小学校1~2年のころだったのかな…?!
学校から帰るとよく近所の公園へ行き、
日暮れまでひとりシーソー遊び?!をしていた。
当時の私の考えはこうだ。
(シーソーは好き!
でも2人いないと、遊べない。
でも1人でも遊ぶんだったら、
上がったり下がったりは出来なくて、
あんまり楽しくないかもしんないけど、
シーソーの真ん中で両足に同じ体重をかければ、
両端が宙に浮いた状態になる・?!
それも面白いかも?!)
というわけで、
「絶対成功してみせる!」といった、
ほとんどチャレンジ精神だけで、
何日も何時間も、
黙々とやり続けたのだった。
結果、一度として成功はせず。
そのうち、公園で遊ぶことも無くなった。
そして何十年も経った最近のある朝。
目覚めた瞬間、その記憶が蘇り、
そして閃いたのだ。
あの時、
同じ線上で完全なバランスの取れる1点を探していたのが間違いだったのだと。
(完全なバランスを取るためには、空間に別の1点が必要…。
直線の上に点を一つ描いて三角形を作るかのような…。)
この世と言われる3次元の世界は、2極でできている。
それが、法則であり、構成要素なのだ。
真っ黒だけのものもなければ、真っ白だけのもない。
白と黒の比率がまちまちに出来上がっているだけなのだ。
そういう世界には、そういう世界のバランスのとられ方がある。
そしてそれは、
この世界から自由になれるというような類のバランスではない。
プラスとマイナスの中間に立つこと、
それが仏教でいう中庸であり、
ゼロポイントなのかと、
これまでボンヤリ思ってきたけれど、
どうやらそうではないらしい…。
なんだか上手く文章にできないので、
このお話はここまでだよん。
学校から帰るとよく近所の公園へ行き、
日暮れまでひとりシーソー遊び?!をしていた。
当時の私の考えはこうだ。
(シーソーは好き!
でも2人いないと、遊べない。
でも1人でも遊ぶんだったら、
上がったり下がったりは出来なくて、
あんまり楽しくないかもしんないけど、
シーソーの真ん中で両足に同じ体重をかければ、
両端が宙に浮いた状態になる・?!
それも面白いかも?!)
というわけで、
「絶対成功してみせる!」といった、
ほとんどチャレンジ精神だけで、
何日も何時間も、
黙々とやり続けたのだった。
結果、一度として成功はせず。
そのうち、公園で遊ぶことも無くなった。
そして何十年も経った最近のある朝。
目覚めた瞬間、その記憶が蘇り、
そして閃いたのだ。
あの時、
同じ線上で完全なバランスの取れる1点を探していたのが間違いだったのだと。
(完全なバランスを取るためには、空間に別の1点が必要…。
直線の上に点を一つ描いて三角形を作るかのような…。)
この世と言われる3次元の世界は、2極でできている。
それが、法則であり、構成要素なのだ。
真っ黒だけのものもなければ、真っ白だけのもない。
白と黒の比率がまちまちに出来上がっているだけなのだ。
そういう世界には、そういう世界のバランスのとられ方がある。
そしてそれは、
この世界から自由になれるというような類のバランスではない。
プラスとマイナスの中間に立つこと、
それが仏教でいう中庸であり、
ゼロポイントなのかと、
これまでボンヤリ思ってきたけれど、
どうやらそうではないらしい…。
なんだか上手く文章にできないので、
このお話はここまでだよん。