無邪気な希望のその先にも、
果てのない絶望の先にも、
喜びに満たされた夜のあと
にも、
悲しみに覆い尽くされ、
もう明けないのではないか
と思えるような長い夜
のあとにも、朝は訪れる。
どんな人のもとにも平等に、
静かに。優しく、冷たく。
携帯電話が発明されて
メールがが発明されて
人間たちは
携帯電話の鳴らない メー
ルの着信しない さみしさを
発明してしまったんだね
すこしまえ 留守番電話が
発明されて 用件のない日の
さみしさ が発明されたように
郵便さえ 手紙に届かない
さみしさ の発明だったかも
しれない
だから むかしがよかった
というのではなく こうして
この駅で君と待ち合わせて
いることが
僕は好きだ それはきっと
変わらない 誰だって
こうして 現れるひとを待つ
ことは 現れるひとのいることは
ただ むかしなら 10分でも
20分でも へいきだった
いまは 携帯電話のつながらない
心配 も 発明されてしまったから
どうしたのかな まだ 電車のなか
なのだろう と 思いつつ
待っている 変わらない たとえ
何が発明されたって もうすぐ
現れる君を持って この人ごみに
君を探す リアルな時間が
僕は好きだ ちょっと遅れて
ちょっと 心配して でも現れる
きっとすぐ駆けてくる その
確かさが 手をのばせば
さわれる君の 手をとって ある
きだす あれこれ迷う
君の買いもの 君の気にいる
その シャツの そのてざわりや
えりのかたち そういうことの
ひとつひとつが
かけがえのない 消去されない
まいにちになる 目の前にある
てざわりのある 時間の
ひとこまひとこまが 誰だって
欲しいんだ
ほんとうは だから こうして
この駅で
(・・・・それにしても 遅いな)
お互いが好意を持ちあって
いることは、わかっている。
こうして二人で会っているの
だから。
けれどまだ、恋愛とよべるほど
ではない。
そんな心と心がとが、おずおず
と近づきつつある・・・。
恋愛の入り口に立った二人
の微妙な空気。
展望台のバルコニーにて、つまり、
他人がいてもちっともおかしくな
い空間で、はからずも二人きりに
なってしまった、という状況だ。
これは緊張する。思いを打ち明け
ようとして、わざわざ二人きりに
なった、というのとはわけが違う。
心の準備、なにもなし。
こういうとき、チャーンス!と
ばかり、口説きにかかれる人も
いるかもしれないが、この場合
は、もっと初々しい。むしろ、
ピーンチ!である。「二人である
ことを意識しすぎて、ぎくしゃ
くしてしまっては、ヘンではな
いか」「せっかくのひとときを、
気まずい雰囲気にはさせたくな
い」 「お互いの気持ちを確かめ
あったわけではないので、ここ
で過剰な意識を、相手に悟られ
てはならない」・・・・と、
さまざまな思いが、心の中を乱
れ飛ぶ。
「或るもの」とはなんだろうか。
それは今のお互いの心を、さぐ
りあうような言葉。あるいは、
二人の現在を暗示したりする言
葉は、危険だ。この、ふいに訪
れた場面は、あたりさわりの
ない会話で、やりすごすのが
一番なのだ。
「警戒」という言葉が気分を
表している。不用意な会話が、
せっかくここまで築きあげて
きた関係を、ぶちわしにする
ようなことがあってはならない。
という気持ち。
そして、そのことが、二人が
この関係を、とても大切に思
っていることの証(あかし)
なのだ。こういう情緒が、恋
の醍醐味だ。