3連休が明け 今日から再び通常業務となりましたが、今日の東京地方・・・・日中の最高気温は30度近くまでいったのではないでしょうか? さすがに10月という事でオフィスの冷房スイッチに手が伸びたものの 窓を開けるに留めました・・・・(笑)。 このところ朝夕の寒暖の差が激しいうえ、今日のような暑い日があると 出勤時の服装にも悩みます・・・・・ いや~っ、本当に暑かったな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて 昨日の話題の続きですが 非電化時代の八高線貨物列車の画像でも貼っておきます。 とりあえずPCにあった1991年のネガスキャンから適当に・・・・・
1991年1月4日・・・・ この年の撮り始めとして私の定番?だった箱根ヶ崎-金子間に向かいました。 目的は正月恒例の高尾臨撮影のための下調べも兼ねていたはず・・・・。
DD51-827・・・・国鉄時代、稲沢区に新製配置された後 高崎第一区に転属してきたという経歴を持つ変わり者?でした。
DD51-887・・・・・こちらは佐倉区からの転入機。 後々調べてみると三菱重工での新製機関車累計3000両目という由緒あるカマだったようです。
ボンネットの所々に塗装の剝れが目立っていて少々お疲れの表情にみえました・・・・。 この後 暫くして大宮工場に入場~面目を一新して一安堵したものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1月6日 高尾臨・・・・
DD51-842が牽引・・・・国鉄時代の終焉期に佐倉区のイベントでお召し装飾が施されましたが 高崎区へ転属後もランボードのステンレス帯はそのままでしたが、煙突部分は灰色に塗装されていたので 現在のお召し装飾からは程遠い 「働く機関車」といった印象でした・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1月20日の牽引機もDD51-842でした。この日は夕刻の高崎行きを撮影・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1月26日・・・・当時は土曜日でも荷が付いていました。 ホキ5700とタキ19000の混合編成。 こうしてみると やはりタキ19000の秩父セメント仕様が欲しいです。
DD51-811・・・・高崎区に新製配置された生え抜きのカマの1両でした・・・。
DD51-841・・・・この841号は新製配置が吹田第一だったというのが驚き・・・。 この後、1997年5月に除籍と高崎区のDD51の中でも廃車が早かったカマでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌1月27日の高尾臨はDD51-808が担当・・・・このカマも高崎区生え抜きの1両。
この日も夕方の高崎行きを撮影・・・・
正月恒例の高尾臨も この当時はヘッドマーク等の装飾は無く 比較的地味な存在でしたが、DD51の牽く客車列車は ファンにとって「お年玉」のような存在だったのは言うまでもありません・・・・。