Nonsection Radical

撮影と本の空間

靴カバー???

2010年01月26日 | Weblog
某月某日
ジョシフィギュアスケートで、最近はスケート靴に肌色のカバーがついているじゃないですか。
あれがキモチ悪い。
たぶん脚が長く見えるように錯覚させる作戦なのだと思うが、どうみても肌色のズロース(死語)がずり落ちたようにしか見えない。
ジャネット・リンの時代にあんなものはなく、滑る姿は優雅なものだった。
日本人ジョシ選手は以前より脚が長くなったようだが、それでもまだ足を長く見せないと優雅に見えないのか。
日本選手の場合、昔は足の長さより太ももの太さと腰の張りが短足に見せていたようだが、現在はそれほどでもなさそうだ。

基本的に絶対的数値の基準がないスポーツには興味がないので、スケートとかシンクロナイズドスイミングとかは見ない。
また、新聞でもスポーツ欄は見ないので確かな事はわからないのだが、ページをめくっていると目を背ける前にスポーツ欄の写真が見えたりして、肌色の変なものがスケート靴にくっついているのが見えて、誰も違和感を覚えないのかと不思議に思うのだ。

正式にあの靴カバーを何というのか知らないが、ああいう見せかけこそ減点対象にするべきではないか。
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広告不況

2010年01月25日 | Weblog
某月某日
今日の新聞に出版不況の話が出ていたが、単行本が売れない事と雑誌が売れない=休刊のふたつがあるそうな。
単行本は売った代金が大方の収入だが、雑誌は売った代金よりも広告収入の方が比重が高いようだ。
これは新聞も同様で、新聞紙面の半分までが広告スペースなのだが、最近はスペースを埋めるのに苦労している。
民放テレビやラジオも同じで、広告が集まらず、番組制作が出来ない事もあるようだ。ただでさえつまらない番組しか作れなくなっているのに、今後デジタル化して多チャンネル時代が来たらどうするつもりなのだろうか。

話は雑誌に戻すと、広告が集まらず、ある程度売れていても儲からないのでやめるというケースが多い。
もっとも、なんでこんなものが売られているのかと不思議に思う雑誌も多く、多くが広告目当てのもので、淘汰されてもしかたないものもある。
アート紙を使ってきれいなグラビアでブランドものを雰囲気があるように撮影され、だけど中味が空っぽの雑誌ってこと。
向いている先が読者ではなく、広告主だと丸わかり。
この傾向はジョシ雑誌にも多い。
いわゆるカタログ雑誌だ。
チラシ広告を作っているようなもんだ。
まだチラシ広告の方が、チラシを作っているという自覚がある。
なんか淋しい気がする。
読む方としてはね。

ファッション雑誌のように「役立つ」ものをsatoboは求めていないんだよね。
役立たなくても楽しめる雑誌が欲しいのだ。
ないんだよね、これが。
雑誌や本を買う人って楽しい時間を過ごしたいと思って買うんだから。
その気持ちを理解しないで、金儲けばかり考える出版社はなくなって当然なんだろうね。
残念だけど。
コメント (7)
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ゴミ置き場の話

2010年01月24日 | Weblog
某月某日
自治会のゴミ置き場を移転するというので朝からお手伝い。
satoboは日本に自治などないと思っているのだが、国や都道府県、市区町村、地区、と区分けされ、「自治」されている事になっている。
もちろんタテマエで、国を頂点とするピラミッド構造で、これまたもちろん上から「権力」が降り注ぐようになっている。
自治会というのも同じ作りで、市区町村を頂点とするピラミッド構造となり、上からは権力が、下からは上納金が動くようになっている。
自治会は補助金を目的に自治体からの情報伝達を担う。
無用な回覧板など配布したり、地域清掃などを請け負い、手間賃としてカネをもらって自治会費に繰り入れるのだ。
住人は自治会費を払うのだが、うちの自治会の場合、そのうち半分は上部の自治会組織へ上納される。
まるでヤクザや寺と同じ作りなのだ。
自治会には下から班、地区、地区連合会とあるのだが、上の組織が何をしているか誰にもハッキリとはわからない。
もちろん班と地区連合会が同じ「権利」を持っているわけがなく、班などパシリなのだ。

こんな事を長々と書くのにはワケがある。
ゴミ置き場を移転するに際し、カラスやネコ避けに置き場をネットで囲う事にしたのだが、その費用が各自持ちにされたのだ。
班長が地区の会長のところに説明に行き、自治会費から費用を出すように伝えたのだが、拒否されたと言う。
この話は瞬く間に伝わり、他の班の人も来て、「自治会費に余りがあるのに」と驚いていた。
当然その人の班のゴミ置き場に関しても自己負担を強いられる。
自分たちのためにお金を集めて「自治」をするはずだったのが、カネだけ集めて「自治」のための出費は「自分持ち」と言われてしまったのだ。
思わず「こりゃぁ 自治会でも作らないとダメだな」と呟いたのだった。
コメント (6)
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年寄り文化?

2010年01月23日 | Weblog
某月某日
週刊現代、週刊朝日、週刊ダイヤモンドを買った。
さすがに胸の振り子さんが買った週刊新潮ほど年寄り雑誌ではないが(笑)、オヤジ雑誌である事は確かだ。
というより週刊誌などは多くがオヤジが買うものとなってしまった。
ジョシ雑誌はジョシ雑誌として芸能情報誌や、グッズ付録ファッション誌が別ジャンルで存在しているが。

それぞれ気になる記事があって買ったのだが、目的の記事は大した事がなかった。
そこでつらつらと別記事を読んでいたのだが、どうにもこうにも「読ませる」記事というのがない。
雑誌が売れなくなった原因として記事のつまらなさがあると思う。
おまけにエロ小説というのも「情」がない(笑)ものしか載っていない(週刊現代)。
お色気グラビア(死語)も沈没だ。
もともとコラムやエッセイが好きなのもあるが、それらは外部著者が書いているのでバラエティもありおおむね面白い。
つまり週刊誌で読むに値するのはコラムやエッセイしかないワケだ。
たしかに面白いが、これらのために毎週買うかというと値段との兼ね合いになる。現代は390円、朝日は350円、ダイヤモンドは690円だ。

一方ネットでコラムやエッセイを読もうと思うと意外に面白いものがない。
新聞社系はダメだ。
文芸雑誌社のサイトには多少あるが、雑誌ほど面白いものは載せられていない。
情報サイト系では、専門分野的なものが多少ある。
言われるほど糸井重里系のものは面白いと感じない。

エッセイやコラムの面白さは報酬に比例するのではないか?
つまりタダで読めるエッセイやコラムよりお金を出して読む方が面白い。
考えてみれば当たり前で、書く方だって報酬がある方が力を入れるし、その報酬が多ければなおさらだ。
想像だけど、活字媒体の方が報酬が多いのではないか?
そして活字媒体の方がシビアなのではないか?

こんな事はヤング諸君は多分思わないから、オヤジの考えなのだろう。
また年代にマッチしたエッセイやコラムがそれぞれあるのだろう。
でもエッセイやコラムなど読むのは年寄り文化なのではないかという気もしている。
コメント (2)
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こんなビジネス書を出せ!

2010年01月22日 | Weblog
某月某日
今ならカツマなのかな?
書店に行けばコーナーとしていろいろなビジネス書が置かれている。
古くはアクティブ・シンキングやメモの取り方、電話の対応、仕事の進め方を指南するビジネス書が山積みされている。
でもどうしても見つからない本がある。
どうか出版して欲しい。
誰もが欲しがる。

それは、
これまでの指南本は、「自分」がいかに効率的に仕事をするかという内容なのだが、ホワイトカラーの効率がわるいのは自分だけが原因でない。
ダラダラと長ったらしく、そのくせ内容がつかめないメール、ちっとも連絡を寄越さない、言う事がすぐに変わる、来週の会議で・・・などと悠長なことを言う、いつもいない、連絡がつかない、などなど効率的でない「相手客」をいかに効率的にするかという指南本である。
いくらこちらがテキパキと仕事をしても、すべてそれを台無しにするのは相手先の仕事のできない「客」である。
そいつをなんとかしない限りは効率化など無理だ。
それをなんとかする「コツ」を書いたビジネス書があればベストセラー間違いなし。
みんな同じ悩みを持っているのだ。
なぜこの事に触れる本を書かないのか?
それが書けてこそ本物だろう。
書けよカツマ!

いや別にカツマが嫌いなわけじゃないですよ。
どちらかというと顔は好きです。
でも、リカちゃんの方が好きかな・・・
コメント (4)
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