Nonsection Radical

撮影と本の空間

喰って生きていけるだけの時代

2013年09月12日 | Weblog
簡単な民俗学の本を読んでいて、ふと納得出来た事があった。
農民はなぜ定住するのか、という事だ。
そんなの当たり前だ、田圃があるからだろう。
では、なぜ田圃があると定住するのか?
土地に縛られるからだ。
そう思っていた。

でも少し考えが変わった。
喰っていけるからだ。
米なり麦なり、ヒエ、アワ、蕎麦なり主食となる穀類を作り自給自足出来たからだ。
当たり前の事を書いているようだけど、ちょっと考えてみて欲しい。
江戸時代の身分制度でいえば、武士、工人、商人は自給自足出来ない。
だから「労働」をして賃金を得て、その賃金でものを喰う。
だから働かないと喰う事が出来ないわけだ。
でも農民は違う。
自分で自分の食べる物を作っているのだ。
そのために農作業をする。
一番直接的な労働だ。
年貢をとられるとしても、なんとか喰うだけのものを「労働」によって得られる。
こんなありがたい「労働」があろうか。
土地を持っているものは自分の土地を耕し、自分で食べる食物を作る。
土地がないものは、土地を借りてでも自分の食べるものを作る。
喰えているからその”効率的な”仕事から、つまり土地から離れなかったのだ。
つまり江戸時代までは、喰う事イコール生きる事で、それだけが目的の「人生」だったわけだ。
もちろん喰う分以外のものや、手仕事で何か作ったりしたものを、誰かに売ってお金を手に入れ、それで必要なものを手に入れる事もある。
しかしメインは、ただ喰って生きていく事だけが目的だったのだ。
それが出来たから農民は土地から離れなかった。
逆に、喰えなくなったら土地から離れ、賃金労働を行なうようになった。
だから賃金労働出来る都市部に人が集まっていった。
他にも山仕事や漁業などをなりわいにする人もいたが、それだけでは腹は満たされないので米などの穀類を手に入れるために働いたと言えよう。
こういう当たり前の事を今更ながらわかった次第である。

そういう点で現在は、喰う事以上に必要なものを手に入れるために、農家であっても売るための米を作り、それでお金を手に入れて”欲しいもの”を買う生活をしている。
あるいは自分たちで食べるだけの米を作り、日常は賃金労働に従事してお金中心の生活をおくっている。
そう考えると、同じ農業でも昔と今とでは、働く目的も労働の質も変わっていると言える。
現在は喰って生きていければ満足という時代ではなくなったのだ。




菱屋町商店街
滋賀県大津市長等2丁目
撮影 2013年6月22日 土曜日 14時45分


アーケード名店街
静岡県沼津市町方町,大門町,通横町
撮影 2013年8月10日 土曜日 13時55分
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