序破急

片足棺桶に突っ込みながら劇団芝居屋を主宰している爺です。
主に芝居、時々暮らしの中の出来事を書きます。

劇団芝居屋的演技考察

2006-11-23 09:33:42 | 演劇

 その一 本音と建前

よく言われることだが言葉は二種類に分けられる。
「本音と建前」である。

「本音」の言葉とは、ある事象や人間に対し向けられた気遣いのない赤裸々な思ったままの言葉である。それは「個」の言葉であり、往々にして人間関係に軋轢や悪感情をもたらす毒の刃となりうる。一方、「建前」の言葉は「人」が「人」との関係の中で生きていく「人間」としての共通認識やその関係の円滑な運営を目的に造られた妥協の、謂わば「社会的」な言葉である。
この二つの言葉は「語る言葉」の「建前」と「語らない言葉」の「本音」として分けられるだろう。
つまり現実生活に於いては、語らないがはっきりと自覚しているのが「本音」であり、語るが物事が円滑に進む為に曖昧さを内包しているのが「建前」ということになろう。

勿論私達の日常の言葉はここで言うようにきっぱりとしたものでない。人は相手によって微妙な匙加減で本音と建前を使い分けその関係を保っている。しかしながらつぶさにその匙加減を観察すると、他人に語る本音は建前により真実味を帯びさせる為のスパイスの役目を託している事が多いことに気付くであろう。やはり本音は率直に語れない内容を持つものの様である。

私はここで「本音と建前」の解析やその是非を語ろうとしているのではない。
私がここで言いたいのは、劇団芝居屋の芝居創りの根幹と、そこに俳優が至る為の役へのアプローチに対する助言である。

現代の演劇界の主流は、今も近代演劇の誕生以来の「してみせる」演劇である。そこでの「本音と建前」はいずれも語られるものとして存在する。その代表が誰もが知っているシェィクスピアの「ハムレット」であろう。ハムレットは世間に対する「建前」と独白としての「本音」を行き来し、自分の心情と自分を取り巻く状況を観客に説明する。このような芝居の構図は綿々とうけ繋がれ現在に至っている。その方法論はこれまでも一定の舞台的成果をあげているし、依然として有効な方法の一つであるだろう。

しかし劇団芝居屋は「してみせる」演劇から脱却して「覗かれる」演劇を目指している。
それは前述した”世間に対する「建前」と独白としての「本音」を行き来し、自分の心情と自分を取り巻く状況をを説明する”ことを止める事から始まる。

続く。


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