくなるかもしれないという期待から、ときには別の人と交際もしてみた。
でも当然のことながらうまくいかない。
ありがちなことだ。
そもそもそんなことはもっと若いうちに知っておくべきことだし、事実自分自身も既に経験していた。
徒に誰かを傷付けることになるだけなのだから、そんなことはするべきではなかったのだ。


色々と手を尽くしたけれども淡い期待は儚く消えた。
これは通り過ぎてはくれなかった。
それどころか今もここに居座り続けている。
「まずいな」という最初の予感通り、完全にこじらせた見込みのない片想いとなってしまった。
もう何をしても無駄だろう。
無理に諦めよう、忘れよう、押さえ込もうとしても余計に思い悩んでしまうだけだということは経験済みだ。
逆にそんな理由で塞ぐ中年の方がよっぽどみっともない。
仕方ない。これは見込みのない片想いなのだ。本人には迷惑をかけないように、僕自身が納得いくまで好きでいさせてもらうことにした。
少し気取ってこんなことを言うとまるで達観者の述懐のようだが、現実には寂しかったり、切なかったり、辛く感じることはたくさんある。
それでも僕は浮き足立つことはなかった。
「僕はあなたのことが好きだ。でもそれはあなたとは関係のないことだ。」
究極はこの信条だと思って、ずっと想いを寄せていた。
でもやはり黙っているだけでは苦しい。想いは伝えたい。知っていてほしい。

あるとき僕は彼女に僕の気持ちを伝えた。シチュエイションとして相応しかったかどうかと問われたら自信がない。
ただ、当時の我々の関係性や日々の接点を思うと、この機会を逃したらもう次は無いように思えた。

しかし伝えた後でも何も状況は変わらない。それは伝える前からわかっていたことだ。
だからその時点で僕は潔く諦めるべきであったし、これ以上何かを口走ったり行動を起こすことは彼女にとって迷惑以外の何物でもないのだ。
そしてそこまで分かっていても、僕は彼女のことを好きな気持ちを終わらせることができないのだ。



そのようにして過ぎた月日は3年近くになる。
しかしいい加減そろそろ終わらせなければと思い、少しずつ思いを寄せないような訓練をしようと決めたのが10日ほど前のことだった。

そんな折に、神の悪戯か天からの贈り物か僕には判断つかないのだが、ひょんなことから昨夜、想いを寄せる相手と勤務後に語らう時間を与えられた。
短い時間ではあったが、要するにデートすることが叶ったのだ。

3時間近く、僕らはテーブルを挟んでコーヒーを飲みながら語り合った。
彼女は終始笑顔でとても楽しそうだった。
二人で会ってくれるときの彼女は決まっていつも楽しそうだ。
勿論僕も楽しい。
こんなに楽しく過ごせるのに、何故僕ではだめなのかな。
片想いしたときに感じる、十代の頃からの永遠の命題を僕はまた繰り返す。

でもやはり最後には再び思う。
彼女には僕には見せない姿があるのだ。
それが当たり前だ。
そしてそんな彼女を受け止める恋人がいるのだ。
そして更に、何よりも大切な彼女の宝物、自身の子がいる。
子を持つ親なのだから、楽しいことばかりではなかろう。
僕には思い及ばない苦労や辛さがあるはずなのだ。
そんな多用で心労の多い毎日の中で、ほんのひとときではあるけれども、あなたは僕に、あなたと語らう時間を与えてくれた。
そして楽しそうに笑ってくれる。
ありがとう。
あなたに、心からの感謝の気持ちを伝えたい。
そして安堵の気持ちを感じてくれたら嬉しい。
束の間、何もかも忘れて楽しく話してくれたらいい。
多分僕らには「我々は同級生だよ」という、たいした根拠はないけれども安心できる共通認識がある。
安心できるから、楽しいんだよ。




彼女が発した何気ないひとことを僕は覚えていた。
「えっ? プレゼントしてくれるなら貰うよ」。
軽口めいてはいたものの、 そう話していたときの彼女の眼は輝いていて、その表情は陽が射しているように眩しかった。
贈り物としての性格や彼女の年齢を思うと、僕は本当にそれを贈ってよいのかさんざん悩んだ。
でも僕は昨夜彼女に贈った。


「もう忘れちゃったと思うんだけど、プレゼントしてくれるなら貰うよって、凄く嬉しそうに言ってたんだよ。」
どんな間を取ったらよいのか見当が付かず、手探りするように少しぎこちなく言いながら、僕は手提げの紙袋を渡した。
少し前に手に入れて、自分で包装して保管してあった、デッド・ストックのル・べーが入っている。

「えっ、なんだろう・・・。 わっ、香水だぁ。」
「もし気に入らなかったら飾っておいてよ。」
「飾っておいても可愛いね。」

本当に嬉しかったら、きっともっと感嘆の声をあげただろう。
やはりこの手の贈り物は困るのだろう。
少し戸惑いながら、それでも喜んでいる様を見せようと彼女は頑張ってくれた。
そして彼女はル・べーを受け取ってくれた。
僕の気持ちを汲んでくれたのだろう。
受け取ってもらえたからといって、僕は期待も勘違いもしない。
僕は僕の立場を分別と思慮をもって認識し、そしてそれをわきまえている。
そんな関係性での贈り物だった。


彼女は記憶を辿っている様子だった。いつ香水の話をしたのか思い出そうとしていた。

「あれっ?もしかしてル・べー着けてるの?」
「え?なあに、それ?」
「香水だよ」
「何も着けてないよ。ハンド・クリームじゃないかな」
「そっか、ル・べーの香りによく似ていたからさ」
「プレゼントしてくれるなら貰うよ。」



実際のル・ベーとハンド・クリームの香りは全然似ていないかもしれない。若き日の僕の憧憬が記憶の中のル・べーを美化したのかもしれない。好きな女が放つ香りは全てル・べーだと思えてしまうのかもしれない。
まだ僕が若く自信に満ちていた頃、深く愛した女が僕と会うときにだけ着けていた香水がル・べーだったことを、僕は何年振りかに思い出した。

 

 

 



閉店間際のカフェの店先で、ル・べーを鞄に仕舞い込んだ彼女と手を振りあって別れた。
恋人に会うときにあの香水を着けていられるのは複雑な気分だなと思ったが、別の男からの贈り物の香水を着けて恋人に会うなんてことは多分ないだろう。

では、この先ル・べーの出番はあるのかな。
またいつか、ル・べーの香りをまとった、僕にとっては世界中で誰よりも可愛い彼女に会えるときはあるのかな。
もう想いを寄せないようにしようなんて、端っからできないことを思うものではないな。
きっと正直な僕の本心は、まだ彼女の止まり木で居たいのだろうな。
情けない。



それでも僕はあなたのことが好きだ。
ただし、それはあなたとは関係のないことだ。

 

 

 

   ~I am still fond of her

 

 

 

 

 

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