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ひとりシーソー遊びの意味するもの。

2016-12-09 21:07:55 | 日記
小学校1~2年のころだったのかな…?!
学校から帰るとよく近所の公園へ行き、
日暮れまでひとりシーソー遊び?!をしていた。

当時の私の考えはこうだ。

(シーソーは好き!
でも2人いないと、遊べない。

でも1人でも遊ぶんだったら、
上がったり下がったりは出来なくて、
あんまり楽しくないかもしんないけど、
シーソーの真ん中で両足に同じ体重をかければ、
両端が宙に浮いた状態になる・?!
それも面白いかも?!

というわけで、
「絶対成功してみせる!」といった、
ほとんどチャレンジ精神だけで、
何日も何時間も、
黙々とやり続けたのだった。

結果、一度として成功はせず。

そのうち、公園で遊ぶことも無くなった。

そして何十年も経った最近のある朝。
目覚めた瞬間、その記憶が蘇り、
そして閃いたのだ。

あの時、
同じ線上で完全なバランスの取れる1点を探していたのが間違いだったのだと。

(完全なバランスを取るためには、空間に別の1点が必要…。
直線の上に点を一つ描いて三角形を作るかのような…。)


この世と言われる3次元の世界は、2極でできている。
それが、法則であり、構成要素なのだ。
真っ黒だけのものもなければ、真っ白だけのもない。
白と黒の比率がまちまちに出来上がっているだけなのだ。

そういう世界には、そういう世界のバランスのとられ方がある。
そしてそれは、
この世界から自由になれるというような類のバランスではない。


プラスとマイナスの中間に立つこと、
それが仏教でいう中庸であり、
ゼロポイントなのかと、
これまでボンヤリ思ってきたけれど、
どうやらそうではないらしい…。

なんだか上手く文章にできないので、
このお話はここまでだよん。




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