Nonsection Radical

撮影と本の空間

哲学の道でセンチメンタルさを打ち砕かれる

2013年06月01日 | Weblog
雨が降る予定が晴れてしまい、では近場でと京都へ。
「哲学の道」というのがあって、西田幾太郎がもの思いにふけるために歩んだ道と言われる。
きっとベレー帽をかぶった少女が哲学書を胸に抱き静かに散策しているはず、一歩譲ってアベック(死語)が静かに語り合って歩む道、というイメージで出かけたのだが・・・

どうしてああもこうもベテャベチャ声だかに無駄口を叩いて周りの景色も堪能せずにゾロゾロ歩くんだろうね。

そうさ、どうせ俺のイメージなんか軟派なセンチメンタルな絵空事さ。
でもさぁ、せっかく「哲学の道」と名づけられた場所なんだから、普段とは違った行ないをしてもバチは当たらないと思うんだけど。
銀閣寺の参道の商店街と同じレベルで歩かれたら、西田幾太郎も静かに考え事も出来ないだろうに。
きっと現在の哲学者は歩かないだろう。
どこを歩くかは知らないけどさ。

観光地だから仕方ないと思うけど、ホント静かな京都というのは普通の住宅街の中にしか存在しないんだろうな。
だから京都では住宅街をぬって歩くのが好きなんだよね。
別にもの思いにふける事はないけどさ。

普通のお店の普通のきつねうどんを食べて美味しかった。
京都では普通の街角にある普通のうどん屋さんのきつねうどんを食べるのが一番。
コシがダシがなんてつまらない事を言う必要なく、普通に美味しいから。




上地から小平松 和歌山県串本町


恵美須神社から県薬事研究センター 奈良県御所市
コメント
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