写真は、西宮市にある関西学院大学である。
先日開催された第27回近畿手話通訳問題研究討論集会の会場となったところ
集会の名称は堅苦しいが、要は手話や聴覚障害者に関連する諸問題の検討や解決方法を探るために知恵を出し合う集会だ。全体会は短く、大半が分科会の時間に充てられている。テーマの変遷はあるが「手話通訳制度」「通訳者の健康(高度な精神集中を伴う作業であり、頸腕症や神経系疾患が続出した)」「医療」「労働」などがある。今回は、「労働」分野に参加した。
障害者の労働と言っても範囲は広い。大きく分けて一般就労と福祉的就労がある。一般就労でも、専門性の高いものから補助的な仕事まであるのは健聴者と一緒である。しかし、情報提供=コミュニケーションの面でまだまだ平等ではない。
大阪のある大手建設会社では、聴覚障害者への仕事上の情報提供が不十分のまま放置されているケースが報告された。脅しともとれる言い方で本人の要求を拒否し、人間扱いしていない。実に腹立たしい事態であり、分科会では大きな議論となった。
滋賀県にある施設では、就労移行に向けての熱心な実践が報告された。その中で新鮮に響いたのは「最低賃金制度による就労」ということである。文字だけ見ると「最低賃金で満足するのか?」と不思議に思う方が多いと思うが、そうではない。これは、私の解釈であるが、重複障害者や知的障害者の多くは、一般就労していないのが現実であり、共同作業所・授産施設などと言われている施設で「福祉的就労」している。この場合、最低賃金法は適用されないので、(その施設により異なるが)月の収入は数千円から2、3万円が多い。蛇足だが、今の障害者自立支援法は、その中から「施設・サービス利用料」を取るという極めて非人間的な悪法である。
話を戻して、「最低賃金」ということは一般就労的な収入を得るということになる。単にお金が入るということだけではなく、働く喜び・充実感・相手に喜んでもらえて「ありがとう」と言ってもらえる自己実現など、計り知れない人間的発達の芽を見出すことができる。世間全体からみると「些細なこと」かもしれないが、このような一つ一つの実践の積み重ねが、地域を・市町村を、「住んでよかった」と思えるものに変えていく。「すべての住民が参加する自治の形」とも言えるかもしれない。
私たち議員・政治家は、1つ1つの事象ではなく、全体的な視点で見がちである。だからこそ、年に何回はこのような場に参加して、個々の輝く事例に接することで、政治家としての感性の鈍化にブレーキをかけ、より鋭い感性でものごとを見られるようにしたいと、私は考えている。
上記の施設は、滋賀県なので近場である。いつか、その実践の現場も実際に見に行こうと思っている。