日記

日々のあれこれ

岡山買い物旅1

2023年09月19日 | 旅行

美味しいブドウが食べたいなあ・・・と言うことで、岡山県津山へ行っていました。

4年前の9月、岡山県津山市の古い街並みにブドウの問屋があり、ピオーネの粒をパック詰めにしてわずか100円で売っていました。

城下町・津山を歩く - ブログ (goo.ne.jp)

街歩きの途中で食べたそのブドウがあまりにおいしくて、その記憶消し難く、9/17日曜日また出かけることにしました。

山陽道→岡山道→中国道と車で3時間かけて目指すは津山市のJA直売所「燦燦つやま」

着きました。野菜に果物、花など。どれも安くて新鮮です(嬉)

買い物いろいろして、やれやれ一安心。

続いてこちらへ。

PORT ART&DESIGN TSUYAMA (port-tsuyama.com)

旧出雲街道沿いの古い建物が文化施設に・・・という予備知識でしたが、洋風の門の向こうにお寺?とびっくり。

こちらは1920年に建てられた妹尾銀行林田支店とのこと。銀行だったんだあ~

国の登録有形文化財とのことです。

ケヤキ無垢材のカウンターで、やっと銀行と気がつく私。

ものすごく凝った造りの天井。壁面の細かな組み木細工はイスラム建築のようでもありますが、やはり和風の西洋建築。

折り上げ格天井に、豪華にシャンデリア。恐れ入りました。

そして陰陽を結ぶ城下町だった津山の繁栄ぶりも偲ばれます。

後ろは倉庫など。アートの展示をしていました。この日は和紙を使った作品いろいろ。作者も在室。素敵な服にアクセサリー。芸術にたずさわる者は自分の装いも作品の一部。参考になりました。

施設の入場見学は無料です。カフェのみ有料。100年前の銀行でお茶するのも一興。


続いて食事処を探して駅へ。

津山駅で。右の人の出身地。実家の薬局や通った学校など、ファンが巡るそうです。

いまや立派な観光資源、地元に貢献されています。

駅近の食堂で津山名物ホルモンうどんというのを食べました。B級グルメです。

うーーーむ・・・・・

この頃から、ものすごく暑くなります。この日は最高気温が37度あったそうで、暑さに判断力も鈍りがち。味よりも暑さに気を取られています。


以前はお城の東側を歩いたので、今度は西側。いずれも旧出雲街道沿いに昔のたたずまいが残っています。

これはすごいわ~

コンパクトながら洋風建築の意匠はうまく取り入れ、バランスの取れたデザインの洋館。

今は城西浪漫館として、カフェ、土産物販売、貸しギャラリーなど。

元は1917年完成の中島病院の本館だったそうで、隣接して今も病院があります。車は病院のPに停めます。

カフェのマントルピース。

天井。

階段で二階へ。

この階段、好きです。踊り場と窓、漆喰の壁など。

NHKの「あぐり」のロケにも使われたとのこと。よくメンテナンスがされています。見学無料。

二階には設立者中島琢之の資料を展示。

1885年、現津山市で医師の家に生まれ、東京帝国大学医科大学(現東大医学部)を卒業して日本医科専門学校(現日本医科大学)の教授、内科医をしていたけれど、地元に熱望されて帰郷。

再び東京へ戻りたいと希望していたけれど、地元名士が協力してこの立派な病院を建てて引き留めたとのことです。

山の中の小さな町ではなく、広々とした盆地の経済力に支えられた豊かな町だった往時の様子がしのばれます。


津山城下町歴史館。

お祭りの山車の展示、保管。

入場無料。津山は見学にあまりお金が掛かりません。感謝。


続いて衆楽園へ。藩主の別邸だったそうです。

こちらも無料。

回遊式庭園。往時よりはだいぶ狭くなっているとのこと。南隣の市役所などもこの庭園の敷地だったそうです。

休み処。

以前は大広間と二階が無料公開されていて、お茶も飲み放題でしたが、この日は閉まっていました。残念です。木造建築は毎日開けて風を通した方がいいそうですが、閉まっていてはいかんともしがたし。

2019年9月。


続いて湯郷温泉へ。

車で40分ほど。着きました。

部屋広いです。温泉街と山が見えます。

昭和の時代の大変賑わった温泉。四国からは社員旅行で行った話をよく聞いていました。今は高速道路利用の関西からの家族旅行が多い印象でした。


長くなるのでこの項続く。

おまけは衝撃の昭和の一皿。

翌日、某温泉の喫茶店では昭和のスパゲッティが健在でした。

昔風のソーセージ、ピーマン、玉葱、目玉焼きなどが入っています。これが定番でした。

作り方(類推)

ソーセージ、玉葱、ピーマンを油で軽くいためる。

ピーマンと玉葱の生の食感を残すため、火を通し過ぎない。

冷蔵庫からあらかじめ茹でておいたスパゲッティを出して、フライパンで温めて具材を加え、ケチャップで和える。

ステーキ皿で目玉焼きを作り、その上にスパゲッティを載せて熱いうちにいただく。

この料理のポイントはあらかじめ麺をゆでておくこと。数日前のでも可。トマトソースの代わりにケチャップがmust。決してトマトソースは使わない。

本当に久しぶりに出会って、数十年前に戻されるようでした。懐かしいと言うよりはこんなんだったんだと忘れていた記憶がよみがえる感覚。

若い人からは何それと言われそうだけど、私達の若いころはこれを食べていたんだよ。喫茶店でケチャップ味のスパゲッティ食べて、恋愛していたんだよ。

歌手のロザンナさんが50年くらい前イタリアから来て、日本のスパゲッティがショックだったと言っていましたね。ケチャップが。

コメント (4)

滋賀、癒しの眺め

2023年08月05日 | 旅行

伊吹山は滋賀と岐阜の県境にある山です。

登山バスの中から伊吹山を振り返ります。

秀麗な山です。近年は雪が少なくなって、それで山野草にもダメージがあるのかなと思いました。


関が原から米原乗り換えで滋賀県の草津まで行きます。

米原への途中、時々、伊吹山が見えます。立派な山です。

草津で下車。駅前から路線バスに乗る。少し行くと広い水田地帯。

民家、寺院、墓地、向こうは近江富士でしょうか。

行けども行けども水田。日本のお米が育っています。

向こうは比叡山。手前の琵琶湖のほとりまで行く予定です。

久しぶりに水田を見て、代わらぬ農村地帯の眺めに癒されました。

我が実家では水田の向こうは八栗、屋島と決まっている。それと似た景色。

夏休みの図画の宿題は景色を描く。圧倒的な緑の世界。緑の絵の具がすぐなくなっていた。

それにしても琵琶湖が遠い。暑さも37度くらい。気持ちをしっかり持ってないとすぐクラクラしそうです。行く先は琵琶湖水生植物園。こちらでも植物いろいろ観察予定。

コメント (4)

5/27 久留米、青木繁旧居へ

2023年05月29日 | 旅行

5/27~28まで九州を旅行していました。メインは霧島連山の韓国岳登山ですが、前日は久留米の街を歩きました。

麦秋。久留米の手前で。麦畑を久しぶりに見た。

麦は稲の裏作として広く作られていたけれど、ある時から突然作らなくなった・・・と農村育ちの私は記憶している。麦の輸入が自由化されたときと重なるのかも。

着きました。夫は午前中仕事で、新八代駅前のホテルで合流予定。

一人旅です。この解放感~♪

駅前、バス乗り場のモニュメント。青木繁の「海の幸」の部分。

前日、久留米で行くところを調べるうちにこちらの生まれと知りました。

私は、この絵から連想して千葉県の人とばかり思っていた。お恥ずかしや。

坂本繁二郎も久留米の人。青木繁の小学校の同級生で、同じ画塾に通う仲間でもありました。この人は87歳まで長生きして文化勲章も貰っている。

旧居まで歩いて行くことにしました。近道してJRの線路沿いに。

暑い。

着きました。小さな家です。

無料です。見学者は私だけでした。

最近、立ち回り先が妙に世間とずれている私。

本人のサインはAWOKI・・・古い発音でしょうか。

木戸を通って庭に廻ります。

奥にレリーフがあります。

代表作「海の幸」。

木造二階建て。110.6平米。17歳で上京するまで住んでいたそうです。

昔の家。私が子供のころはどこの家もこんな感じ。懐かしい。

座り机も今はあまり見なくなりました。

ここで受け付けの方が来て、この建物を保存するに至った経緯を話してくれました。

建物は6回持ち主が変わり、最後は近くにあるムーンスターという会社の社宅だったそうですが、老朽化して取り壊し、駐車場にすることになったとのこと。

それを地元民が中心になって保存活動をし、一度解体して新しい部材も足して建て直して記念館として開館したそうです。

今も管理はボランティアの皆さんで、光熱費は市が負担しているとのこと。

複製画は地元ブリジストン美術館の許可をもらって、こちらも寄付で製作したそうで、市民が中心になった保存運動のお話に感動しました。

複製画はすべて実物大だそうで。

意外と小さいですが、絵の力で大きく感じさせるのでしょう。

大きな魚を背負って、前進する人の群像。体格は当時の平均的日本人のそれではなく、ギリシア彫刻を連想します。肉体への、人間への賛美。

見て心地よいのはなぜ?

多分そこにはよきものしか描かれていないから。

「わだつみのいろこの宮」

日本の神話を西洋画の技法で描くところが新しかったと思う。

青木繁の絵には、それまでの日本の絵にはなかった情念の解放があるのでしょうか。

描く人の気持ちに触発されて、鑑賞するこちらも豊かな気持ちになれる気がする。

こちらも神話を題材にしたそうです。

短い一生だったので絵はそう多くないそうですが、こちらは複製画がこの他にもたくさんあって、一度に見られるのはここだけ。見ると画業の流れも分かる仕組みになっています。

絵で身を起こすと17歳で勇躍上京し、東京美術学校で学んだ青木繁。

しっかりした顔つきをしています。

台所の土間から茶の間を見る。そこに絵があります。

長い絵のあるのは階段下の物入だった部分でしょうか。

美術館の空間で見るのとはまた違った趣き。

ここに住んでいた人が描いたのだと思うと親しみがわきます。

帰ります。受け付け、手洗いなどのある建物はあとから建てられたようです。

静かな住宅街の中の小さな記念館でした。

才能のある若い人が志半ばで倒れるのは痛ましい。その気持ちが保存運動の原点になっているのかなと思いました。

内縁の妻がいて子供もいたそうです。同じ絵の仲間で、一緒に写生旅行にも行く間柄。幸せな時間があってよかったなあと思いました。

それにしても結核です。滝廉太郎、樋口一葉、正岡子規、少し時代が下がるけれど立原道造、中原中也・・・みんなもう少し生きていて欲しかった。生きて、自分のしたいことを極めてほしかった。

いたずらに齢を重ねた私は、明治の青春にしばし思いを馳せたことでした。

すぐ近くにあります。最後はこの会社の社宅だったんですね。運動靴、スニーカーの老舗メーカーです。古い由緒ありげな建物も見えています。

この後、歩いて駅まで歩いて戻り、坂本繁二郎生家へ。近道もあったのに大回りして、そしてやっぱり暑かった。五月とは言え夏日。夏の徒歩の旅は苛酷でありました。

コメント

久留米、青木繁旧居へ

2023年05月27日 | 旅行


久留米駅から歩いて15分くらい。青木繁が上京するまで住んでいた家。
最後は企業の社宅で、老朽化で取り壊され駐車場になる寸前、地域の人が保存運動を始めて市当局を動かし、幸いにも残りました。
青木繁の複製画をすべて原寸大で展示してあります。
青木の人生は短かったけど、その芸術は永遠。生きていればどんな絵を描いたのでしょうか。
コメント (2)

5/11 奈良県吉野を歩く

2023年05月22日 | 旅行

さて、5/11の吉野散策の続きです。金峯山寺蔵王堂を後にさらに上へと歩きます。

吉野山の見どころの一つ、義経が潜み、後醍醐天皇が南朝を置いた吉水神社を訪ねます。

山の中の小さな神社です。

書院の一室に義経の部屋があります。時代で言えば800年以上前。この建物にいたわけではないでしょうが、ロマンを掻き立てられます。

床の間、畳敷きの書院造は後の時代のもの。さらに秀吉が寄進して修復したそうで、初期の書院造りの形がよく残っているそうです。

後醍醐天皇御座所。

秀吉寄進の壺。青磁。朝鮮製?

蝉丸所蔵の琵琶との説明。古いです。

義経の鎧。

後醍醐天皇が使っていた硯と硯箱。

秀吉が寄進した釜。初めから脚が付いていて、竈が要らないのが便利。

屋外の茶会用かも。

役行者の厨子。昔の信仰は神仏習合。地方色もいろいろ。分けられたのは最近、明治になってから。


吉水神社の庭先は崖になっていて遠くの山がよく見えます。

後醍醐天皇は都の方を見て、いつか帰る思いを持っていたそうですが、叶うことなくこの地で没します。

今でこそ近鉄電車で行けますが、それでも山の深いことに変わりはありません。都を追われた人が頼る地が吉野。吉野にはそうさせる一大宗教勢力があったことでしょう。

吉水神社の庭に、ひっそりとフタリシズカが咲いていました。

まるで義経、静の生まれ変わりのような。あるいは日本史上で稀な、アクティブな天皇後醍醐の怨念が形になったような。

後醍醐天皇が隠岐を脱出して挙兵したのが、大山の外輪を形成する山の一つ、船上山。私はそこで2017年か18年、登山道を踏み外して斜面を転落。幸いススキが茂っていて怪我せずに済みましたが、あれも何かの怨念だったのかも。

自分の周りを突然ススキがグルングルンと廻り始めて、一瞬何が起きたか分からなかったけど、回っているのはススキではなくて私でした。

吉野と関係ないけど、後醍醐天皇と言えばあの船上山での転落を思い出す。

ハイ、粗忽な私でございます。

通りへ戻ります。新緑の季節。

再び金峯山寺の前を通って。

そば処で昼ご飯を。

再び門を出て。

オドリコソウ。

都会地のは花が小さいけれど、ここでは大らかな花。

帰りはバスに乗らず山道を歩いて下ります。

紅葉の季節もよさそうですね。

タツナミソウ。

吉野から近鉄に乗り、私は橿原神宮前から大阪南線で西へ。彼女は大和八木から東へと再会を約して帰って行ったのでした。

来年は三人で旅行できるよう願っています。


今日は所用で出かけて15時頃帰宅していたら、警察のバス型の大きな車両3台とすれ違った。中には警察官らしい人がぎっしり乗っていた。任務が終わって本務に戻るところでしょうか。

品川ナンバーの2台はまっすぐ北へ、鹿児島ナンバーの1台は交差点で西へ向かっていた。

サミット反対のデモも地元では行われましたが、殆ど報道されていません。

ゼレンスキー大統領の電撃訪問はアメリカの意向ではないでしようか。アメリカに話を通さずに日本が勝手なことできるわけがない。電撃訪問は劇的効果を狙っての演出。戦争への協力を各国に要請していましたが、仲介してもいいと言うブラジルの大統領とは会わなかったとか。そこに訪問の意図が見えますね。

ウクライナの戦争について、G7やG20の国で決めることではなく、国連で話し合うべきと言ったのもブラジル大統領でしたか。確かに。国連創設当時の理念が最近は忘れられがちのように見えます。第二次大戦終結直後の世界の枠組みがもう機能しなくなっていることでしょうか。世界はこの後しばらく、あるいはそれ以上にもっと長い間、混とんとした時代が続くのでしょうか。

と、ばあちゃんも、家のすぐ近くの、警視庁からの応援警官を連日見ながら、いろいろ考えたのでした。

コメント (2)

5/11 新緑の吉野を歩く

2023年05月17日 | 旅行

友達旅行2日目、引き続き好天。この日は吉野へ行きます。私は2度目、彼女は初めてです。

JR奈良から関西本線に乗り、王子で和歌山線に乗り換え、吉野口で近鉄吉野線に乗り終点まで。吉野は遠いです。9時前に出て、着いたのは11時前。2時間かかりました。

吉野山の尾根に登るのにロープウェーに乗りますが、この日は代替バスで。450円です。山道を歩いてもすぐですが、彼女は先月ちょっとした手術をしたばかり、無理をせずバスで。

バスは二人しか乗ってません。すぐにロープウェーの吉野山へ着きます。そこからほぼ平坦な、多少上りの尾根道を歩きます。

しばらくは食堂、土産物屋など。昔ながらのたたずまいで懐かしい雰囲気。

三男が京都に遊学中の20年くらい前に、ついでに来たけれど、京都のついでと言うにはあまりに遠い。その時はサクラの季節。夜行バスで天王寺まで。早朝に近鉄に乗り換え吉野まで。

上千本まで歩いて桜をたくさん見ましたが、今回は新緑を楽しみました。

ムラサキサギゴケ。

ヒメジョン。やや色がついている。最近は園芸種との交雑もあるのかも?

ウバユリ。友人が葉がユリでないみたいと言う。確かに。

門があります。通ってから写す。金峯山寺の門?変わった形をしています。

金峯山寺の本堂、蔵王堂。

堂々たる構え。前に来たときは世界遺産登録記念で内部を無料で見られたのに、先を急いでいて見逃した。

今回も有料ゾーンはパス。

仁王門は修復費工事中で工事幕が掛かっていました。

製材していない荒々しい柱が、修験道の総本山にふさわしい。

横の建物の前でほら貝の練習をしている人あり。近々、奥駆道へ行くのでしようか。

後ろの柱。昔はこんな材木がふんだんに調達できたことでしょう。

白鳳年間、役小角によって創建されたと伝わる本堂。立派。

店が並びます。

桜のシーズンも終わり、平日なので人はいません。

続いて吉水神社へ行きます。

少し下って、又上がります。

一目千本。秀吉が5千人の家臣を連れて花見をした場所と伝わる。

咲くとこんな感じ。今もヤマザクラを植え続けていると聞きましたが。

後醍醐天皇が南朝を置いた場所。元は僧房で、明治以後は神社になっています。

書院へは拝観料を払って見学します。

緑が濃く、山が深い。足利尊氏に敗れここへ逃れてきた天皇は都に戻ることなく、この地で没します。

書院の、源義経の潜んでいた部屋。建物は秀吉の寄進で修復されたそうです。

後醍醐天皇の玉座。書院自体、そう広くないので、夜はここで寝たのでしょうか。

京都、隠岐、京都、吉野と各地を転々とした天皇でした。

神社の文化財などはまた次の機会に紹介します。

今度は夫を連れて吉野に行きたいけど、巡回展の搬入に重なるかもしれない。秋にでもまた。

コメント (2)

5/10 午後、志賀直哉旧居とならまち

2023年05月17日 | 旅行

5/10 近鉄奈良駅で友達と待ち合わせ、バスで奈良ホテルまで。

 

百年以上前の辰野金吾の設計。

奈良ホテル|辰野金吾が残した大和モダン建築の最高峰 | 

機能は洋風、見た目は和風。木の質感が、古都によく合います。

食事して再び県庁前のバス停まで。ホテルの北側は池。ホテルの建物が木の間から見えます。

コロナの頃は安く泊まれたのでしょうか? 残念。

池の向こうは興福寺?

奈良的眺め。

気持ちのいい木立の間を通ってバス通りに出て、春日神社本殿へ行き、ささやきの小径から志賀直哉旧居まで。ここらあたりは前日通った同じ道。

志賀直哉の旧居付近。静かな場所です。

邸内へ入ります。

自ら設計した合理的な和風邸宅。ここに9年間住み、長編「暗夜行路」を執筆したそうです。

詳しい邸内の説明はこちらで。

志賀直哉旧居|昭和の文豪が愛した、奈良の家 | 大和モダン建築 

近年改修された食堂。上のサイトよりお借りしました。

華美と言うよりは施主のこだわりが随所に感じられる落ち着いた建物でした。

池。

二階から春日山が見えます。

庭。


見学後、破石われいし町バス停まで歩き、バスでならまちへ。

ならまちとは近鉄奈良駅周辺に広がる古くからの商店街。大阪から奈良へ観光に来る人相手に発展したのでしょうか。門前町のようでもあり、ぎっしりといろいろな店が並んで歩いて楽しい街です。水曜日で閉まっている店もあったのが、残念。

レトロ商店など。

近鉄駅前からバスでJR奈良駅まで。駅至近のダイワロイネット奈良へ投宿です。

ツインの部屋のシングルユース。向こうのベッドは荷物置き場にしました。

温泉付き、二食付き、旅行支援の2割引きで約15,000円。2,000円のクーポン券も貰えました。この支援、今はもうないのかもしれません。

友達はもともと座敷で布団で寝る派でしたが、こちらの方が気兼ねがなくていいと喜んでくれました。

そう、今回の幹事は私。もう一人の友達は春先にご主人が亡くなって今回は不参加。まだまだ大変かもしれませんが、来年はまたみんなで旅行したいものです。

コメント (2)

5/9 ささやきの小径、新薬師寺へ

2023年05月14日 | 旅行

近鉄奈良から春日大社本殿までバスで。

着いたらもう16時前。万葉植物園は16時半まで、また次の機会にします。

春日大社は1961年、1989年の二度参拝。今回はパスして二の鳥居前まで。

脇の森の中に道があります。

原生林のようなうっそうとした森の中に一本の道が。

春日大社の神官が自宅から神社へ通う道。

静かです。途中、外国人の二人連れとすれ違っただけ。

観光コースから外れると人は少ないです。

実は志賀直哉旧居への近道。

着きました。

ここも1989年に息子たち三人を連れてきました。小6、小5、年長だった息子たち、憶えているでしょうか。当時は公開されてなくて、門の前で写真撮った気がする。

ここは翌日、友達と行く予定なので、出てきたスタッフの方に近いバス停を聞く。

それならと、新薬師寺を勧められる。すぐそこです、と。

すぐそこでもなかった。西日が暑い。体調は絶不調。青い網はゴミ収集用?

広い通りから新薬師寺への道。

静かです。人通りはほとんどありません。

新薬師寺本堂。創建は747年。光明皇后が夫の聖武天皇の病気平癒を願って創建し、この建物はオリジナルだそうで、国宝だそうです。

昭和時代、薬師寺は官長高田後胤氏の人気で注目を浴びていました。その人気にあやかって新しくできたお寺とばかり思っていた私は、あまりにもの知らずでありました。

深く反省。

新薬師寺 公式ホームページ 薬師如来 (shinyakushiji.or.jp)

御本尊はずんぐりとした力強い仏さまでした。こちらも国宝。

それをぐるりと取り囲んで十二神像が。

新薬師寺 公式ホームページ 十二神将 (shinyakushiji.or.jp)

創建当時の神像、こちらも国宝。いゃあ、お寺は地味なたたずまいで観光客もほぼいませんが、こんなにたくさん国宝があるなんて。

奈良、侮りがたし。奇跡のように残った本堂に仏像の数々。先の世にもずっと残ってほしいものです。

庫裡から庭を見る。

新緑。


ここから破石町バス停まで20分くらい歩く。バスを20分くらい待ってJR奈良駅まで。とても暑かった。28度くらいあったのでは。

駅隣接のホテルへ。青い窓のところがラウンジ。大浴場に露天風呂は最上階だったかな。記憶あいまい。下にコンビニもあり便利。

駅隣接。

ラウンジでお茶飲んで駅中の店へ。

疲れているので遠くへ行けず、一階物産店「奈良のうまいものプラザ」の奥の食事コーナーで夕食にする。

「いまならキャンペーン2023」の2千円で間に合った。お店の方がとても親切で助かった。この付近からものすごく体調が悪くなる。

昼間が暑く、夕方からとても寒く、体がだるい。大浴場でよく温まり、葛根湯服用して寝るけれど、何度も目が醒める。

もう旅行止めて帰宅したい。けど、友人との約束があるのでそうもいかず。。。。


翌朝は早く起きて、友人が来るまでに万葉植物園を見る予定でしたが、10時過ぎまで部屋で過ごして少しはましになった。

ホテルの隣が駅。でも夜は静かでした。

5/10 今日もいいお天気です。頑張って観光しましょう。

コメント (2)

奈良の素敵なホテル

2023年05月13日 | 旅行

京都に比べ、奈良のホテルはゆったりしていて値段も1割くらい安い印象。あくまでも私の印象ですが。

何よりも、奈良の人はおっとりしていて旅行客に優しい。これからはせっせと奈良へ行こうと思います。

暑くて寒い時期は市内、春秋は郊外へ。

「旅愁~斑鳩にて~」(1977年)は松本隆氏の作詞。万葉集の文庫本は今もあるけど、ポケットカメラはもうない。今ならスマホ?しかし、見知らぬ少女にカメラを向けることは禁忌。

秋には、山野辺の諸寺を訪ねて歩いて見ましょうか。元気ならば。


ホテルです。

一泊目は奈良駅隣接。シングル朝食付きで旅行支援の1,720円、旅行サイトのポイントの6,800円が割引になり、結局80円で宿泊。

それにしても80円です。私は驚き、フロントでも驚かれた。買い物に使える「いまならキャンペーン2023」の2,000円がついていました。

部屋です。広くはありませんが、ものを取るのには便利。

駅の向こうはホテル日航奈良です。この付近は再開発されたのか新しいホテルが多いです。

広いラウンジはソフトドリンクとお酒類がフリーでいただけます。

駅中にはイオンもあり、お弁当買ってここで食べるのもいいかも。カウンターでは、女性が一人で食事をしていました。

屋根のある建物は観光案内所です。広場からは各方面にバスが発着しています。

今回の旅行では一人旅の女性をよく見かけました。いい時代になったもの。そして最近のホテルはおひとりさまでも過ごしやすいような工夫がいろいろ。

私も一泊目は一人。連れのあるのも楽しいけど、一人旅はしみじみと自由。自由な旅の好きな私です。


お買物券で駅中で食事。

夜はご飯、おかず、汁物がないと食べた気がしない。

カツが大きすぎて残してしまった。

お買物券で支払おうとしたけど、アプリを入れるのに失敗したらしく私のスマホは反応がない。

店のタブレットで読み取ろうとしてもこちらも反応なし。

店は土産物の販売とレストランのホールを一人でしていて、てんてこ舞い。

最終手段として20桁のチャージコードアルファベットと数字混じりを入れ始めたけど、面倒になって挫折。

再度タブレットで読み込んだらやっと反応した。やれやれ。その間、嫌な顔一つせずこのもたもたする高齢者に付き合ってくれた女性にはただただ感謝。

奈良の人は優しいと好印象を持ちました。

それにしても、アプリを読み込んだら、年齢やいろいろ聞いて来てとても複雑だった。読み込むだけにしてもらいたいもの。いえ、私の勘違いかもしれませんが。


フロントは四階。駅が見えます。このホテルは温泉付き。露天風呂もあります。

このあと歩いて数分の次のホテルへ行き、荷物の一部を預けて友達と待ち合わせて観光をしました。

二泊目は駅の反対側のホテルで。

ツインのシングルユース。旅行支援を使い、朝夕の食事つがついて約15,000円。こちらもお買い得でした。

食事は和食のコースです。

機織りに入選したので、友達がビールをおごってくれて二人で乾杯。それと私達の健康と若さも祈念して。

お刺身は洋風な盛り付け。

八寸。

メインは大和牛の鍋。

ご飯など。

デザート。

ホテルの和食でそう期待してなかったけど、いい方に期待が外れました。

ここでも一人旅の女性を見かけました。先日、eテレで一人旅へ挑戦する番組がありました。それが今はトレンドになりつつあるのでしょうか。


私は長い間、和風の宿が好みでしたが、最近のホテルは旅館のいいところも取り入れ、機能的で心地よくなっているように思います。うーーーむ、これからはホテルはになりそうな予感。

コメント (2)

奈良ホテルでランチ

2023年05月12日 | 旅行

5/10 友達と待ち合わせて奈良ホテルへ行きました。

門を入って玄関へと回ります。

着きました。

あちら宿泊棟?

こちらはホールなどでしょうか。

日本でも有数の歴史と格式のあるホテル、場違いではないかと緊張します。


メインダイニング三笠のホールに案内されて、食事をいただきます。

前菜。冷たくて美味しかったです。カツオ、貝柱など。

キャベツのポタージュ。熱くなく冷たくなく、季節に合わせて常温。

牛肉のバルサミコソース、鶏肉の・・・とか

デザートはコーヒーとともに。

見てきれいで食べておいしい。

味に加えて接客がとてもよかった。お客さんは年配の普通の人が多い印象。ハイソらしき人は見かけませんでした。どんな商売も、客に居心地の悪い思いをさせたらそこでアウト。門をくぐってくる人は皇族から私達のような庶民まで、皆等しくもてなされる心地の良さ。

料理のレベル、建物の雰囲気、洗練と言うよりは暖かく包み込むような接客を考えたら、全然高くなく、むしろ良心的なお値段と思いました。

友達と二人、優雅な気分になり、ゆっくりと食事をしました。

天井。


帰ります。

裏庭。

ホールの階段。

絵は上村松園。この絵は見たことないような気がする。門外不出?

初々しい花嫁、この場にふさわしい絵でした。もしかしたら特注で描いてもらったのかも。

このあと池のほとりを通って、遠くに興福寺の五重塔を見ながら、次の見学場所へと歩く昔の同級生二人。

洗練された京都もいいけど、奈良のこの大らかな感じ、少しずつ魅力にはまるのでした。

続きはまた次回に。

コメント (6)

奈良から帰る

2023年05月11日 | 旅行


吉野で買ってきた柿の葉寿司と奈良漬けで夕食済ませる。
 
よく歩き、よく遊び、よく話した。
歩けるうちは頑張ろうと約束して、彼女は名古屋へ、私は広島へ。
来年の再会を約して別れる。
コメント (2)

本日のホテル

2023年05月10日 | 旅行
 
ツインの部屋に一人一部屋、駅至近。
友達と話しすぎて喉痛い😖💥


コメント (2)

80円で泊まるホテル

2023年05月10日 | 旅行


本当は旅行支援とポイントで。フロントの支払いは80円。100円玉出して20円お釣貰う。
こんなに安く泊まる人は初めてです、と誉めてもらったのか呆れられたのか。
私もはじめて。
予約して夫に自慢すると、どんな裏技使ったのかと疑惑の視線。
普通に温泉ついて、ラウンジにはお酒もあるし、朝ごはんもあります。
夕食は近くの店で、もらった旅行クーポンで済ます。
結局、1,920円の黒字。奈良までの交通費は別だけど。
今日は友だちと待ち合わせて、奈良ホテルでランチの予定。こちらは残念ながら80円では済みません。
2年ぶりの友だち旅行。暑そうだけど頑張ります。
コメント

明石海峡大橋

2023年05月09日 | 旅行


通過中、好天。
コメント

連休、宮崎の旅

2023年05月02日 | 旅行

4/28 仕事終えて新幹線で熊本へ行き、ホテルに投宿。

4/29  雨です。相当降ってます。とぼとぼと熊本城へ歩いて行きます。

 

豚も濡れる街角。

雨の滴るリンゴの樹。

熊本城、鋭意修復中。

レンタカー借りる。途中の道の駅で。雨降り続く。

えびの高原を抜けて日南市へ行く予定。

雨と霧。

えびの高原で再び宮崎道へ向かう。霧深し。

ヤマザクラが残る。


日南市の飫肥おびへ行く。城下町です。

 

大手門。

門手前の記念館。

あまりに有名な人だけど、こちらの出身とは知らなかった。

後ろから失礼します。

着用していたフロックコート、左側は複製。

ポーツマス条約調印文書。

外務省に作ってもらった名刺。

講和条約を締結したテーブルの複製。

続いて城内へ。

まずは歴史資料館へ。

初代城主伊東祐兵すけたけは九州征伐の功により、秀吉からこの地を与えられ、幕末まで280年間、伊東氏がこの地を治める。

広島の浅野家から輿入れした奥方の乗り物。

浅野の家紋入り。

道具いろいろ。

化粧道具。

小袖。

松尾の丸の武者飾り。昭和54に武家屋敷を復元。

雨が上がってきました。今夜の宿のある青島へ向かいましょう。

やれやれ、南九州は広い。スマホのナビに教えてもらって17時半頃到着。

宿の外は海です。

夕食まで、散歩することにしました。

ハマユウ。

シャリンバイ。

ヤシの並木の向こうは青島。

宿の傘はピンク。

昭和30年代、ここは新婚旅行のメッカでした。

そのひそみに倣い、「ねぇねぇ、子供は何人欲しい~♡」と聞いてみますが爺ちゃん、思いっきり無視。_| ̄|○

足元、ハマヒルガオ。

さらに歩いて行きます。橋が見えてきました。

モニュメントあり。

この付近出身の人だったようです。

白馬会とは1896年、黒田清輝達が中心になって始めた絵画の会派。藤島武二、青木繁などが活躍する。

1910年に解散し、その中のメンバーが新たに光風会を作る。光風会は113年目ということになります。今年の公募展が109回なので、途中戦争などで中断することもあったのでしょう。もしかしたらコロナも。

脈々と連なる潮流の末端に連なる・・・と言うのもおこがましい限りですが、名前に恥じないよう、身の引き締まる思いで、残りの人生を精進しなければと思う。

島の周りは不思議な眺めが。

これが鬼の洗濯岩?

波の力で不思議な形に。

ハマウド。

ハマボッス。

青島神社。社叢が南国的。

クワズイモ。

ダンチク。

暖かい土地に適応した植物がいろいろみられました。

島の周りはずっとこんな感じ。

ぐるりと一周。向こうに今夜泊る宿が見えてきました。

恐竜岩と勝手に名前を付ける。


翌日4/30の朝

翌朝。お天気回復したようです。

巨人コーナー。以前はキャンプ時の宿舎?

宿を出て一路えびの高原へ。

フェニックスハネムーンという歌が昔流行りました。

並木のヤシが次々と過ぎて行き、スピード感いっぱい。今からえびの高原へ行きます。

コメント

団塊の世代

<script src="https://blogparts.blogmura.com/js/parts_view.js" async></script>

手織り

機織り

手織り

手織り