クライマーだった今は亡き父に、幼い頃から山に連れていかれ、
知らないうちに自分自身も山の魅力に取り付かれていきました。
本格的に山に登るようになったのは、私が小学校2年生のとき。
南アルプスの鳳凰三山を縦走しました。
そのときから、1999年の北アルプス前穂高北尾根まで、
父とふたりでほぼ1年に1回のペースで大きな山に登るようになりました。
しかし、この1999年の山行が父とザイルを結んだ最初で最後の山行になりました。
来年の夏は白馬岳から針の木岳縦走、そして冬は八ヶ岳をやろうと約束はしたものの、
その約束は果たされることなく父は45歳という若さで旅立ちました。
最大にして最高のパートナーを失ってしまった私は、
私の心の中で永遠に生き続ける父と一緒に、
これからもずっと山に登り続けようと胸に誓い、
高校でそして大学でめぐり逢った大切なパートナーたちと共に、
今でも山に登っています。
こんな私と山に登ってくれる仲間には本当に本当に感謝です。
これからもずっとずっとよろしくお願いします。
そして、私自身の命ある限り、山には登り続けていきたいと思っています。
知らないうちに自分自身も山の魅力に取り付かれていきました。
本格的に山に登るようになったのは、私が小学校2年生のとき。
南アルプスの鳳凰三山を縦走しました。
そのときから、1999年の北アルプス前穂高北尾根まで、
父とふたりでほぼ1年に1回のペースで大きな山に登るようになりました。
しかし、この1999年の山行が父とザイルを結んだ最初で最後の山行になりました。
来年の夏は白馬岳から針の木岳縦走、そして冬は八ヶ岳をやろうと約束はしたものの、
その約束は果たされることなく父は45歳という若さで旅立ちました。
最大にして最高のパートナーを失ってしまった私は、
私の心の中で永遠に生き続ける父と一緒に、
これからもずっと山に登り続けようと胸に誓い、
高校でそして大学でめぐり逢った大切なパートナーたちと共に、
今でも山に登っています。
こんな私と山に登ってくれる仲間には本当に本当に感謝です。
これからもずっとずっとよろしくお願いします。
そして、私自身の命ある限り、山には登り続けていきたいと思っています。