今朝のニュースでまたしても親殺しの事件。
またしても。そう、またしてもなのだ。
この衝撃的な事件も、それを聞いた時、真っ先に浮かぶ言葉がそれなのだ。
私の青年期の頃には、小説の中、それも怪奇小説の分野でしか語れなかった事が次々と起こっている。
しかもそれを知った瞬間、またかという言葉が口をついて出てくる現実。私は慄然とする。
なぜこんな事になったのだろう。なぜこんな世の中になったのだろう。
今日の事態は、戦後の日本が無二無三に突き進んで来た豊かさへの道程が問題であった事は否めない。
又、その問題をわかっていながら目を瞑って突き進んできた付が今まさに現実化しているのだ。
誰もが心のどこかで恐れていたしっぺ返しが今まさに行われている。
豊かになる為に路傍に打ち捨てられた精神性。
沢山の死語として葬られた心の言葉達。
正義。我慢。謙譲。純情。尊敬・・・
この現実を目の前にして私は思うのだ。
この現実に演劇は何ができるのだろう。
小なりとはいえ、世の中にもの申そうと活動する劇団芝居屋はどの様に現実と向うべきなのか。
それが問題なのだ。
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