おりがみと日記

Kasaneの備忘録

野崎歴史散歩 西光院、全超寺

2021-02-16 | 散策(大田原)

2018/7/27 野崎歴史散歩講座で説明のあった、

国道4号線沿いにある西光院に行きました。

 

十九夜塔

旧暦19日の月待の記念として、十九夜講中によって造立された塔である。

十九夜講のほとんどは女人講、念仏講である。

子安講といい、安産を祈願することもある。

如意輪観世音菩薩像

 

庚申塔と青面金剛像

日本の民間信仰である庚申信仰の中で独自に発展した尊像である。

庚申講の本尊として知られ、三尸(さんし)を押さえる神とされる。

おみねじぞう

おみねさん(昭和の初めに亡くなられた)は霊感が強く祈祷をしていた。

お地蔵様の夢のお知らせは

「暗い場所にいるので、早く明るい場所へ出して祀ってほしい」

 

色々探し箒川がよく氾濫していたので田はたびたび流されていた。

下石上の箒川沿いの実家の田んぼの中で埋もれていた

お地蔵さんを探し出し西光院の境内に安置した。

現在の場所は東京にいた娘さんが移転再建して供養したもの。

    

 

次に全超寺に行きました。

 

曹洞宗で、講座の資料では寛文二年(1662)電良和尚の開祖と書いてある。

大田原氏第17代当主高清公は、上石上の地に禅寺を建立。

山号は長栄山。本尊は釈迦三尊。

大田原氏第17代当主高清公の墓

なお、大田原高清の墓は市内光真寺にもある。

石神を上下に分けた時期や理由はっきり分からないが、

15代晴清公の時、豊臣秀吉より石神村603石5斗の朱印状があり、

70年後、高清の寛文4年(1664)に記された寛文印知集には、

石神が上石上、下石上と記されている。

 

    

墓の区画が大きいので区画の中に如意輪観音菩薩があります。

戦死者の墓標

古い墓地には太平洋戦争の戦死者を葬った墓標がある。

四角柱の上に四角推の形をした墓標です。

正面に生前の氏名と軍属階級勲章を記す。

右側面には仏教の戒名が記されています。

裏面には戦死した場所や戦闘の様子が記されている場合があり

戦争の時代の記録とした。

 

 

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