議員報酬3割削減案が否決
これは、昨日京都市議会で起こったことである
この間の不景気で、自治体の改革が進んでいる。何でもかんでも「減らせばいい」という議論にはくみしないが、議会としての改革方向としては、民主主義を後退させ形だけにし権力の集中を生む「議員定数削減」よりも、特に府県・政令市など報酬の高いところでは、議員報酬などの削減が現実的で即刻効果があるものだ。もちろん、民主主義の仕組みを壊していいわけがない。
昨日の京都市議会議会運営委員会で、日本共産党議員団が提案した「報酬3割減案」(月額96万円を3割減らすもの)が、自民党、民主党・都みらい、公明党の3会派が反対し否決された。委員会採決の段階だが、反対政党で過半数を占めているので本会議でも同じ結果になるだろう。
新聞報道によると、民主党の反対理由にはあ然とする。それは「議会活動の縮小につながる」というものだ。その代案が「議員定数削減」と言っているのだから、理論的に矛盾している。
分かりやすく言い換えれば、「議会活動は、多くの議員が安い報酬ではできない。少ない議員で多額の報酬を与えた方が活動できる」ということになる。
例をあげて考えてみよう。800万円分の手当てがあるとしよう。Aのケースとして、2人で400万円ずつ分ける。Bのケースとして、4人で200万円ずつ分ける。Cのケースとして8人で100万円ずつ分ける。としよう。
民主党市議団の考え方だと、2人に高い手当てを出すのが一番活動できるということになる。はたしてそうだろうか?2人より4人、4人より8人の方が多面的にしかも1人当たりの時間は同じなのだから2人と8人では4倍の時間が使えることになる。
もちろん安すぎれば、必要な活動を保障することにならない。労働者にろくな食事や休憩時間を与えずに働かせても効率的ではないのと同じである。また、議員としての能力が極端に低くては半人前しか活動できないことになる。ただ、能力にあまり差がないとしたら、人数は多いほど(と言っても無制限がいいとは言わない)トータルとして大きくの仕事ができるはずである。
残念ながら、「議員資格試験」のようなものはないので、実際の活動や主張などを聞いて有権者が判断し選ぶというのが現在の民主主義の基本となっている。いわば、実務能力や知識より「多様な意見反映」を重視しているとも解釈できる。
議会活動がなかなか見えにくいので、住民の批判の声があることは承知している。議員削減の話題も事欠かない。しかし、あくまでもそれらは「手段」であり目的ではない。議員削減が実現したら目的達成万々歳なんてありえない。議会は住民の多様な声を反映させ、政策の優先順位や執行上の配慮すべき点を明確にするためにあるのであり、存在そのものが目的ではないからだ。
定数の議論はいいが、それを実現させて、何を目的とするのかが、この間の多くの自治体での議論ではあまり明確になっていない。ぜひ聞きたいものである。
これは、昨日京都市議会で起こったことである
この間の不景気で、自治体の改革が進んでいる。何でもかんでも「減らせばいい」という議論にはくみしないが、議会としての改革方向としては、民主主義を後退させ形だけにし権力の集中を生む「議員定数削減」よりも、特に府県・政令市など報酬の高いところでは、議員報酬などの削減が現実的で即刻効果があるものだ。もちろん、民主主義の仕組みを壊していいわけがない。
昨日の京都市議会議会運営委員会で、日本共産党議員団が提案した「報酬3割減案」(月額96万円を3割減らすもの)が、自民党、民主党・都みらい、公明党の3会派が反対し否決された。委員会採決の段階だが、反対政党で過半数を占めているので本会議でも同じ結果になるだろう。
新聞報道によると、民主党の反対理由にはあ然とする。それは「議会活動の縮小につながる」というものだ。その代案が「議員定数削減」と言っているのだから、理論的に矛盾している。
分かりやすく言い換えれば、「議会活動は、多くの議員が安い報酬ではできない。少ない議員で多額の報酬を与えた方が活動できる」ということになる。
例をあげて考えてみよう。800万円分の手当てがあるとしよう。Aのケースとして、2人で400万円ずつ分ける。Bのケースとして、4人で200万円ずつ分ける。Cのケースとして8人で100万円ずつ分ける。としよう。
民主党市議団の考え方だと、2人に高い手当てを出すのが一番活動できるということになる。はたしてそうだろうか?2人より4人、4人より8人の方が多面的にしかも1人当たりの時間は同じなのだから2人と8人では4倍の時間が使えることになる。
もちろん安すぎれば、必要な活動を保障することにならない。労働者にろくな食事や休憩時間を与えずに働かせても効率的ではないのと同じである。また、議員としての能力が極端に低くては半人前しか活動できないことになる。ただ、能力にあまり差がないとしたら、人数は多いほど(と言っても無制限がいいとは言わない)トータルとして大きくの仕事ができるはずである。
残念ながら、「議員資格試験」のようなものはないので、実際の活動や主張などを聞いて有権者が判断し選ぶというのが現在の民主主義の基本となっている。いわば、実務能力や知識より「多様な意見反映」を重視しているとも解釈できる。
議会活動がなかなか見えにくいので、住民の批判の声があることは承知している。議員削減の話題も事欠かない。しかし、あくまでもそれらは「手段」であり目的ではない。議員削減が実現したら目的達成万々歳なんてありえない。議会は住民の多様な声を反映させ、政策の優先順位や執行上の配慮すべき点を明確にするためにあるのであり、存在そのものが目的ではないからだ。
定数の議論はいいが、それを実現させて、何を目的とするのかが、この間の多くの自治体での議論ではあまり明確になっていない。ぜひ聞きたいものである。