Nonsection Radical

撮影と本の空間

フィルムとデジタルの違い

2010年01月21日 | Weblog
某月某日
米原では新市街地側に移ってから、デジタルカメラでも撮影した。
たまたま同じものを撮影したものがあったので、その比較を。
同じようにフォトショップで加工している。



それはそうと日航倒産といえば思い出すのは「アテーションプリーズ」でしょ。
紀 比呂子(きの ひろこ)はどの組合に入っていたのだろう。
経営が傾いた原因が従業員(組合)の問題だというが、そんなバカな事はない。
国鉄と同じで、組合を諸悪の根源にして、その影でウマい汁を吸っていた元凶たちに目が向かないようにする作戦だ。
魑魅魍魎の政治経済人が暗躍した世界。
その内実を暴くジャーナリストはいないのか?
だいたい第二組合をつくるような企業にまともな経営をしているところなどあるのか?
経営者として経営に失敗した事を問うべきだろう。
赤字垂れ流し路線を政治的に作り続けてきたのは誰の責任だ?
まさか組合が勝手に運行していたわけではあるまい。
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L R

2010年01月20日 | Weblog
某月某日
iPodを使っている。
iPodのイヤフォンは白くて、耳に入れる部分(イヤパッドと呼べばいいのか?)までのコードは左右均等だ。
昔買ったソニーのイヤフォンは左右を区別するために片方のコードが少し長い非均等で区別しやすかった。
iPodにはそんな「親切」はない。

イヤパッドの根本に灰色の文字で左右を区別するLとRが記されている。
しかし色も薄いし文字も小さいのでオヤジの目には区別しにくい。

satoboは右の耳からイヤフォンを差す。
なぜだかそう決まっている。
だからRの印のあるイヤパッドを手に取るべきなのだが、必ずLと記された方が手にある。
2つあるイヤパッドのどちらかを選び、眼鏡をずらしてイヤパッドを目に近づけて確かめるわけだ。
そのたびに「クソッ」と叫ぶのだ。
確率は1/2。
なのに選ぶのは必ず100%Lの方だ。
たまに自分が信じられなくなり、先に手に取った方とは別のイヤパッドを選択する。
そういう時に限ってLが手元に残る。
裏をかかれるのだ。

最近はどうでもよくなり確認もせずに耳に差す。
もともと聴いているのがモノラル音声なのでどちらも変わらないし。
でも、やはり気になる事はなる。
時々イヤフォンを外して確認するのだが、やはり右の耳にはLの方が。
こういう不条理な状態を毎日続けるのはかなりの精神力がいる。
赤いマジックで印をつける事にする。
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寝不足

2010年01月19日 | Weblog
某月某日
平日は4,5時間しか寝ないので、いつも頭がボッとしてダルい。
それを取り戻すために休みになるとたくさん寝るのだが、疲れはなかなか取れない。
もっと早く寝ればいいのだが、8時ぐらいに帰宅し、ボッとしているとアッという間に10時だ。
それからツラツラと何か面白い事がないかとネットで定期巡回をすると午前様だ。
他の人はネットで何を見ているのだろう。
ニュースもネットで(あとテレビか)知る人が多いだろうが、satoboは新聞がメインである。
主に他人のブログなどを読んでいる事が多いかな。

友だちのブリジット(仮名)が、久々にゲットしたダンシとデートをした時に、経済観念が異常に発達しているブリジットは、デートのお店のために割引クーポンがついたホットペッパーを手にして現場入りしたのだ。
するとダンシは一言「あっ、まだ紙ベースなんだ・・・」

そうざます。
ナウなヤングはそういう場合はすでにケータイで持ち歩いているのですね。
もちろんロートル(死語)なsatoboもやっぱり活字ベースな生き方なので、できるだけ紙の活字を追いかける方が「安心」なのだ。
だからブログなどが冊子として発行されていたら、そちらを読んでしまうと思う。
モニター画面で文字を追いかけるのは便利なようでいて、案外無駄な作業が多くなる。
例えば、もう寝たいと思っても文章の途中だったりすると、そこにブックマークしたりするのが面倒で、最後まで読んでしまう。
ブックマークしても次に見る時に存在するかは未知だという気がするのだ。
使わない時には電源を切りたくなるのは倹約精神の染み付いた昭和世代だ。
その点、書籍だと栞をはさんだり、ページを折って、閉じれば済むのだ。
続きも存在する。
だから寝ころびながら新聞や本を読んでも、眠くなればすぐにスリープ状態だが、パソコンだとスリープではなくいちいち電源を切ることになる。
まるで使い方が逆のようだが、どういうわけかパソコンを接続し続けるというのが嫌いで、その結果寝不足になるのだ。
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もっと光を

2010年01月18日 | Weblog
某月某日
昨日は横浜へ行った。
赤レンガ倉庫と横浜美術館へ。
赤レンガ倉庫ではヨコハマフォトフェスティバルを開催していたので、内容も確かめずに出かけた。
横浜駅からプラプラ徒歩でスナップしながら気分はマーティン・パー状態。
会場へ着くとなんだかわからず呆然としていたらYasさんがいたので仕組みを訊く。まあ無料かどうかを訊いただけだが。
部屋を進んで行くと映像を流している部屋や数々の写真を並べている部屋などがあり、さっさと、かつ真剣に眺めて行った。
で、元のところへ戻りYasさんに暇乞いをした。
Yasさんにも言ったのだけど、オヤジにはよくわからなかった。
よくわからなかったと言うのは写真をうんぬんではなく、心情的にピンと来なかったという感じなのだ。
それぞれの写真は焼きもキレイで「中味」もそこそこなのだが、みんなそこそこにしか見えないのだ。
悪いと言っているのではなく、satoboの今の心情には働きかけがないのだった。
なにしろマーティン・パーなもので(冗談)。

次に横浜美術館に行ったのだが、ここコレクション展は500円。
写真は「都市へのまなざし」と題し、須田一政「わが東京」(1979年)、石内都「絶唱・横須賀ストーリー」(1977年)、金村修「Keihin Machine Soul」(1996年)、米田知子の阪神淡路大震災の写真がセレクトされて展示されていた。
須田と石内両氏の写真を70年代という時代を考慮しながら見ていると、金村氏の96年という時代の写真との時差を感じざるを得ない。
これはまた前両氏と金村氏との年齢差という事も考慮に値するかもしれない。
金村氏の写真はとかく暗いとイメージされがちのようだが、初めて氏の写真を見て、全然そのようには感じられず、案外わかりやすい上手な写真だなと思った。
米田氏の写真はジャパン・ニューカラーというようなカラー写真と心情的距離感を保ったモノクロ写真が共にクールに響いてきた。

これらの感情が赤レンガ倉庫ではわいてこなかったのだ。
感情をわき起すものがなかったのだね。なんでだろ?

コレクション展では他に有名日本画も展示され、横山大観、下村観山、鏑木清方などを見ても、クソッタレと思うのだが、くやしい世界がある。
また片岡球子を見ているとなんて絵画は素晴らしい力強さがあるのかと感じる。
洋画でダリなどシュールなものを見ていると口が半開きになり、嗚呼なんだかなぁと自分の写真のつまらなさに立ち向かわざるを得ない状態に追い込まれる。
これで500円は安い授業料だ。

美術館を出て、石川町まで歩き、いつも行くラーメン屋で「横浜ラーメン」を食べる。
別にウマいわけでもなく、中華街に近いため店員が全員中国人で、店員同士や他の客との会話が中国語なのが変な気分なのだが、なぜだか横浜に行くと来てしまう。

横浜駅から石川町まで直線距離で4キロほどなのだが、いろいろ寄り道してかなり脚と腰が痛くなってきた。
が、再び横浜駅めざして歩き出す。
クタクタになって電車に乗ると、前の席にキレイな女性。
カバンから着付け入門のテキストを取り出す。
髪が長く、色白で、足首が細い、化粧っ気がない美人。推定27~8才。
きっと着物を着たら素敵だろうなあと妄想を働かせて時間を過ごす。
薬指にリングがない事を確認。
同じ駅で降りたが、オトコらしくそこで別れた(笑)。
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降りる事のない街 米原 後半

2010年01月17日 | Weblog
古い集落をひと回りし、駅に戻って反対側に出た。
駅前の小さなロータリーから真っ直ぐに延びる道路。
どこの地方都市にでもよくある作りだ。
最初にぶつかる大通りをさて右に行くか左か。
この選択で徘徊する結果が違ってくる。
所詮行き当たりばったりの旅。
街の総てを把握する事は出来ない。
線と点で結んだ結果報告。



右を選択し歩き始める。
新しいタテモノ。
コンクリートの施設。
役所、学校、会社、アパート、店舗。









アッという間に街はずれ。
その先は田圃、畑。
そこもまもなく整地されてしまうようだ。





日差しはあるが風が強い。
たぶん風速10mはあるだろう。
時折吹きつける突風は20mぐらいか。
体が風に持って行かれ真っ直ぐ歩けない、正面からの風では前に進めない。





琵琶湖湖畔を目指して歩く事にした。
たぶん数キロ歩けばたどり着くだろう。
遥か先にそびえ立つタテモノがあり、それを目標に農道を歩く。





あらたな街並みが見え始め、目標のタテモノに着くと、そこは結婚式場。



琵琶湖から吹き付ける風は15mを超しているだろう。
三角波が立ち、湘南よりも遥かに波が高い。
もちろんサーフィンをする人などいない。
気温は5度ぐらいか。

遥か彼方の沖合に対岸をうっすら眺めそそくさと立ち去る。
風が冷たく顔を打つ。







同じ道を戻るのもイヤなので、別の道を選ぶ。
ただしどこへ向かっているかはわからない。





街並みが途切れると一面の田圃。
風を遮るものが何もない道をただひたすら歩き続け、クルマの行き交う道路まで出ると生きてる実感が少しわいて元気になった。





駅への方角もわかり、街並みが戻ってくると疲れが出てきた。
すでに6時間あまり歩き続けた。





早く暖かいところへ入りたいと思いながらも、あちこち目につくものを撮影しながら徘徊する。
再び米原を訪れる事があるかはわからない。
だから一期一影の気持ちで歩き回ってしまう。
しかしその気持ちも一杯のラーメンの誘惑に取り込まれてしまい、この旅は終わった(笑)。
コメント (3)
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