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自室でひとり逝った父は、最期まで生きようとしていた

2021-05-07 15:30:00 | 日記

下記の記事は日経AERAプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

叔父の話で初めて知った、若き日の父のこと
 冬。遠く離れた故郷で父がひとりで死んでいたのが見つかって、警察による検視と葬儀と火葬まであっという間の2日間が過ぎた。(前回記事参照「ある寒い冬の日、遠く離れて暮らす父が孤独死していた」)
 コロナ禍なのでごく少人数ではあったけれど、母方の叔父や叔母、これまでほとんど会ったことのない父方の叔父やいとこたちが来てくれた。
 父の弟に当たる叔父は、私の知らない若い頃の父の話をしてくれた。高校時代に合唱部の部長だったこと。やけにモテていたこと。更年期障害で動けない祖母の代わりに兄弟の食事を作ってくれていたこと。まだ父の死を現実のものと受け止め切れていない私に、笑顔混じりのとりとめのない思い出話は、大きななぐさめになった。
 今、ただの物体となった父親の肉体は焼かれて、確かに世界の一角を占めていたその存在は消え去ろうとしている。そんな時に残っていくのは、こんなたわいのない記憶だけなのだろうと思った。
 すべての儀式が終わると、私はひとり取り残された。話す相手もいなかった。一緒に泣ける人もいなかった。これからの相談ができる家族もいなかった。葬儀場から骨つぼを抱えて歩いて実家へ帰った。
 日が暮れてゆく。父がいつも座っていた台所のテーブルの一角に座って、テレビを見ながら近所のチェーン店で買ってきたお弁当を食べた。
ランチの誘いには乗りたいけれど、その後が怖い
 地元の友人に、時間と気力があれば日曜日にランチでもしようと連絡をもらった。ひとりでいるのは心細すぎたから行きたかったけれど、ランチの後にまたひとりで誰もいない実家に帰るのが怖かった。
「よければ実家に来て1日一緒にいてくれる?」
 無理を承知で頼んでみると、快く受け入れてくれた。話すうち、せっかくなら少しでも家を片付けよう、手伝うよという話になった。
片付けのため意を決して入った父の部屋にあったのは
 父には何でもため込むクセがあり、それはやがて自身の部屋には収まらず、隣の和室、さらに隣の洋室と場所を侵食していった。母や私の目からはガラクタにしか見えないものも、父にしてみれば大切な思い出の品だったのだろう。
 「もののないすっきりした家に住みたい」と母はよく言っていた。片付けようとすると「僕が死んでからにしてよ」とケンカになっていた。
 お父さん。あなたは死んだのだから、片付けさせてもらうよ。
 まずは父が死んでいた部屋に向かう。実は実家に帰ってから3日間、恐ろしくてそこに足を踏み入れることができなかった。その理由は、人が死んで1週間そのままになっていた部屋であるという怖さと、父のプライベートな領域を見てしまうという怖さの両方だった。
 思い切って部屋に入る。
 真冬の寒い時期だったので、1週間たっていたにもかかわらず、父の遺体はほとんど腐敗していなかったと聞いていた。それでも、警察で見せられた現場検証の写真が頭によみがえる。このあたりに頭があって、このあたりに足があって、うつぶせだった。じっと見てみた。何もなかった。
 ふと、ベッドの傍らに、最期の日に着ていたらしい服が一式、置いてあるのが目に入った。赤いセーターだった。喉元から胸のあたりがかなり汚れていた。気分が悪くなり、嘔吐(おうと)してしまったのかもしれない。
 倒れたとき、もう父は意識を失っていたのだろうか。それとも倒れて冷えていく自分のことを分かっていたのだろうか。苦しくはなかったか。さびしくはなかったか。後悔はなかったか。またぐるぐると頭を自責の念がめぐり始めた。
 だめだ。この部屋を片付けることは、当面できそうにない。
冷蔵庫に残された1週間分のスープとおかゆの鍋
 2階にある父の部屋から1階に下りて、台所を見渡した。父が、日中ほとんどの時間を過ごしていた場所だ。流しに最後の食事に使った食器が水につけられていたので、洗った。
 冷蔵庫を開けてみると、調理した野菜スープの鍋とおかゆの鍋があった。しばらくはこれを食べるつもりだったのだろう。
 父は25年前の定年直前、長く続く激しい歯痛に悩まされ、最終的には大学病院に歯肉がんと診断された。治療は下顎を取り去る大手術。下顎を取ってしまうということは、顔の形が変わるのですか?と聞いた当時の私に、担当医は「少しお顔が変わるかもしれません」と言った。結果は、少しどころではなかった。
 完全にそれまでとは変わってしまった容貌と、咀嚼(そしゃく)もできず話す言葉が聞き取れない口。娘ながらになかなかの男前だと思っていた顔はもう、そこにはなかった。1996年のことだ。医療法に「説明と同意」の義務が記載されるようになったのは、97年のことだそうだ。インフォームド・コンセントという概念は、まだ患者の側にも、もしかしたら医師の側にもなかった時代だ。
 目を背けたくなるほどの異様になってしまった顔に、食べることもほとんど話すこともできなくなった口。家族よりショックを受けたのは本人だったかもしれないけれど、死ぬまでただ一度たりとも愚痴を聞いたことはなかった。我慢強い人だった。
 流動食を流し込むようにしか口に入れられないため、好きな材料を買ってきて調理したのちにミキサーにかけてスープ状にし、おかゆにかけて時間をかけて食べるようになった。母の手は借りず、すべて自分でやっていた。
 1週間分ほども料理が残った鍋の中身を見て、父は生きるつもりだったのだと思った。命の炎が尽きていこうとしていることにおそらく気づきながらも、少なくとも、最期の瞬間まで生きようとしていたのだ。
生ものと大量のペットボトル、牛乳パックと格闘
 翌日が日曜日だった。数日後には実家を離れて東京に帰ることを思いだし、まず片付けるべきなのは台所にある生ものだと気がついた。来てくれた友人たちに、台所にある野菜や冷蔵庫に入っているものを捨ててもらうことから始めた。
 問題はペットボトルだった。飼っていた猫4匹が壁におしっこをひっかけるからと、2リットルのペットボトルに水を入れて壁という壁の際に置いてあり、その数は100本を超えるほどだった。ひとりの友人が昼から夜までそのペットボトルの処分に追われた。
 もうひとりの友人は、生ものの次に牛乳パックに取りかかってくれた。牛乳パックを切り開き、乾かして束ねて捨てるのが故郷の自治体の決まりだ。マメな性格だった父は、数え切れないほどの数の牛乳パックを切り開き乾かしていたけれど、捨てずに大量に置いてあった。
 束ねるものは他にもあった。新聞だ。日がな1日、新聞とチラシを読んでいた父はきれいに新聞を重ねて置いていたけれど、これも大量にあったのだ。なぜこんなに多くの牛乳パックや新聞を置いたままにしていたのか。その答えはおそらくただひとつ。捨てに行く気力も体力も、もはや残っていなかったからだ。
分別が済んだ大量のゴミを前に…衝撃の現実
 台所を片付けていると出てくる瓶や缶、プラスチックといったゴミも実に細かく捨て方に決まりがあり、友人たちに聞いても聞いても覚えられなかった。これらを分別して指定の袋に入れ、決まった日にゴミ捨て場に運ぶのは、老いた父にとってはかなり苦労をともなう作業だっただろう。
 1日かけてものすごい数のゴミ袋と紙類の束ができたけれど、友人たちが帰る頃になって気がついた。
 「これ、いつ捨てるんだろう……?」
 実家から少し歩いたところにあるゴミ捨て場に確認に行くと、なんということだろう。私の滞在中に紙類とペットボトルを捨てられる日がない。紙類は週に1回、ペットボトルに至っては月に2回しか捨てることができないのだ。
 この大量のゴミを実家に置いたままにして、東京に帰らなくてはならないのか。
 友人たちが帰り、また暗い夜がやってきた。私はゴミ袋に囲まれ、途方に暮れてしまった。


岸惠子さん コロナ下の覚悟「孤独を自分に取り込め」

2021-05-07 13:30:00 | 日記

下記の記事は日本経済新聞on-lineからの借用(コピー)です

「家族の形や死への覚悟が試されている」「孤独を自分に取り込め」――。女優でエッセイストとしても活躍する岸惠子さんがコロナ禍における新たな生き方を提唱している。日本経済新聞に連載した「私の履歴書」に加筆した自伝も5月1日に刊行。国際結婚や離婚などを経験してきた岸さんに生きがいや死生観について聞いた。
――新型コロナウイルスの感染拡大で人同士が接する機会が大幅に減りました。
「パリに何度か渡航する予定でしたが、コロナ禍が重なり、キャンセルせざるを得ませんでした。だから、2018年秋以来、パリに住む娘夫婦や2人の孫たちにもずっと会えていません。かなりのストレスですが、仕方ありません」
――「孤独に取り込まれるな」「孤独を自分に取り込め」と主張していますね。
「孤独に取り込まれるから寂しくなるんです。むしろ孤独を自分から積極的に取り込んでしまったらどうでしょう? 孤独の裏にある自由を楽しんだ方がいい。人間は生まれるのも死ぬのも所詮は独り。何事にも必ず終わりが来るものです」
「私の場合、家族は娘夫婦と孫たちの4人。私が祖母になったとき、娘の家族とはある意味で決別しないといけないと悟り、生活の拠点をフランスから日本に移しました。孤独を道連れにすることにしたんです。人の移動が難しいコロナ禍の今、家族の形も含めて、そんな覚悟がこれまで以上に試されている気がします」
――人生に後悔はありませんか。
「生きたいように生きてきたから、後悔はありません。後悔するなんて傲慢だとさえ思う。今、家族で集まっても、会話はフランス語か英語で、日本語を話す機会もない。でも自分が生きてきた結果だから、現実を受け入れるしかない。それでいいと思っています」
――どんな死生観をお持ちですか。岸さんにとって理想的な死に方とは。
「医療が進歩して人生100年時代と言うけど、家族や介護してくれる人がいなければ、独りだけで100歳まで生きるのはやはり簡単ではない。本当にやりたいことがないなら、さっさとあの世に旅立った方が幸せかもしれない」
「でも私は突然、ポックリ死ぬのも嫌。どうせ死ぬなら、自分がどう死んでゆくのか、その感覚も分かって死にたい。1週間程度かけて、死という風景を眺めながら最期を迎えるのが理想です」
――いかにも好奇心旺盛な岸さんらしい考え方ですね。「私の履歴書」や自伝で描いたお母さんの最期も印象的でした。
「母は父に先立たれ、闘病しながら『惠子が独りになるから長生きしなければ』と言い続けていました。だから『お母さん、いつ死んでも私は独りで大丈夫。自分のために生きて』と伝えたんです。他人が聞けばギョッとするような言葉だったけど、母は不思議にすがすがしい顔をしていた。そして国連の仕事でアフリカに旅立つ私を『あなたは私の誇りよ』と笑顔で見送ってくれた。それが母の最後の姿。仕事で死に目には会えなかったけれど、心はしっかりつながっていたと思います」
――自伝の装丁は一人娘デルフィーヌさんが手がけたとか。「岸惠子自伝」。装丁は一人娘デルフィーヌさんが担当した
「私が結婚を決めた際、元夫に言われた言葉『卵を割らなければ、オムレツは食べられない』を副題にしたので、娘は『分かったわ』と言って、私の顔が割れたデザインを考えてくれました。面白い発想でしょう。『顔を切り刻むなんて、実の娘でなければできない』と周囲から言われています」
――でも娘さんは、岸さんが出演した映画作品をまったく見ようとはしないそうですね。
「私の仕事が離婚の一因になったので、娘は映画のことを疫病神だと思っているかもしれない。『絶対に女優にはならない』とも言っています。でも私の映画は見なくても、私の本は読んでほしい。だから自伝を娘が装丁してくれたことはすごくうれしかった」
――結婚、離婚についてどう考えますか。
「世間は離婚を『バツイチ』と言うけど、私は『マルイチ』と言いたい。結婚も離婚も私にとっては完結したもの。大切な歴史ですから」
――不倫にはどんなご意見ですか。
「不倫? 世間やメディアが騒ぎすぎじゃないかしら。男女が出会い、引かれ合ったら、仕方がないこと。基本的に当事者同士が解決すべき問題。社会的制裁を科すなんて滑稽に思います」
――今の日本にメッセージを。
「日本は悪癖より美質が多い国だけど、日本人は平穏に浸って『鈍』になりすぎている。特に若い人は大切なものを破ってでも未知の世界に足を踏み出す勇気を持ってほしい。そう願っています」
(聞き手は編集委員 小林明)
きし・けいこ 1932年横浜生まれ。高校在学中に松竹にスカウトされて映画デビュー。「君の名は」「亡命記」「雪国」などに出演。57年フランスの映画監督イヴ・シァンピさんと結婚するために渡仏。63年一人娘デルフィーヌさんが誕生。76年離婚。


急に「解決金を払う」と言いだした小室圭さんに宮内庁が口が裂けても言えないコト

2021-05-07 11:00:00 | 日記

下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です

文書を自ら否定
「小室さん側から連絡が事前にありませんでした。事後も話を聞いていない」──4月22日の定例会見で宮内庁の西村泰彦長官(65)は、小室圭氏(29)が金銭トラブルの相手に解決金を渡す意向を示したことについて、こう語った。
 ***
速報東大院出身「マスク拒否男」2度目の逮捕を嘆く父親 「論文が通らずあんなふうに…」
 これがどれほどの“異常事態”か、改めて経緯を振り返ってみよう。
 2020年の11月20日、秋篠宮さまは55歳の誕生日を前に記者会見を行った。その際、長女の眞子さま(29)と小室氏の結婚を容認するとの考えを示した。
 だが、金銭トラブルを抱えたままの結婚に対する国民の反発は今でも根強い。西村長官は同年12月10日の定例会見で、「きっちり説明することで批判に対しても応えていける。説明責任を果たすべき方が果たしていくことが極めて重要」と指摘、小室氏に対応を求めた。
 4月8日、小室氏は母親の代理人を通じて文書を発表した。概要4ページ、本文24ページという超長文の文書は、分量だけでも大きな話題となった。
 この“小室文書”は、解決金の問題に言及した。《解決金をお渡しして和解することができればそれがよいのでは》と考えた時期もあったと明かしたのだ。しかし、弁護士に相談したことで方針を変えたという。
《複数の弁護士に意見を求めたところ、たとえ解決金としてお金を渡したとしても、そのお金は借金の返済だったと誤解されてしまうだろう、世間からはやはり借金だったのだと見られてしまうだろうがそれでもかまわないか、といったアドバイスを受けました》
宮内庁長官の“太鼓判”
 小室氏は《話し合いもせずにお金をお渡しするという選択はしない》と決断。《借金でなかったものが借金であったことにされてしまう事態を受け入れることはできない》と考えたという。
 特に自分と母親が「借金を踏み倒そうとしていた人間」だと見なされることに強い異議を表明。更に、解決金の支払いは《将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します》とまで踏み込んだ。
 眞子さまや秋篠宮さまが《借金を踏み倒そうとした人間の家族》として見られる可能性があると訴えたことになる。
“小室文書”が発表されたのと同じ日、西村長官は定例会見に臨んだ。記者から文書についての質問が行われると、次のように評価した。
「非常に丁寧に説明されているなという印象です。私としては小室さんのお母さんと、元婚約者との間のいわゆる金銭トラブルといわれている事柄の事実関係や、話し合いの経緯についても理解できた」
突然の解決金
 更に翌9日には、加地隆治・皇嗣職大夫が定例記者会見で眞子さまのコメントを明らかにした。「今回発表された文書を読まれていろいろな経緯があったことを理解してくださる方がいらっしゃればありがたい」というものだった。
 宮内庁も眞子さまも一丸となって“小室文書”によって国民が納得してくれるように求めた。ところが、である。それから4日後の12日、小室氏の代理人はメディアの取材に応じ、「解決金を渡す意向がある」ことを明らかにしたのだ。
 NHKが同日に報じた「小室圭さんの代理人『解決金を渡す形で解決する意向』 母親と元婚約者との金銭問題」から一部をご紹介しよう。
《(代理人は)基本方針としていた十分な話し合いによる解決は難しいとする一方で、元婚約者の男性に支援を受けたことは間違いなく、小室さんも母親も一貫して感謝の気持ちを持っていると述べました》
《その上で、「今の時点では、話し合いというよりも、小室さんが元婚約者の男性に解決金を渡す形で解決する意向がある」と明らかにし、小室さんがこの点についても眞子さまと相談していると話しました》
宮内庁と小室氏の関係
 一体全体、何があったのか。つい数日前に解決金は払わない、《一般的には金銭トラブルと呼ばれていますが、切実に名誉の問題でもありましたし、今でも、同じように受け止めています》と啖呵を切ったばかりだったではないか──。
 小室氏の言動は全く理解に苦しむとしか言いようがないが、宮内庁への配慮も全くなかったことに気付く。
 何しろ宮内庁のトップが「非常に丁寧に説明されている」と太鼓判を押したにもかかわらず、数日が経過すると、その内容が書き手によって否定されてしまったのだ。皇室ジャーナリストの渡辺みどり氏は、こう指摘する
「文書が発表されるまでは、宮内庁と小室さんは歩調を合わせていたように見えていました。文書の内容についても、宮内庁長官と眞子さまご自身が評価していると明らかにされました。ご結婚に賛成か反対はともかくとして、眞子さまと小室さんがご結婚にむかって動き出されたと感じた方も少なくなかったと思います」
 昨年12月に西村長官が説明責任を求め、今年4月に小室氏は文書を発表した。この流れからも、両者の間でしっかりとコミュニケーションが取れていたことがうかがえる。
皇室の危機
 だが、解決金に関して西村長官は「全く聞いていない」と全否定したのだ。
「長官は率直に、事実を語ったのだと思います。小室さんがどのような判断から解決金を払う意思があると明かしたかは分かりませんが、宮内庁は寝耳に水だったに違いありません。宮内庁は『聞いていない』としか答えませんでしたが、内部では小室さんに怒り心頭でもおかしくないでしょう。まさに面子を潰されたということではないでしょうか」(同・渡辺氏)
 文書を発表すると、小室氏サイドは結婚に反対する世論が多数を占めることに改めて気付かされた。そこで前言を翻し、解決金を持ち出した──このような観測が報じられたのは事実だ。
 だが、急に解決金の話が持ち出されたことで、世論は更に強く反発した。「あの文書は何だったんだ」と非難が殺到した。
 小室さんの評価は下がる一方だが、渡辺氏は「小室さんの問題は、日本人の皇室に対する敬愛を失わせてしまってもおかしくありません。それほどの大問題なのです」と警鐘を鳴らす。
それでも結婚!?
「戦後、天皇家は一貫して、国民に愛される皇室を目指してこられました。昭和天皇、上皇ご夫妻、そして現在の天皇、皇后両陛下といった方々の並々ならぬご尽力の積み重ねにより、今では世論調査で8割近くが『皇室に親しみを持っている』と回答します。しかし、敬愛を獲得するのには長い時間がかかりますが、失うのは一瞬です。小室さんの問題で、日本人の心が皇室から離れるという可能性もあるのです」
 結局、となると、小室氏が解決金を支払うと言いだしたことは良かったのか、悪かったのか──渡辺氏は、そうは簡単な話ではないと言う。
「眞子さまが小室さんと婚約を破棄すれば、世論は歓迎するかもしれません。しかし、眞子さまのお心が深く傷つかれることは看過できない問題だと考えます。眞子さまは当然、ご自身の判断で幸せになろうとする権利をお持ちです。それを止めることは誰にもできません」
 結婚を強行すれば、日本人の心が皇室から離反するかもしれない。その一方で、結婚を認めないのも眞子さまにとって気の毒な話である……。
 まさに「あっちを立てればこっちが立たず」という難問だが、渡辺氏は「国民が納得できるかどうか、少なくとも2点のポイントがあるのではないでしょうか」と指摘する。
「まず1点目は、世論の反発が強い結婚一時金を辞退される必要があると考えます。最大で1億5000万円が予算として計上されたという報道もありました。小室さんと眞子さまが一時金の受け取りを辞退され、日本赤十字などに寄付されるわけです」
 2点目は、小室氏と眞子さまが日本国外に居住することだ。
「小室さんはアメリカ・ニューヨークのフォーダム大学に留学しています。また眞子さまも留学生の多い国際基督教大学からイギリスの大学院に進まれました。英語圏ならコミュニケーションにご苦労されることはないでしょう。日本の外で新しい生活を開始されたのなら、世論の軟化が期待できるかもしれません」
デイリー新潮取材班


油の新常識! どの油をとるかで太りやすさや病気のリスクが変わる

2021-05-07 08:30:00 | 日記

下記の記事は日経グッディからの借用(コピー)です

間違った常識がダイエットを失敗させる
いい油、悪い油の違いを知ろう(イラスト:朝倉千夏)
 見た目はもちろん、健康のためにも肥満にならないことが重要。でも、これまでのダイエットは「いかに糖質や脂質を減らすか」と我慢を伴うものが主流。
 ところが、我慢しなくても健康的に体重をコントロールできる方法があることがわかってきた。大事なのは糖質のとり方と選び方。たとえば、同じ量の糖質量でもい玄米と砂糖では太りやすさは違う。以前は太る原因と考えられていた油も、近年、種類によってさまざまな機能があり、なかには体脂肪燃焼を助ける働きをする油があることもわかってきた。
 このように、少し前まではダイエットの常識とされていたことの中には、最新研究によって覆されてしまったものが少なくない。ダイエットしてもなかなかやせない理由は、もしかしたらこういった「新常識」を知らなかったせいかもしれない。以下に代表的なものをいくつか挙げておこう。
果物はヘルシー! いくら食べても太らない
果物には、食物繊維やビタミン、抗酸化成分など健康や美容にいい成分がたっぷり! でも、とりすぎはやっぱり太る。
同じカロリーなら太りやすさも一緒
ごはんと砂糖は、カロリーが同じでも消化・吸収速度が異なるため、血糖値やインスリンの反応も異なる。この小さな違いが太りやすさの違いかも。
“体にいい油”はいくらとっても太らない
アマニオイルやオリーブオイルなど体にいい油でもとりすぎは禁物。1gで9kcalと高カロリーなのはどの油も一緒だ。健康のために多めにとるなら、その分のカロリー調整をすること。
朝はたくさん食べても太らない
朝の食事は、体温を上げ、1日の活動を促すエネルギーに。ダイエットするときは、朝食をしっかり、夕食は少なめがやせる近道。
糖も油もとる量を減らせばやせる
一般に、摂取カロリーが消費カロリーより少なければ体重は落ちるが、脂肪だけでなく筋肉が大幅に減っていた!なんてことも。
“王様の朝食”で体がやせたがる
日本人に多い夕食重視の食べ方は、ダイエットには向かないことがわかってきた。「『朝食は王様のように、昼食は貴族のように、夕食は貧民のように』と覚えるといい」(柴田教授)。
 時間栄養学に詳しい早稲田大学の柴田重信教授は「ダイエットにおいては朝食をしっかりとることが重要」と話す。「朝食をしっかりとっている人は、BMIや体重が少なく、1日のエネルギー摂取量も少なく抑えられるとわかってきた。特に朝食でとる糖質は体内時計を整えるカギになる」(柴田教授)。糖質をとったときに分泌されるインスリンというホルモンが、肝臓など代謝にかかわる臓器の時計のスイッチを入れるという。
 「それに、昼食や夕食後に比べ朝食後は代謝が高く、その後の活動でもエネルギーを消費できるので、多少、糖や油を多めにとっても問題はない」と柴田教授。
 摂取カロリーを減らしたいからと、むやみに朝食を抜くのはダイエットに逆効果といえそうだ。
糖質 はなぜ必要なの?
働き
体を動かす活動エネルギーだけでなく、全身の細胞の新陳代謝や、脳のエネルギーにもなる。素早くエネルギーになる。
食事での摂取量が少ないと
摂取量が少なくても、血糖値がゼロになることはなく、不足分は体の中でアミノ酸から糖を作る「糖新生」でまかなうことができる。
食事でとりすぎると
余剰分は、まずすぐ必要なときに使えるよう、筋肉などにグリコーゲンの形で貯蔵されるが、ここに貯蔵しきれない分は、中性脂肪に変換されて体脂肪の形で蓄積される。
脂質 はなぜ必要なの?
働き
少量で大きなエネルギーを作ることのできる効率のいいエネルギー源。細胞膜や細胞間脂質、ホルモン、生理活性物質の材料としても使われる。
食事での摂取量が少ないと
脂溶性ビタミンの吸収ができず、ビタミン不足になりやすい。また、新陳代謝が滞り、肌や髪の乾燥が進む。
食事でとりすぎると
余剰分は体脂肪として全身の脂肪細胞に蓄積される。