おりがみと日記

Kasaneの備忘録

歴史散歩講座で大田原市観象台を見学

2019-02-05 | 散策(大田原)

2019/1/25 野崎研修センターで野崎歴史散歩5回目があり参加しました。

講義を聞いてから最初に大田原市親園にある観象台を見学しました。

↓  観象台座は傷んでたので作り替えたと話がありました。

↓ 観象台前道路 この先に旧奥州街道が横切ります。東山道もあります。

↓ 観象台前道路 少し曲がっていますがその先千本松方面は直線

この道路の先には東北本線(宇都宮線)、新幹線、国道4号線、東北自動車道が横切ります。

観象台は、三角測量の基点として南点は大田原市親園上ノ原、

北点は那須塩原市千本松(畜産草地研究所正門左側)

この区間を結んで開拓道路がつくられ、通称縦道と呼ばれ、現在はライスラインの一部となっています。

基線の長さはおよそ10.6kmあり基点のそばは曲がっていますがほかは直線道路です。


明治8年(1875)に 内務省が設置した日本の三角測量の基準となる縦線の北点と南点だった。
この後、参謀本部が相模原〜座間にかけて相模野基線を設置し現在の基線となっている。

 

 

↓ 畜産草地研究所正門左側の立て看板 

説明板


史跡 観象台(かんしょうだい) 西那須野町指定文化財 昭和47年12月1日
この塚は、明治初年の我が国における、近代的三角測量の貴重な遺跡である。
近代国家を目ざした明治新政府は、国土の近代的測量を、お雇い外人の指導で始めることになった。
明治8年(1875)には、イギリス人のマクウェンやヘンリー・シャボーの指導のもとに
関東地方の測量(関八州(かんはっしゅう)大三角測量)が着手された。
この測量には、平地の2地点を結ぶ直線(基線)を設け、その長さを極めて精密に測量する必要があった。
この一帯は、江戸時代から明治10年代(1880前後)にかけて、那須野ケ原と呼ばれる平たんな原っぱであった。
そこで、この地が相模原(神奈川県)と共に基線測量の場に選ばれた。
 那須野ケ原における基線(那須基線)のあらましは、次の通りである。

①那須基線北点 西那須野町千本松(せんぼんまつ) この観象台
②那須基線南点 大田原市実取(みどり)
③測量の時期 明治11年4月9日~6月11日
④二点間の距離 10,628.310589m

 当初、観象台には木のヤグラが組んであり、明治10年代の開拓や那須疏水測量の際、かっこうな目標物となり、
人々に親しまれた。北点と南点を結んで開拓道路の縦道(たてどう)がつくられ、現在はライスラインの一部となっている。
※なお、塚のわきの水準標は50mほど南東にあったものである。
 平成2年(1990)2月 那須塩原市教育委員会

説明版に書いてある記述大田原市では大田原市親園となっています。

 

 

おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。

 

コメント (2)
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