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「親の後始末をお金で解決したい」じわじわと増えつつある"家族代行業"のリアル

2021-05-30 16:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

虐待を繰り返していたような親でも、子供であれば老後の面倒をみなければいけないのか。ノンフィクション作家の菅野久美子さんは「そんなことはない。老親を施設に預けたあと、家族の代わりに最期まで施設とのやり取りを代行してくれる業者もある。一人で苦しまないでほしい」という――。
介護施設にいる母から「呪いの手紙」を送られてくる
「家族じまい」として親を捨てたい人たちがいる。
私もその一人。3歳から母親に強制的にピアノを習わされ、理不尽な暴力、ネグレクトに苦しめられてきた、今振り返れば「教育虐待」の当事者だった。
そのため、近著『家族遺棄社会』では、「家族じまい」と称されるような日本を取り巻く親子の現状について取材した。
取材を通じて最も深刻だと感じたのは、就職や進学、結婚などで一度は親から離れたと思ってもそれはつかの間の安息であるということだ。親に苦しめられた人は、介護から親の死までのラストランで、ふたたび地獄を見ることになる。介護施設や病院とのやり取り、葬儀や相続などの死後の手続き……。これも親子関係が悪いほど疲弊することになる。
他方で、核家族化が進む現代において、多くの子供は親とは同居していない。親と別居しているのに、親の介護が苦しい。なぜそんなことになってしまうのか。
『家族遺棄社会』の中で取材したAさん(50代・女性)は、まさにそのケースだった。Aさんは、母親の暴力や暴言、ネグレクトによって苦しめられた幼少期を過ごし、現在もその後遺症で摂食障害を患っている。
Aさんの母親は、現在秋田の介護施設に入所していて、関東在住のAさんとは物理的に距離も離れている。しかし、それでもAさんにとって、母親の存在はとてつもない重荷だった。Aさんのもとには毎月、介護施設の請求書と共に、母親の手紙や写真が送られてくる。Aさんは心の中で、「呪いの手紙」と呼んでいる。
ケアマネジャーには「お母さん、娘さんが自慢なんですよ」と言われ…
「こんな犬や猫も着ない服なんか送ってきて。自分のことを乞食かと思うこともあります」
母親が毎月送ってくる手紙には、毎回送ってほしいものが書かれているが、母親が希望するパジャマやインナーなどを送っても、感謝の言葉一つなく、前述の呪詛じゅそのような言葉を手紙で投げつけてくる。
さらに、母親は施設でトラブルを起こし、施設を転々として、その度に新しい施設探しに追われた。Aさんは看護師として介護施設に勤めているので、高齢者の対応は慣れている。それでも母親の存在は重くのしかかってきた。
担当のケアマネジャーにこれまでの事情を相談しても「お母さん、娘さんが自慢なんですよ」とにべもなく返される。一人っ子であるAさんの苦しみに寄り添ってくれる人はいない。それがつらい。孤立したAさんは、介護施設から連絡があると、一日気分が落ち込み、動悸どうきがして、仕事が手につかないこともあった。
そんな中、コロナ禍となり介護施設からの呼び出しもなくなり、Aさんはつかの間の安息を得たという。Aさんの母親は昨年末に肺炎で亡くなったが、心の底からホッとしていると胸の内を語ってくれた。
「私は看護師ということもあり、介護施設とのやり取りや、母が亡くなった後の葬儀の手配など、何とか自力でできました。でも普通の人なら、心が折れていたと思う。もし第三者の方がサポートしてくださるなら、それはとても助かる。これからの時代、私のように親と関わりたくないという人は増えてくると思う。だけど、現実問題として親子の縁はなかなか切れない。でも、やりたくないことは親子でもやらないほうがいい」
Aさんの言葉が私の胸に響く。遠方でも、物理的に距離が離れていても、親との関係の苦しさは変わらない。
介護施設に入居したときの第一連絡先を引き受けてくれる
家族関係の取材を続ける中で、介護から納骨までを一手に引き受ける「一般社団法人LMN」代表の遠藤英樹さんに出会った。
LMNは一種の「家族代行業」として、親の最後の「後始末」を手掛けている数少ない民間の終活団体である。LMNのサービスをわかりやすく言い換えれば、子供に代わって親の最期までを請け負うエンディング版の家族代行業だ。
ホームページによると、料金は、例えば82歳の親の介護施設入居から葬儀までサポートしてもらう場合97万円。もちろん、介護施設の月々の費用などは別になる。
サービスの一番のポイントは、LMNが介護施設の入所者の第一連絡人になっているという点である。身元保証人になるのは家族だが、本人の最期はLMNに任せることができる。つまり本人と家族との関わりを絶つことができるというわけだ。
「煩わしい親の後始末をお金で解決したい」という人が増えている
遠藤さんはそのメリットをこう語る。
「介護施設に親を入れたらもう大丈夫と子供は思いがちですが、それは落とし穴です。むしろ元気な頃よりも事務連絡などが多くなると思ったほうがいいくらい。さらに毒親であれば施設でトラブルを起こすケースもよくあるのです。その度に新たな施設を探すことになったりして、子供は苦しみ、悪循環のスパイラルに陥っていく。認知症になったら、『こんな施設にいれやがって!』『もっと高い施設に入れろ』などと、ますます親の無理難題や暴言に苦しめられるというケースもある。われわれは、そんな煩わしい事務連絡やトラブル対応を一手に引き受けているのです」
まさに、先ほど紹介したAさんのような人たちに、LMNの存在は必要なのだ。
煩わしい親の後始末をお金で解決したい――今、LMNにはそんな相談が急増しているという。
「われわれへの相談件数が、2020年には月5件程度だったものが、今は月25件と急増しました。この1年で5倍に増えたんです」
「身内の孤独死は恥」という意識も薄れてきた
私の取材現場においても、長年疎遠だった親の遺体の引き取りを子供が拒否するという事例に遭遇することが増えた。かつては「どんな親であっても、最後に葬儀ぐらいはあげる」という規範意識が強かった。だが、それも急速に弱まりつつあるのだろう。
また身内で孤独死が起こると、かつては「恥」とされて、隠されることがほとんどだったが、今は、「あそこで死んでたみたいです」などと、平然と口にされるようになった。また、警察などから突然連絡があり、会ったこともない叔父や叔母の葬儀を任され、戸惑う人たちもこれまで以上に増えているという実感がある。
無縁社会は音も立てずにひたひたと日本社会に押し寄せていて、それは親子関係においても例外ではなく、カネの切れ目が縁の切れ目となる。
遠藤さんによると、LMNに寄せられる相談の多くが親の介護に悩む40~50代の女性たちだという。この数字は、女性がまだ介護の担い手としての役割が大きいという現状を表している。
「親の面倒は子供が必ずみるべき」という固定観念を払拭したい
遠藤さんがこのビジネスを始めたのは、5年前だ。当時は身寄りがなく、比較的裕福なおひとりさまの高齢者を対象にした「終活サポート」を行っていた。しかし、事業を始めてみると、相談者の多くは本人ではなく、親族との関係に苦しんでいる子供たちだった。そのため遠藤さんは、彼らのサポートにまい進することになった。
「先日携わったのは、親の介護から納骨まですべてわれわれにお任せというケースでした。子供が来たのは、介護施設の事務手続きだけ。親が亡くなっても子供は姿を現さなかったので、亡くなったことだけは確認してもらいましたが、葬儀から火葬まで全てを私たちで代行したんです。われわれはそれぞれの親を捨てたいという子供の事情を深く聞くことはしないのですが、推察するにこの方は、いわゆる『毒親』のケースだったと思います」
それでもまだいいほうだ。子供とはメールのやり取りだけで、介護から納骨まで代行し、あっさりと完結するということもある。
「完全に親を捨てたいという人もいますが、介護から一時的に離れたいという人も多いんです。あと、自分や子供との生活で手いっぱいだったり、本人が病気で親の面倒をみられないというケースもある。子供には子供の「親をみられない事情」もあるんですよ。われわれは、親の面倒は子供が必ずみるべきという固定観念を払拭ふっしょくしたいと思っています」
親から迷惑をかけられたなら、後始末を誰かに任せてもいい
親の死後も安泰ではない。葬儀、お墓はどうするのか、納骨はどこに行うのか。また、実家の遺品整理など、片づけなければならない問題が山積しているのだ。
例えば遠藤さんは、親と遺恨があり、親の納骨には行きたくないという子供の要望を受け止める。そして、先祖代々の菩提ぼだい寺と3時間にわたって交渉を重ねることもある。「なんで子供が来ないんだ」と怒鳴る住職との仲裁に入り、納得してもらうまで話し合う。希望すれば、墓じまいのサポートも行う。
「自分たちが間に入ることで、子供の側にはそういった心労をなるべく減らして、最後に親が亡くなったときに『あぁよかった』という気持ちになってもらいたいと思っています。だから、私たちのような第三者の存在が必要とされるのでしょう。親から迷惑をかけられたとか、暴力を受けたんだったら、その後始末を誰かに任せてもいい。親はその前段階を放棄したわけだから、それがツケとして返ってきているだけ。だけど、日本の行政とか世間の倫理感は血をすごく大事にする。そのあつれきで、子供は苦しい。それなら私たちはその負担を減らすために働けばいいと思っています」
そう語る遠藤さんの言葉に、高齢の親を持ち、虐待の当事者である私自身、深く救われた気がした。
血縁というだけで全ての負担を負わせられる
家族を取り巻く環境を巡っては、少しずつではあるが、世間の認知も変わりつつある。最近では、週刊誌やマスメディアでも相次いで「家族じまい」「親を捨てたい人」「毒親」などの特集が組まれるなど、親と子を巡る世間のまなざしも変化の兆しがある。1997年に『日本一醜い親への手紙』という本が出版されベストセラーとなったが、当時まだ未成年だった私は、この本だけを唯一の心の支えに生きるしかなかった。毒親問題とは、まさに私にとって自分事である。
菅野久美子『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)
国立青少年教育振興機構が2014年9~11月、日米中韓各国の生徒計7761人に対して行った調査によると、「親が高齢となり、世話をすることになった場合どうするか」との質問に「自分でしたい」と答えたのは日本は37.9%で4カ国中最低だった。
この数字は、日本社会の過酷な現実を雄弁に物語っている。
私が長年取材している孤独死においても、疎遠だった親が孤独死し、その高額な特殊清掃費用や葬儀費用を子供が泣く泣く負担せざるをえないというケースに多々遭遇している。以前に行き場のない漂流遺骨の取材をしたことがあるが、その中には長年疎遠だった親の遺骨を押しつけられ、当惑している子供の声も多く聞いた。
血縁というだけで、全ての負担を負わせられる。そして、その胸の内を誰も理解してくれない。
そこには家族が形骸化した現代においても、旧態依然の血縁関係が非常に重視される日本のいびつな社会構造がある。遠藤さんらの草の根的な活動の輪が広がることによって、私のような親子関係に苦しむ人が少しでも減ればと感じてやまない。
菅野 久美子ノンフィクション作家


「妻は自宅、私は老人ホーム」65歳で施設に移り住んだ元数学教諭の終活設計

2021-05-30 13:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

「動けなくなってからでは遅いんです」
「問題は、自分が動けなくなった時にどうするのか、ということなんです」
小出順さん(66歳/仮名)にいきなりそう言われ、私は虚をつかれたような気がした。
正直にいえば、その「問題」について私は考えたことがない。昨今の60代の方々はとても活動的。むしろ体力を持て余しているようで、どちらかというと「動けること」のほうが問題ではないかと思っていたのである。
実際、知人の女性も父親の活動で悩んでいた。なんでも会社を定年退職した途端、毎朝、近所の山に登り、昼頃に家に帰るようになったのだという。まるで山に通勤しているようで、娘としては転んでケガなどしないかと心配でならない。大体、なんで山に登るんですか? と彼女は問題視していた。
考えてみれば、かつて日本には「姥うば捨て」という風習があった。60歳になると「六十落とし」「終命じゅんみょう」(『日本伝説大系』みずうみ書房 昭和57~平成2年)となり、山に捨てられる。奇くしくも「姥捨て」は定年と同じ歳で、その歳を迎えると人は山に引き寄せられるかのようなのである。
「体が動くうちは、動けなくなった時のことなど考えないんです。でも、ある日突然、病気などで動けなくなる。そうなってからでは遅いんです」
意識がはっきりしているうちに決める
——確かにそうですね。
うなずく私。動けるうちは動けなくなることなど考えたくない。私の母なども「動ける」ことを確認するために動いている節もあるくらいだ。
「私は自分で動いて、自分できちんと判断できるうちに準備しておきたい。自分の身は自分で処する。だから65歳でここに入居したんです」
現在、彼は伊豆にある介護付き有料老人ホームに住んでいる。入居金約3000万円で居室(2DK)と大浴場や図書室などの共用施設を終身利用できる。居室には緊急用コールや人感センサーが設置され、異常があればすぐにスタッフが駆けつける。
施設内の食堂を利用すれば食費は月約6万円(1人分)ほど。管理費や光熱費を含めると毎月、約15万円で生活できるという。
診療所も完備し、介護が必要になれば専用の居室への移転も可能。パンフレットによれば「ご家族や医師と綿密な連携をとりつつ、最後までご入居者本人の尊厳や意志を尊重した暮らしができる」そうで、まさに備えあれば憂いがないようなのである。
「きっかけは去年亡くなった母ですね」
小出さんが打ち明ける。
「5、6年前に認知症になりまして。それまでは保険証の番号まで暗記している頭のよい人で、私も『母には勝てない』とずっと思っていたんです。ところが、ある日突然わからなくなった。私のことを『近所のやさしいお兄さん』とか言い出したんです。あまりに突然のことで本当にショックでした。だから、私も意識がはっきりしているうちに決めなければいけないと思いましたね。子供に迷惑をかけたくないし、甘えたくありませんから」
小出さんは固い決心のようなのである。
資産のピークは定年になった時
——しかし、ちょっと早くはないですか?
不躾ぶしつけながら私はたずねた。備えが大切なのはわかるが、65歳はまだまだ若い。施設内を眺めても、入居者のほとんどは80代。颯爽さっそうと歩く小出さんは何やら施設のスタッフのようなのだ。
「それは裕福な人の考え方ですね」
——裕福?
貧乏人である私は目を丸くした。
「いいですか。我々庶民の資産のピークは定年になった時です。その後は年金しか収入がないので、長生きすればするほど資産は目減りしていく。80歳になってこうした施設に入ろうと思ってもお金が残ってないんです。我々庶民は退職金があるピークの時しか入居金を払うチャンスがありません。唯一のチャンス。これはタイミングの問題なんです」
グラフを描くように彼は熱弁をふるった。同施設の入居の条件には「65歳以上」とあるが、実は65歳がラストチャンスらしい。
——タイミング、ですか……。
退職金もなく万事に無計画な私はうなだれた。私にはそのチャンスはなく、タイミングもすでに逸しているではないかと。
彼の合理性に圧倒されるばかりなのだが、聞けば、小出さんはもともと高校の数学の先生だった。現役時代のモットーは「学びに妥協なし」。人生の信念は「真理の追究は不断のテーゼ」とのことで、常に問題を立てて解答を導き出すアルゴリズムに生きているようである。
「勉強はひとつの習慣なんです。たとえできなくても取り組む。取り組むことで生きていく自信につながるんです。0点であっても鉛筆を握ること。やろうとする姿勢。できなくて悩む子がいれば、絶対わからせてやろうと気持ちがムラムラわいてくる」
覚書に記された退職後のモットー
彼は私の取材に備えて履歴・職歴をまとめた覚書を用意してくれていた。それによると、26年にわたって教員をつとめ、教頭、校長になり、60歳で定年。再雇用で進路指導を担当する嘱託となるが、友人に「君は数学を教えている時に輝いている」と言われ、1年で職を離れて地方の新設校の立ち上げに参加。副校長兼数学の教員として生徒指導にあたり、65歳で退職した。
「卒業生の中から東大合格者も出て学校も軌道に乗ったので、自分の役割は終わったと思いました。その先は、社会へのご恩返し。何か人の役に立って、そっと生きていきたいと決めたんです」
覚書に記された退職後のモットーは次の通り。
セカンドライフはボランティア精神を発揮、小さく社会に貢献していく人であり続ける。
「子供に甘えたくない」「そっと生きる」「小さく貢献する」……。おそらく人に迷惑をかけたくない一心なのだろう。いずれにせよ彼はモットーに基づき、来日したミャンマー難民のサポート、市民大学での数学講師、さらには観光客に近隣の自然を解説するボランティア活動に励む。最近では老人ホーム内で入居者向けに「数学講座」を開いたそうだ。
「私自身は日本の美学、侘わび寂さびに興味があって、今、百人一首を全部暗記しようと勉強中です。和歌をすっと言えたり、解説できる人にもなりたくて。だから現役時代より忙しい感じ。もっと時間が欲しい」
ひとりだと寂しいけど、ふたりは鬱陶しい
毎朝8時前に起床。食堂で朝食をとり、午前中は居室で読書と勉強。昼食は自炊して午後からボランティア活動に出かける。寸暇を惜しんで学ぶ「定年後」を送られているようなのだが、私にはどうしても気になることがあった。
——すみません。小出さんはひとり暮らしなんですか?
「はい」
淡々と答える彼。「奥様は……」と言いかけると、
「妻は今も自宅に住んでいます。彼女は彼女でやりたいこともあるから」
——えっ、それで問題はないんですか?
思わず私は問うた。そのほうが重大な「問題」に思えたのである。
「いや、特に問題は……」
——そうなんですか?
「もちろんここには夫婦で入居する人たちもいます。でも旦那さんのほうに訊くと『ひとりになりたい』とかこぼしていますよ。ひとりだと寂しいけど、ふたりは鬱陶しい。そのあたりの兼ね合いは難しいですね」
——奥様とは話し合って、入居を決められたんでしょうか?
「私たちは将来について心配する度合いが違うんです。私は自分ができるうちに判断したいと考えましたが、妻はそこまでは考えていない。それにお互い、やりたいことがあるんです。やれるうちはそれぞれ好きなことをしようと……」
夫婦愛に正解はない
彼によると、夫婦の間には次のようなルールがあるという。
髙橋秀実『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』(ポプラ新書)
・責任をもって子育てをする。
・きちんと生活できれば、それぞれのやりたいことを尊重する。
ふたりの子供を育て上げた彼ら。ルールに照らし合わせると、別居は正解ということになるのだろうか。
「実は妻も教師で、現役時代はふたりとも忙しかったんです。土日も部活動などがありましたからね。ある意味、すれ違いの生活。地方に単身赴任していた時も身の回りのことは自分でやっていたので、私はひとりでも大丈夫なんです」
——寂しくないんですか?
私がたずねると彼は小首を傾げ、こう答えた。
「ここは書斎っていう感じですかね」
——書斎?
「昔から私は家に書斎が欲しかったんです。でも安月給ではそんな贅沢はできません。今になってようやく書斎が持てた。夢がかなったという感じですね。それに住むところがふたつあったほうがいいんじゃないかと思いますよ。別荘感覚で」
定時にチャイムが鳴るこの老人ホームはどこか学校に似ている。彼にとって馴染みのある場所なのかもしれない。
——奥様も来られたりするんですか?
「来ようと思えばいつでも来られます。来たければ来ればいいんです。居室はふたりで住めるし、子供部屋だってあるんですから」
——じゃあ、いずれはふたりで暮らすことも……。
「それは考えないようにしています」
——なぜ、なんですか?
「ここで私が『来てほしい』と言うと、彼女の今の生活を『やめろ』と強要することになるじゃないですか。やれるうちはお互いにやりたいことをやる。それがルールですから言いたくても言えない……」
数学的な問題と違って、夫婦の問題は「上手く説明できない」とのこと。これも切り出すタイミングの問題のような気がしたが、ふたりの間の「真理」は知る由もない。


小室さんの解決金 眞子さまが「私が払う」と持ちかけた可能性も

2021-05-30 11:00:00 | 日記

下記の記事はNEWSポストセブンからの借用(コピー〉です

4月8日に公表した28枚に及ぶ文書で、母・佳代さんと元婚約者Aさんとの金銭トラブルについて釈明した小室圭さん。この文書について、秋篠宮家の最側近である皇嗣職大夫が会見で、「眞子さまのご意向が大きかった」と語り、波紋を呼んでいる。
「宮内庁が『眞子さまのご意向』を明らかにした時点で、眞子さまの“介入”を隠す気がないことは明白です。問題が解決するまで、眞子さまはさらに積極的にかかわられていくことになる」(宮内庁関係者)
 文書では「返済の義務はない」という主張を繰り返した小室さんだが、その後、一転して解決金を払い、事態の解決へ前進したいとの意志を表明した。
 ここで大きな焦点になるのが、「解決金はどこから出るのか」ということだ。佳代さんは婚約時、「当面の生活費を借りたい」「とりあえず10万円程お願いしたい」といった“ヘルプメール”を事あるごとにAさんに送っていた。婚約解消の1年後にはAさんに「仕事がいつクビになってもおかしくない」「女が1人で生きていくのは大変」と自らの困窮具合を語っていたという。
 小室さんに至ってはまだ学生の身。学費は奨学金で賄い、生活費は以前、日本で勤務していた法律事務所に借りているという。小室家にはとても、解決金を支払える充分な経済力があるとはいえない。
「解決金の出どころとしてまず考えられるのは、前勤務先の法律事務所でしょう。生活費以外にまとまったお金を借りて解決金としてAさんに渡した後に、結婚時に税金から眞子さまに支払われる約1億4000万円の一時金から返済する算段ではないでしょうか。秋篠宮ご夫妻が手を貸されることは考えられません」(皇室ジャーナリスト)
 一方で、こんな声もある。
「眞子さまならどうでしょう。秋篠宮家としてではなく、眞子さま個人として援助をされる可能性は充分に考えられる。解決金という手段を眞子さまが提案されたという見方があり、だとするならば眞子さまが責任をもって支払われようとする可能性もあります。“私が払うから”と小室家に持ちかけられたのかもしれません」(皇室関係者)
 宮内庁の予算の中で、皇族としての品位保持に充てるためのお金を「皇族費」と呼ぶ。皇室の公的活動経費である「宮廷費」とは異なり、各皇族の「プライベートな御手元金」だ。眞子さまのような、「独立の生計を営まない成人した内親王」には、年間915万円の皇族費が支給される。しかも非課税だ。眞子さまは10月に30才となられるため、成人されてからの10年間だけでも、支給総額は1億円に迫る。
「皇族方の倹約精神は広く知られるところですから、小室家を援助されるだけの蓄えは充分すぎるほどあるでしょう。眞子さまが小室さんを助けたい一心で『自分が解決金を払う』と決断されたら、止められる人はいるのでしょうか」(前出・皇室関係者)
小室家の借金が税で賄われる
 かつて佳代さんは金銭トラブルの解決のため、秋篠宮ご夫妻にも“ヘルプ”を求めたことがあったという。
「金銭トラブルが報じられた直後、佳代さんは秋篠宮邸を何度か訪れる中で、ご夫妻に“騒動を収めるために皇室でお金をサポートしてもらえないか”と発言したと聞きます。紀子さまはあ然とされたといいます。もちろん、ご夫妻がお許しになるはずがありませんから、きっぱりと断られたそうです」(皇室記者)
 しかし、ここに来て眞子さまが解決金を“肩代わり”される可能性が浮上した。
「元を辿れば、ここまで小室家の金銭トラブルへの批判が大きくなったのも、その解決に税金が使われることへの忌避感を持つ人が多いからでした。ですが、眞子さまが御手元金から解決金を出されるようなことがあれば、それは結局、税金で小室家の借金が賄われることになります。
 眞子さまとしては、ご結婚は“プライベート”なことで、解決金の出どころについて国民への説明は必要ないとお考えなのかもしれません。しかし、説明がなければあらぬ憶測を呼ぶ。充分な説明をするのが最善なのではないでしょうか」(前出・皇室関係者)
 そんな中でAさんが発表した文書で《現在、佳代さんは体調が悪く、長期間の入院中と伺っております》と明かした、佳代さんの「長期入院」。しかし、本誌・女性セブンは5月3日の夕暮れ時、神奈川・横浜市内の自宅マンション近辺でベージュのロングワンピースに同系色の女優帽を合わせ、グレーのカーディガンを肩がけした佳代さんの姿をキャッチしている。
「4月には仕事にも出ていて、このGWに自宅にいるという時点で、長期の入院ということはないでしょう。誰に相談して佳代さんはこのようなことをAさんに告げたのか。どちらにせよ自分の借金問題を眞子さまに丸投げしているようにしかみえません」(前出・皇室ジャーナリスト)
 金銭トラブルの解決になぜ眞子さまが対峙しなければならないのか。どこまで進んでも違和感は拭えない。


「プライドを手放せない人」が年々つらくなる必然

2021-05-30 08:30:00 | 日記

下記は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

人生100年時代を幸せに生きるには、「プラス思考で生きるための転換力」が重要なようです。浄土真宗本願寺派 超勝寺の住職、大來尚さんによる連載「人生100年時代を幸せに生きる明日への一歩」。エンターテイメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けします。
弱みの見せ方がわからない
本当はつらい、しんどい、泣きたい、誰かに頼りたいという思いがある。しかし、それを過去の経緯やプライドからか、素直に他人に伝えたり、相談することができず、人前では毅然とした態度をとっていたり、何気ない顔をして誤魔化していたりする傍ら、陰で人知れず苦しんでいる方も多いのではないでしょうか。
アルファポリスビジネス(運営:アルファポリス)の提供記事です
例えば、少し前のことですが、私のところに相談にやって来た方の1人は、生理現象に関するお悩みを打ち明けられました。その方は、足腰の老化が進み、夜中に1人ではトイレに行けず、家族からはオムツを履くことを進められているけれども、どうしてもそれはできないと仰っていました。
これまで家族の大黒柱として胸を張り、強く生きてきた自分が、家族に格好悪いところを見せることはできない。しかし、それで家族に迷惑をかけていることは事実であり、いたたまれない気持ちでつらいというお悩みでした。
本当は頼りたいけれども、今さら頼れない。人に甘えることができれば、弱い自分をさらけ出すことができたらどんなに楽でしょう。
しかし、それができないというような心情は、誰もが大なり小なり一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
このような複雑な気持ちを和らげるのに役立つ考え方を紹介したいと思います。
難しく考えない
まず、明確にしておくべきことが1つあります。それは、自分にとっての「弱みとは何か」ということです。
人にはそれぞれ「弱み」があるものです。それはきっと、人には知られたくない素顔、性格、事実、過去だったり、おそらく無数にあることでしょう。
しかし、それらの「弱み」を作りだしている根本的なものの正体とは、一体何なのでしょうか。
「弱み」という名の「プライド」
それは、今の自分を守りたい、かわいく思いたいという「プライド」なのではないでしょうか。こうなると、話は簡単です。この「プライド」を捨てるなり、手放すなりすればよいということになります。
しかし、それができたら誰も苦労しないはずです。
大事なのは、ここからの「プライド」の受け止め方です。
私は、「プライド」は大事だと思います。それがあるからこそ「生きる」ための活力が生まれるからです。
一般的には「プライド」は否定的に捉えられることが多いと思いますが、長年にわたり蓄積されてきた「プライド」に関していえば、守るべきものだと私は思います。
そのうえで受け止めるべき事実もあります。それは、すでに自分の「弱み」という名の「プライド」は家族や近い関係にある方々には周知のことだということです。
自分では必死に隠してきたつもりでも、とうの昔にバレており、実はもう今さら隠しようがないのです。
これは換言すれば、「弱み」をひっくるめた存在として、その人が認められていることになります。このことを事実として受け止めると、少し気持ちが楽にあるではないでしょうか。
肩に力を入れて、無理に「弱み」を見せまいとしたり、変に周囲に気を遣わなくてもいいのです。大前提として、今の自分のままで安心していいのです。
しかし、「本当に?」と懐疑的になることもあるかもしれません。そんな気持ちに寄り添うお釈迦様の言葉があるのでご紹介します。
「避(さ)くべきを避くべしと知り、避くべからざるを避くべからずと知る。このように正しい見方のできる者は、幸せの道を歩むなり」(『法句経』319)
この言葉から学ぶべきことは、普通は避けたいと思ってしまう自分の「弱み」を「弱み」としてきちんと認めることが大切であり、それが人を幸せに導いてくれるということです。
人によっては、「弱み」を認めることができない方もおられます。そのような方は、執拗な頑固さや意地によって、余計に苦しみが増大していると思います。
「プライド」を手放すように心がけて生活する
しかし、この後が大切です。それは「弱み」という名の「プライド」を少しでも手放すことのできるものがあるならば、手放すように心がけて生活することです。
おそらく、人によっては「プライド」を本当にすべて手放さなければならないときが来るかもしれません。
例えば、オムツの話に戻りますが、まったく歩けなくなったり、排泄などの生理現象の感覚がわからなくなってしまうなど、どうしようもなくなるときも必ずあるはずです。
しかし、そんなときが来るまでは、絶対に譲れない「プライド」は大切にすべきだと思います。
最後に私の好きな言葉を紹介します。
「渋柿の渋みがそのまま甘みかな」
人間には、「弱み」があってよいのではないでしょうか。むしろ、それこそ人間味があって安心されるものだと思います。「弱み」もなければ、自分も自分ではないんだと思って、気持ちを楽にして生活してみてください。 
アルファポリスビジネス編集部