“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

後世に恥じぬ選択を 自己決定権内外に示そう

2014年11月16日 12時58分24秒 | 臼蔵の呟き

沖縄には揺るがぬ自己決定権があり、適切な判断ができるということを、内外に示す選挙となることを願っています。安倍自民党政権が大儀なき解散を強行しようとしているときに知事選挙での沖縄県民の判断は日本全体の政治に対する重要さ、選挙における自己決定権行使と言う意味でも価値ある選挙となるでしょう。

<琉球新報社説>後世に恥じぬ選択を 自己決定権内外に示そう

 第12回沖縄県知事選挙がきょう16日、投開票される。12回目だが、単なる繰り返しでない特別な意味があることは周知の通りだ。県内だけでなく全国的、国際的にも高い関心を集めている。
 それだけではない。この1年の動きを考えれば、この選挙では、沖縄の土地や海、空の使い道について、われわれに決定権、すなわち自己決定権があるか、適切な判断ができるか否かが問われている。1968年の主席公選にも匹敵する歴史に刻まれる選挙といえる。国際社会にも、沖縄の先人にも後世にも恥じない選択ができるか。考え抜いて1票を投じたい。

明確な争点

 今選挙は無所属新人で元郵政民営化担当相の下地幹郎氏(53)、無所属新人で元参院議員の喜納昌吉氏(66)、無所属新人で前那覇市長の翁長雄志氏(64)、3選を目指す現職の仲井真弘多氏(75)=自民、次世代の党推薦=の4人の争いだ。
 特筆すべきは、県民世論を二分する課題について、各候補の主張がはっきり分かれていることだ。近年の知事選は各候補の主張が似た言い回しになり、争点が見えにくくなることが多かった。特に基地問題はそうだ。今回は違う。
 米軍普天間飛行場の移設については下地氏が「県民投票の結果に従う」と打ち出し、喜納氏は埋め立て承認の取り消しと嘉手納基地暫定統合を訴える。翁長氏は県内移設断念を掲げて承認取り消しを示唆、仲井真氏は「危険除去が最優先」と移設推進の姿勢を示す。
 東村高江の米軍ヘリパッド建設についても下地氏は容認、喜納、翁長の両氏は反対、仲井真氏は「どちらとも言えない」だ。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイについては喜納、翁長、仲井真の3氏が配備撤回を求め、下地氏は配備の可否を明らかにせず、訓練削減の方向性は他と一致する。
 カジノをめぐっても違いは歴然としている。下地氏は「長所・短所の議論を深めて判断する」とし、喜納氏は「入場者の富裕層限定」を条件に賛成する。翁長氏はギャンブル依存などの悪影響を懸念し反対、仲井真氏は「県民合意」を条件に賛成する。
 いずれも沖縄の将来を大きく左右する問題だ。各氏の主張の是非をしっかり吟味し、選択したい。
 子育て・教育は各氏が力点を置く。主張は似通うが、若干の違いはある。例えば子ども医療費の無料化や制度見直し、教育費の減免などだ。どの主張に妥当性があるか、財源も含めた実現可能性があるか、見極める必要があろう。

争点の重み

 知事選の投票率は上昇・低下を繰り返しつつ、長期的には緩やかに低下してきた。
 だが米軍統治下にあった47年前まで、われわれには住民代表を選ぶ権利すらなかった。沖縄の住民が主体的に行政権を行使し、意思を表明できるこの権利は、先人が血のにじむ思いで勝ち取った権利であることを忘れてはならない。
 琉球新報社と沖縄テレビ放送が8、9の両日行った世論調査では選挙に「大いに関心」「ある程度関心」と答えた人は91・4%に上った。特に若年層で関心度は急速に高まっている。この選挙を投票率反転上昇の契機としたい。
 近年、投票率が下降したのは、主権者であることを実感できないのが原因だろう。「政治はどうせ改善しない」「誰に投票しても同じ」という諦めが投票所から足を遠のかせているのだ。その意味で、政治家が公約を軽々と破ることの悪影響は甚大だ。
 だが候補者が公約を示し、有権者が投票で公約を取捨選択することは民主主義の根本である。その重みをあらためてかみしめたい。
 今選挙が内外の関心を集めるということは、沖縄の意思表示の国際的な影響力を物語っている。実は主権者たるに十分な力を持っているのだ。沖縄には揺るがぬ自己決定権があり、適切な判断ができるということを、内外に示そう。


民意をどう示すか

2014年11月16日 10時27分47秒 | 臼蔵の呟き

日本の政治が劣化している最大の要因は、自民党、自民党型政治が長期にわたり続いてきたことです。その政党を支えてきるのが選挙であり、選挙民によって結果が出されていることも事実です。では、その責任の多くは、国民の責任に帰すのでしょうか。

選挙制度を小選挙区制にし、大半の民意を切り捨てる制度を作り出したのは現在の自民党、自民党から他の政党に移行した元自民党議員たちです。小選挙区制は相対的に一番多くの票数を獲得すれば、当選するとする制度で、支持率が比較的高い大政党に有利な制度です。この小選挙区制が日本、イギリスなどで使われ、政治をゆがめることに利用されています。選挙制度が民意を正確に反映するためには投票数に応じた議席数の比例配分が一番、優れた制度といえます。しかし、自民党などは自らが政権党になることが難しいために党利党略からこのような選挙制度を無視しています。選挙制度の問題は、日本の政治をゆがめ、劣化させる最大の問題です。

もう一つは、政治をカネで買収することが許されていることです。法律上の建前は別にして、税金から政党助成金をだす。その政党助成金で私的な流用、政治モラル上は許されない費用への支出が横行する。これが、今回の自民党議員に多く指摘された点です。同時に、経団連(選挙権がない)による政治資金の提供です。大手企業にとって都合のよい政治、法律を政治資金によって作り出す。このことにより、国民(選挙民)の民意が無視され、捻じ曲げられることをやめさせなければなりません。

この主張で言う解散総選挙の是非、大義についてです。そもそも自民党政権の政権運営に大儀があったのかが問われなければなりません。戦後最悪の極右政権を退陣させることができる機会として、選挙でしっかり、選挙権を行使することに全力を挙げるべきです。同時に、地方のマスコミが奮闘した憲法の空文化、改悪をとめようとの勇気ある主張も、安倍、自民党極右政権を追い詰めたことも解散に至る重要な要素となったことも誇ったらよいことと思います。自民党、公明党、維新の会、みんなの党、民主党は自民党型政治の信奉者であり、彼らをいかに国会議員から落とすかが問われる選挙なのだと思います。

<信濃毎日社説>

あすへのとびら 民意をどう示すか 権力による「動員」を拒む

 「民意」を辞書で引くと「国民の意思」「人民の意思」といったことが書いてある。民主政治がよって立つ基盤である。

 民意について考えるとき、1993年のカンボジア総選挙が頭に浮かぶ。20年にわたる内戦に終止符を打った選挙だ。国連などの仲介で紛争各派が制憲議会の設置に合意、5月に選挙が行われた。結果を踏まえて各派による連立政権が発足、新生カンボジア王国がスタートした。

   <晴れ着の投票風景>

 投票日の様子を伝える外電が印象に残っている。人々は晴れ着を着て投票所に足を運んだ。平和への願いと新しい国家への期待が凝縮された選挙だった。 紛争各派の中で自国民大量虐殺の過去をもつポル・ポト派だけは選挙をボイコットした。選挙に背を向けたポト派には国際社会も厳しかった。長年後ろ盾になってきた中国も支援を打ち切らざるを得なくなった。

 ポト派はその後非合法化され衰退していく。選挙の力を世界に印象づけた政治劇だった。カンボジア経済はいま、内戦の傷を癒やして順調な成長を遂げつつある。

 民意に支えられた政権は強い。だから権力者はしばしば、民意の支持を取り付けようと、あえて選挙を試みる。

 親欧米派と親ロシア派が対立するウクライナでは10月、両派がそれぞれ選挙を実施した。民意を問うことよりも民意を利用するのが目的の選挙である。混迷打開はもともと期待できない。対立はその後も深まるばかりだ。

 身近なところでは、橋下徹大阪市長が何度も選挙を仕掛けている。言うことを聞かない議会に対し優位に立つためだ。いったん辞職して再出馬した3月の市長選は主要政党が候補の擁立を見送り、対立を演出する市長の狙いは空振りに終わった。橋下市長はこのごろは、選挙ではなく住民投票の手を使えないか考え始めたようだ。

 長野県知事を務めていた田中康夫氏が知事不信任案可決を受け、失職―再出馬の道を選んだ2002年の知事選も、県議会との対立が深まる中で民意を自分の支えにしようとする試みだった。

 それでは、永田町をざわつかせている今の解散・総選挙政局はどうだろう。民意が凝縮される選挙になるだろうか。

 集団的自衛権、普天間飛行場、原発や年金制度…。問うべき課題はたくさんある。しかしどれ一つとして、与野党はまとまった政策として示していない。争点になりきれていない。支持率や株価が高く、野党の態勢が整わないうちに選挙をやってしまいたい―。国民不在の党利党略で政治が動いている。

 衆院の解散は首相が衆院議員全員の首を切ることだ。国民に直接選ばれてもいない首相が議員を辞めさせる非常手段である。

   <憲法が求めるもの>

 憲法を開いても、首相が衆院を解散できるとはどこにも書いてない。これまでは憲法7条が、内閣の助言と承認を受けた上での天皇の「国事行為」と定めていることを根拠に解散してきた。いわゆる7条解散だ。

 憲法学の芦部信喜さんは著書で7条解散についてのさまざまな学説を紹介しつつ「内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は不当」と述べている。 衆院議員が4年の任期を使い、公約を実行して、次回選挙で審判を受ける。これが憲法の想定する政治のサイクルだ。

 解散が許されるのはどんな場合だろう。最低限、次の二つの条件が満たされる必要がある。

 第一は国民の審判を仰ぐべき政治課題があること。例えば国論が二分したとき、政権への国民の信頼が失われたときなどである。第二に、その課題について政党が選択肢を提示していることだ。

 今度の場合、既に書いたように、国民が判断すべき政治課題は山積していても与野党は選択肢を示していない。解散風にあおられて、消費増税の先送りなど人気取りに走っているありさまだ。

 衆院が解散されると参院も同時に閉会し、衆参で審議中の法案は廃案になる。予算の編成も遅れる。暮らしへの影響は避けられない。首相はこの面からも、解散に抑制的に臨むべきなのだ。

 「国民から選ばれた国会議員によって選出された私」。安倍晋三首相がよく使う言い回しである。自分自身が民意を体現しているかのような口ぶりだ。選挙を乗り切れば「国民の信任を得た」と、憲法改正など信条の実現に取り掛かるのは目に見えている。民主主義の真価が問われるときだ。権力者が民意を動員しようとするときは、私たちはきっぱり拒否する投票行動で応えよう。


EUとユーロ通貨

2014年11月16日 05時29分25秒 | 臼蔵の呟き

第一次大戦、冷戦とベルリンの壁、ユーロ誕生とEUの思惑どれ1つ取っても世界を大きく揺さぶり、政治経済を大きく変動させる政治経済課題です。現実をありのまま受け止め、理解したうえで、今後、100年の政治経済はどうあるべきかを各国が考えながら、1つ1つの問題を議論し、話し合い、解決することを基本とすること意外に選択の道がないように思います。

紛争を軍事力で解決しない。大国が小国を軍事力で威嚇し、従属させない。その基本をすべての国が守ることが必要ではないかと思います。

<毎日新聞>危機の真相  同志社大学教授 浜矩子さん

第一次大戦 ベルリンの壁 ユーロ三つの数字と三つの皮肉

 「100」と「25」と「15」。この三つの数字が並んでいるのをご覧になって、皆さんは何を思い浮かべられるだろうか。日本人100人中、25人が「毎日新聞」を読んでいて、15人は「週刊エコノミスト」誌(毎日新聞社発行)を読んでいる? それなら、めでたい。だが、多分、違う。

 筆者がここで皆さんとご一緒に思いを巡らせたいのは、100年・25年・15年という組み合わせだ。いずれも、ヨーロッパに関係する。

 2014年すなわち今年は、第一次世界大戦開戦から100年。ベルリンの壁の崩壊から25年。そして、欧州単一通貨ユーロの誕生から15年。なかなかのそろい踏みだ。

 第一次世界大戦は「全ての戦争に終止符を打つ戦争」だといわれた。ところが、どうか。戦争そのものを終わらせるはずの戦争が終結して、ものの20年とたたないうちに、次の世界大戦の火種が燃え上がることになってしまった。

 その第二次世界大戦が終わって間もなく、二つのドイツが出現した。1949年のことだ。西側連合国の占領地域がドイツ連邦共和国(西ドイツ)となり、ソビエト連邦占領地域がドイツ民主共和国(東ドイツ)となったのである。その結果、華麗なる旧都ベルリンは、東ドイツ側の懐深く抱き込まれた。そして、東西両ベルリンに区分けされた。

 61年、二つのベルリンの間に、壁の建設による分断のくさびが打ち込まれた。その分断の壁が、東西両陣営の人々の手で打ち壊されていく。89年11月9日のあの光景は、今、思い起こしても、たちどころに熱き感涙が湧き上がってくる。奇跡はやっぱり起こる。あの時、圧倒的実感とともにそう確信した。

 あれから25年。記念の日を迎えるに当たって、いまや、一つの国となったドイツのメルケル首相がいった。「あの時、人々は臣民ではなくなり、市民になった」。東ドイツ出身者ならではの実感が、聞く者の胸に響く。

 ところが、一つのドイツの国民となり、一つのベルリンの市民となった人々の心の中には、統一ドイツ誕生後、ほどなくして、新たな影が差し始めた。壁崩壊10周年が近づく中で、驚くべき報道に接した。「もう一度壁を建ててほしい。もっと厚くて、もっと壊しにくいのを」。道行くベルリン市民の一人が、テレビのインタビューに応えてそういっていた。今回の25周年に向かう中でも同様の声がドキュメンタリー番組などで伝えられてくる。

 何とも皮肉な話だ。物理的な壁に遮られている時、東西ベルリンの人々の心は一つだった。壁越しの同志として、命がけで支え合っていた。ところが、コンクリートの壁が崩れ去るや、一つのベルリンの東西の市民の中に、心の壁が出現した。「なぜ、あの人たちのためにカネを出し続けなくちゃいけないの」。旧西ベルリンっ子たちは、そう憤懣(ふんまん)を募らせる。「なぜ、いまだに二流市民扱いされなきゃならないの」。旧東ベルリン出身者たちが、そう怒る。

 ベルリンの壁の崩壊がもたらした皮肉は、もう一つある。このもう一つの皮肉に翻弄(ほんろう)されているのが、ユーロ経済圏だ。15年前にユーロという通貨が誕生したのはなぜか。それは、25年前にベルリンの壁が倒れたからだ。

 一つのベルリンの誕生に歓喜しながら、その一方で、欧州の政治家たちは一つのドイツの出現を恐れた。物言わぬ経済大国西ドイツが、独自の声と行動原理を持つ統一ドイツに変貌する。そのことが、大ドイツ共栄圏づくりへの野望につながらないか。この脅威の念が、欧州単一通貨構想への人々の疑念を凌駕(りょうが)した。

 統一ドイツと、その通貨マルクの独り歩きを阻止したい。その差し迫った思いが、単一通貨ユーロの誕生につながった。ドイツ・マルクが欧州の基軸通貨となっては大変だ。それを回避するための器となるなら、得体(えたい)の知れない単一通貨も、受け入れることを辞さず。欧州人たちのこの感覚が、15年前のユーロ経済圏の出現につながった。

 その結果は、どうか。いまや、ユーロ圏は、生かすも殺すもドイツ次第。そうなっている。ドイツ経済なくしては、ユーロ圏経済は立ち行かない。ドイツの同意なくしては、財政危機に陥ったユーロ圏諸国を救えない。通貨統合に対応して、金融統合を深めていくという構想も、ドイツがヘソを曲げれば、たちどころに行き詰まる。ドイツ・パワーを封じ込めるはずのユーロの存在が、ドイツ・パワーの強さを際立たせる。究極の皮肉だ。

 戦争を無くすためのはずだった戦争。それが、次の戦争への道を開いた。祖国統一の悲願達成につながるはずだった分断の壁の崩壊。それが、新たな心の分断をもたらした。ドイツの突出を防ぐはずだった新通貨の導入。それが、ドイツの突出を限りなく助長する結果を招いた。

 次の100年に向けて、欧州はこの皮肉の連鎖から何を学ぶか。第一次大戦開戦200年のその時、ユーロは無くなっているかもしれない。それが合理的な帰結だと思う。だが、ベルリンの壁は再建されていませんように。そして、人類が戦争という言葉も行為も忘れ去っていますように。