How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

墨染の桜

2014-04-04 00:48:10 | 文学徒然

頭の中で時折繰り返されるこの歌。
桜の季節には取り分けしみじみと、ときには独りごちてしまう。

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け

 ~古今和歌集 巻第十六 哀傷歌(あいしゃうのうた)  上野 岑雄(かみつけの みねを)

この歌を知ったのは19歳のとき、早稲田大学の文学部を目標に浪人していた頃だ。
受験対策として有名な源氏物語の漫画「あさきゆめみし」の第5巻の最終章の冒頭に記されていた。

当時の僕は英語と現代文が得意科目だった。目標とする早稲田の文学部の受験科目は「国語・英語・小論文」。
英語と現代文に関しては浪人時代の初期から全国模試などでも高順位で、そのままその位置をキープできれば合格ラインには乗ると思っていた。
しかし古文が問題だった。
受験としての古文を全く面白いと感じなかったし、では受験を抜きにして純粋に文学作品として楽しめるかと言えば、それも不可能な話だった。
そこで、先ずはこの古文アレルギーをどうにかしなくてはということで、世間や周囲の高い評価に騙されたつもりで「あさきゆめみし」を読み始めた。
もし入試本番の出典が源氏物語だったとしたら、内容を知っておくだけでも問題を解きやすいだろうと思った。


読み始めてすぐに、そこいらの漫画とはわけが違うと感じた。
その登場人物の多さや心の機微、物語の展開など、原作のスケールの壮大さを思い知った。
じっくり読み進めて行かないと話の内容を理解するどころか把握することも難しい。
1巻読み終えるのに物凄く時間がかかった。

それで僕が嫌々読んでいたかというと決してそうではない。
寧ろその逆で受験対策という当初の目的など全く忘れて、純粋に「あさきゆめみし」を楽しんで読み進めていた。
僕は基本的には所謂「宅浪」というやつで、1週間に1度だけ予備校に通ったが、確か予備校併設の書店でズラリと並んだ参考書類の中から「あさきゆめみし」を選んで購入したこともあった。
当時発売されていた全巻を読み終えるとまた最初から通読し、ちょっと空き時間があればその時の気分で好みの巻を手に取って読んでいた。
完全に受験勉強からは離れて、受験勉強の合間の息抜きになった。

作品中の会話や地の文の現代語訳が大和和紀さんの手によるものかどうかまでは知らないが、原作が優れたものであるのは言うまでもなく、それをこれほどの魅力的な漫画にするのは相当な困難が伴ったのだろうと思わずにはいられない。


僕は小説でも、数多くの作品を読むというのではなく、気に入った作品を何度も読むことを好むが、あさきゆめみしも同様の扱いで、今でも時々手に取って読んでいる。
そんな僕が愛してやまない、もっとも心を動かしたのはどの章かと問われたら、紫の上崩御を僅差で押さえて、藤壺の宮様崩御の章だろう。
あさきゆめみしでは第5巻に当たる。

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手に取ったときに嫌な予感がしたことを今でも覚えている。
「えっ!?もしかして、藤壺の宮様が死んじゃうの!?」

得がたき人、叶わぬ思い、愛し合っても結ばれない・・・
このような設定は男女問わず読者の共感を得るのであろうか。
聡明で奥ゆかしい人となりなど紫の上や明石の君の方が、魅力的に描かれていると言っても良いくらいなのに、僕はこの藤壺の宮様に強く魅かれた(登場人物についてのああだこうだは話が長くなるので別の機会に譲る)。
その宮様のこのようなお姿が表紙に・・・
藤壺の宮様が登場しないあさきゆめみしなんて、面白くないんじゃないか?
ホントに死んじゃうのか?
僕は不安でいっぱいだったが、でも読み進めないわけにはいかない。

第5巻の「第五部其五」の最初に、表紙と同じ挿絵のモノクロ版が見開き2ページに描かれていた。
1ページめくると、黒い装束を纏った光源氏が桜の木の下に独り佇んでいる。俯いて、目も伏せられて。
そしてそこに、上野岑雄の短歌「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」の引用があった。
「ああ、やっぱりそうだ。藤壺の宮様は死んじゃうのか・・・」

大袈裟ではなく、本当にこの章は涙なしには読めませんでした。
病の床に就いた藤壺の宮様の回想。

「ご存知でした? みなが、女御さまを輝くようにお美しいと・・・」

「まあ、それはあなたのことよ、光る君」

この時点で僕の涙腺はもう緩みます。

「元服なんかしたくない!元服したら、もうあなたに会えなくなるもの!」

「あなたを、真実のあなたを心から愛しているのは・・・誰ですか?」

もう涙が落ちそうです。

「・・・人々はわたくしを女としての栄華を極めたものと思うだろう
 けれども女人としてひとりのわたくしは・・・ただ一度の恋さえも拒み続けて・・・
 とうとう生命を終えなければならなかったのだ・・・」

知らぬ間に涙が頬を伝っています。

「この終わりの時にすら、わたくしたちはひとことの真実も口にすることはできない。
 ひとことの赦しも愛の言葉も与えず・・・逃げ続け、拒み続けたわたくしが・・・
 この人の中に残るだけ・・・」

もういいです、そこまでで結構です、藤壺の宮様!

程無く、藤壺の宮様はお隠れになります。そして源氏の回想。

「わたしはあのかたの前で、舞を舞った
 舞い落ちる花びらの中 翻る袖 花の盛りの頃・・・
 あのかたのためだけに・・・
 御簾のうちでわたしを見つめるただひとりの人のために・・・

 桜よ お前は知らないのか あのかたはもういないのだ
 わたしたちをおいて 永遠に去ってしまわれたのだよ・・・」

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だから・・・わたしの心がわかるならば  桜よ いまは喪の色に咲け
あの人はもういないのだ わたしの永遠の恋人は・・・

この見開き2ページ、満開の桜と既に散り始めている桜の花びらのもとで泣き崩れる光源氏。
19歳の鮭一青年は、大袈裟でなく、本当に涙が溢れて止まりませんでした。


話は逸れるように思われるかもしれませんが、実は幼少の頃の僕は鉄道が好きでした。
今でこそ旅するときはクルマですが、学生時代には幼少期の鉄道好きが再燃し、その頃は車両そのものよりも鉄道旅行が好きで、北斗星に乗って何度も北海道へ旅に出かけました。

母の生まれと育ちが京都なのですよ。
母方の祖父母は僕の幼少期、大阪の枚方市に住んでいました。
京阪電車の御殿山駅の近く。
僕は、祖父母の家に行ったときには京阪電車に乗ることや、御殿山駅近くの跨線橋から京阪電車を眺めることを楽しんでいました。

京阪本線の京都よりの駅に「深草駅」と「墨染駅」があります。
僕はこの上野岑雄の歌を読んだ時、もしかしてこれらの京阪電車の駅が、この歌や源氏物語と何か関係あるのかなと思いました。

インターネットという便利なものがあるので、以前も検索しましたが、先ほどももう一回検索してみました。
しかい、僕が知りたいようなことや、やはり関係あるのかなどという記事は見つかりません。

でも、墨染寺(ぼくせんじ)という寺が見つかりました。
桜で有名らしいです。
今年はもう遅くなってしまたので、来年行ってみようかなと思います。

http://www.kyoto-meguri.com/kankou1.html


僕が大好きだった旧塗装の京阪電車も載せておこう。

2600

3000

 

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