おりがみと日記

Kasaneの備忘録

野崎歴史散歩 汽車転覆死者供養塔

2021-02-09 | 散策(大田原)

2018/7/27 野崎歴史散歩講座があり、

その日雨が降っていたので現地見学しませんでした。

 

花が少ない時期なのでいつも新幹線のそばから戻ってくるのですが

野崎の踏切を渡り見に行ってきました。

 

土手の上は国道4号線があります。

33年忌法要時建立碑の碑文 [1931年(昭和6)10月7日建立]

<碑文>
明治三十二年十月七日箒川鐡橋ニ於テ汽車顛覆即死者十九名ヲ出ス
是レ未曽有ノ惨事ニシテ悲歎ヲ極ム
昭和六年十月七日三十三年忌ニ相當スルヲ以テ
吾等相謀リ供養大法會ヲ營ミ恭ク其霊ヲ弔フ
昭和六年十月七日  田代黒瀧誌

この方は箒川に流され助かった方と記事に書かれていました。

 

国道4号線の下を通り抜けると高原山が見えます。

少し先の線路の下を箒川が流れています。

事故発生直後から、

現場付近では何度か村民による供養が行なわれているが、

一周忌にあわせて石塔婆が建立された。

 

 

 

Wikipedia 箒川鉄橋列車転覆事故

明治時代後期の1899年(明治32)に、明治期最大の鉄道事故である箒川鉄橋列車転落事故

箒川の鉄橋を通過しようとした時、

猛烈な北西からの突風(瞬間最大風速27~28m/秒と推定)にあおられ、

機関車と貨車の連結器がはずれ、増水した川の中へ転落、

客車も貨車も激流の中に砕かれて押し流されます。

被災者は箒川濁流に飲み込まれ、記録では死者19~20名、

重軽傷者38~45名ともされているが、現存する記録は被災者数がマチマチです。

 

事故後慰霊のために、箒川の左岸(野崎駅側)の東北本線の線路沿いに

3つの慰霊碑が建立されています。

 

この頃の東北本線はまだ国有化されておらず、

日本鉄道株式会社(以下日鉄)の私鉄路線に過ぎなかった。

明治39年3月31日には「鉄道国有法」が公布され、日鉄は11月1日に国に買収されている。

 

おりがみ作品とJtrim額縁 まとめてHPにUPしてます。

 

 


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