いつだったか、神さまに言われたことがある。
『元々は、蝦夷(エミシ)は笑人、
倭人(ヤマト)は邪人だった。
愛に溢れた微笑みの人たちの国に、
あるとき船で、大勢の異国人がやってきた。
彼らは有無を言わせぬ暴力と野蛮な策略によって、
次々と先住の村々を占領し、我がものとしていった。
追いやった、もしくは奴隷とした人々のことを、
笑人から蝦夷と呼び替え、卑しい者とした。
大和とは、のちの時代に、
この国全土がそれら負のカルマを乗り越え、
大きな和をもって収まるようにという祈りをもって、
つけられた名前だ。
本来、下げづまれるべき者は、
エミシではなくヤマト。
邪心により国を乗っ取りし人々。』
それを聞いたとき、
ハッとし、なるほどな…と思う自分がいた。
これが事実かどうかは分からないけど、
こんなことは世界中で行われてきたことで、
皆殺しにしてないだけ、
他国よりは、ましだったかもしれないけど、
でも、もうこんなことは、あってはならないと思う。
しかし世界は今、さまざまな面で争いが深刻化してきているように見える。
日本も例外ではなく、
カルマのせいなのかは分からないが、
隣国からの侵攻が、
目に見えぬ形でも、
少しずつ進んできている気がする。
(殆どの日本人に危機感はないと思うが…。)
そんな中
〔歴史として後世に伝えられていることは、
すべて勝った側からみたもので、
必ずしも事実とは言えないこともある〕
という視点を持っておくことは、
大事な気がする。
だいたいが、みんな自分のメガネ(思い込み)で、
自分の見たいように世界を見ているのだ。
国としての視点も同じなんだと思う。
地球の波動としては、
そういう世界もそろそろ終わりのはずなんだけどなぁ…。
少なくとも私の見る限り、
現状としては、
天津神、国つ神、手を取り合って、
日本と日本国民のために力を尽くして下さっているご様子。
ありがたいですね。
マリアでした
↑可児市の花フェスタ記念公園、今月初旬。
『元々は、蝦夷(エミシ)は笑人、
倭人(ヤマト)は邪人だった。
愛に溢れた微笑みの人たちの国に、
あるとき船で、大勢の異国人がやってきた。
彼らは有無を言わせぬ暴力と野蛮な策略によって、
次々と先住の村々を占領し、我がものとしていった。
追いやった、もしくは奴隷とした人々のことを、
笑人から蝦夷と呼び替え、卑しい者とした。
大和とは、のちの時代に、
この国全土がそれら負のカルマを乗り越え、
大きな和をもって収まるようにという祈りをもって、
つけられた名前だ。
本来、下げづまれるべき者は、
エミシではなくヤマト。
邪心により国を乗っ取りし人々。』
それを聞いたとき、
ハッとし、なるほどな…と思う自分がいた。
これが事実かどうかは分からないけど、
こんなことは世界中で行われてきたことで、
皆殺しにしてないだけ、
他国よりは、ましだったかもしれないけど、
でも、もうこんなことは、あってはならないと思う。
しかし世界は今、さまざまな面で争いが深刻化してきているように見える。
日本も例外ではなく、
カルマのせいなのかは分からないが、
隣国からの侵攻が、
目に見えぬ形でも、
少しずつ進んできている気がする。
(殆どの日本人に危機感はないと思うが…。)
そんな中
〔歴史として後世に伝えられていることは、
すべて勝った側からみたもので、
必ずしも事実とは言えないこともある〕
という視点を持っておくことは、
大事な気がする。
だいたいが、みんな自分のメガネ(思い込み)で、
自分の見たいように世界を見ているのだ。
国としての視点も同じなんだと思う。
地球の波動としては、
そういう世界もそろそろ終わりのはずなんだけどなぁ…。
少なくとも私の見る限り、
現状としては、
天津神、国つ神、手を取り合って、
日本と日本国民のために力を尽くして下さっているご様子。
ありがたいですね。
マリアでした
↑可児市の花フェスタ記念公園、今月初旬。