佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

『三三九度は戦の献杯に由来する』

2023-02-15 12:25:16 | 日記
 
 
神武の結婚式で欠かせない
儀式が三三九度です。

三献の儀(さんこんのぎ)とも
いい、
もともとは戦に出陣するときや、

無事帰陣したとき、そして祝い
事のときに行われた献杯(相手
に敬意をあらわして杯で行う乾
杯のこと)を指していました。

五月の節句を祝う場合も、本来、
贈られた側が祝いをした側に
敬意を表し杯におとそで礼を
表します。

現在この儀礼が一般的に見られ
る結婚式だけになり、その意味
も「何度もお互いに杯を重ねる

ことによって縁を結ぶ」という
ものになりつつあります。

三つの杯で三度ずつ、合計九度
の献杯が行われるので「三三九
度」といいます。



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“死にたいと思っていても、

2023-02-15 12:22:46 | 日記

“死にたいと思っていても、
ミニスカートに
目がいってしまううちは、
大丈夫“。

絶望して、死のうと考えている
人がいます。

その前を、ミニスカートの美人が
歩いていきます。
そうすると、つい見てしまう。

死のうと考えている人間が、
ミニスカートに目がいくといのは、

なんとも悲しく、
なんとも素晴らしいことではあり
ませんか。

どんなに落ち込んでいても、
ミニスカートに目がいくうちは、
大丈夫です。

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“巻き返し”

2023-02-15 11:49:29 | 日記
人生のど真ん中での
巻き返し。

「四十にして惑わず」(『論語』
為政)
男にとって四十歳は、その後の
その人の人生における幸・不幸
を決める節目に思えます。

四十歳の男の不幸の最大要因は、
「迷う」ことにあると塩野七生
さんは言う。

「四十歳になってもなお男が
迷うということは、自分の進む
べき道を見つけていないから。

見つけたとしても、自分の能力
が十分に発揮され、他からも認
められるという確たる自信が
持てない。

それは、自分が意図してきたこ
とが、四十代になって実現しな
いせいだ。

この種の男は、五十代、六十代
になったら希望が持てるかとい
うと、ほとんどの場合そうでは
ない」

こうならないためには、模索の
年代である二十代にどれだけ
“無駄”とたくさんの恋をし、

三十代に方向を決めてどれだ
け努力したかが問われること
になる。

仕事と女は裏切らない。仕事
ができる男には必ずイイ女が
いる。

女はよく見ています。
四十代は一日にして成らずで
ある。

不幸にしてそういった蓄積な
しに四十代になってしまった
人は、どうすればいいのか。

幸・不幸は職業や地位に関係
ありません。

今の仕事を天職と思って精一
杯努力することです。
自分の仕事を満足してやれる
人は、世間の評価はどうあれ
幸せなのです。



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ワープロの文字美しき冬の夜 「酔っています」とかかれておりぬ

2023-02-15 11:48:05 | 日記
人の心は川の流れのように留ま
ることを知らない。片思いはそ
の先がほしくなります。

自分の気持ちを伝えたいと思うよ
うになるばかりでなく、わかって
ほしいと望むようになるのです。

それは苦しくて、少しせつない。

けれどそんな感情も、心を育てる
素敵なレッスンになるのです。
片思いも相思相愛の恋も、見つめ
るのは相手ばかりではないのかも
しれません。

もしかしたら見つめている相手の
向こう側に、自分の心を見てしま
うのでしょう。

情熱という名前の刃を振りまわす
ように恋をしていた頃を過ぎると、
誰にも告げず、相手に何も告げな
いまま人を愛することができる
ようになるものです。

その人の家のそばを通ると思い
だし、電話で話す機会があれば
少しばかりどきどきしながら話
してる。

誰に嫉妬するわけでもなく、た
だただその人を思い、幸せであっ
て欲しいと願う。

そんなふうに誰かを想うことが
できたとき、私は自分が少し大人
になったと思いました。

そして、通り過ぎたいろいろな
出来事が、色あせることなくそれ
ぞれの時代で輝いていたことを
知ったのです。

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寓話がもたらす予見

2023-02-15 11:45:55 | 日記
「黄色い恐怖の寓話」という

短編小説をご存じだろうか。

米作家のマーク・トウェイン

が100年以上前に執筆した。

西洋人を「チョウ」、東洋人

を「ハチ」に見立て、2つの

文明の行く末をほのめかした

ことで知られている。



ちょうは蜜づくりと殺りく

の技にたけ、王者として

君臨していた。広大なハチ

の帝国を制するのを拒まれ

たため、警戒論をあおって

力づくで抑え込みにかかる。

いつしか抵抗する者はなく

なり、つかの間の平和が

訪づれた。



そのうちハチが蜜づくりと

殺りくの技を学び始めた。

土地収穫の技まで覚え、

チョウとの抗争に発展する。

最期にバッタが現れ、チョウ

にこうささやいた。「ハチは

いずれチョウを絶滅に追い

やるだけの力を得る」



19世紀末から20世紀初頭

にかけて欧米に流布した黄

色人種脅威論(黄禍論)を、

トウエインはそこに投影した。

「未来は中国人のものである

と予言を残した作品の一つだ。



いまの米国を覆うのも、ま

さに「黄色い恐怖」ではなか

ろうか。見過ごせないのは、

米国自身の活力をそぎかね

ない点である。

米国教育研究所によると、

米国が2019~20年度に受け

入れた中国人留学生は37万人

超。前年度比の伸びは0.8%に

とどまり、17~18年度の3.6%

から鈍化した。



「競争」と「協調」の均衡

を保つのは容易ではないが、

少なくとも人的、文化的な

交流を絶やしてほしくない。

中国の国情や国民を知り、

相互理解と協業の道を開く

ことが、決定的な衝突の緩和

材になり得るのではないか。



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やめてくれ、そんな目で見るのは。

2023-02-15 11:42:35 | 日記

「男がありとあらゆる理屈を

並べても、女の一滴の涙には

かなわない。」

 

ヴェルテールにそう教えられ

るまでもなく、

涙の前ではなすすべもない。

悲しみ、苦しみ、絶望から

流れ出す涙だけでなく、

彼女たちは、喜びという涙

の源泉も隠し持っているから

手に負えない。

 

もし男にこれに対抗できる

武器があるとするならば、ひ

とつはその涙を記憶するという

ことかもしれない。

例えば絵画だ。

筆を運びながら、無心になれ

ばなるほど、

女の感情に囚われることなく

客観という世界で

自由に心を開放することができ

るはずだ。

 

しかし涙に色がない。

しかも涙はすぐ乾く。

涙を絵に留めるには、熟練と

技術が必要だ。それも人生に

おいての。

 

金 K18   ¥6170

プラチナPT950 ¥4100

【買取値】

                         

佐久市野沢93番地十二町

ケヤキの木の真向かい

アーケード十二町側

  ~ヤナギダ~

☎0267-62-0220


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愛などと言はず抱きあふ原人を好色と呼ばぬ山河のありき

2023-02-15 11:39:01 | 日記

人は、いつから「愛」という言葉

を持つようになったのだろうか。

 

「愛もないのに抱き合うなんて、

ふしだらだ」とか、「人間のセック

スが他の動物と違うのは、そこに

愛がるということだ」とかいうの

は、わりと簡単に言われることだ。

かえってそこに、何が嘘くさいも

のを感じる。

 

「愛」なんて理由(しかも目に見

えない、あやふやなもの)を、わ

ざわざ人間がこしらえたのは、何

か後ろめたいことがあるからじゃ

ないのか、と。「好色」と呼ばれ

ないための、しかけじゃないか、

と。古代の人から比べれば、むし

ろ「愛」のないセックスは、時代

とともに増えているはずだ。

そんな現代と対比するような形

の歌。

 

そもそも人は、「愛」なんて面倒

なことを考えることもなく、抱き

合っていた。愛の表現として、と

か、愛を確かめる手段として、と

か、愛を深めるために、とか、そ

んな理由はいっさいない。ただ、

抱き合いたいから、抱き合ってい

た。では、その行為を、私たちは

「好色」と呼べるだろうか?

 

 

もちろん、ここには私たちの出る

幕なんて、用意されていない。彼

らを見守るのは、山であり河であ

る。のびやかで美しい風景だ。性

的な開放が行われたという、上代

の歌垣をふと連想する。

 

「言はず」「呼ばぬ」という二度

の否定。じゃあ言っているのは

誰?呼ばれているのは何?—

古代と裏返しの今を感じて欲しい。

 

「男女の情も、ひとへに逢ひ見る

をばいふものかは」と『徒然草』

一三七段は言った。男女の情愛

とは、ただひたすら契りを結ぶ

ことを言うものであろうか、と。

契ることができなかった辛さや

一人寝の寂しさもまた、恋の情

趣である。

 

兼好法師が、なんだかやせ我慢

しているみたいに見えてくる。

「花はさかりに、月はくまなき

を、そして男女は逢ひ見る」

古代が、ちょっぴりうらやましい。

 

 

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