生まれ育ちそして死んでいく。
例外なく生き物としての人間が持った宿命。
それは知的観念的には了解していても、実感の域にはなかなか達しえないものです。
そしてある種のほほんとした場所で生きて来ました、私の場合は。
そののほほんさを生み出していたのは、そうやって生きて来れたのは、どんな関係にあろうと、どんな距離にあろうと、親の存在が大きいだと思います。
生きていく中で例外なく持った宿命を忘れていられる、何か特別な事が起きない限り、死というものを忘れていられる時期があったのだと最近つくづく思います。
それは親が健在であった時間です。
私は親を亡くしてそれが実感として、今はっきりと感じています、親の存在は死という迫りくる波から子を守る防波堤の様なものであったのだと。
今その防波堤は私の眼前から消え去りました。
今私の目の前には死が実感を持って迫っています。
その波が私を飲み込んでいくまでに、私は何が出来るのだろう、何をしなければならないのだろうと私は考えています。
結論は生み出す事と捨てる事を同時進行させねばならないでしょう。
とにかく、私は芝居に没頭する事が大事なのだという、月並みな結論に達したのでした。
ジャンジャン!!
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