少なくとも、私が現役で研究していた5年前の日本では、日本の国立公園史の研究はさほど進んでいませんでした。当時唯一と言ってもよかった体系的な本にも、突っ込んで調べていくと正しいとは言い切れないことも多く、だからこそそこに価値を見いだし研究をしていました。おかげで、書いた論文は優秀論文として学内のジャーナルにも掲載され、とても嬉しかった思い出があります。
ところで、「そこに価値を見いだし研究をしていた」と書きましたが、国立公園史研究に何の価値があるのかと問われても、おそらく、世間一般に広く価値あるものではないのは確かで、大部分は自分自身にとっての満足という価値、という側面が強いと思います。
ただ、この先、国立公園という制度が何かの壁にぶち当たり、その未来を真剣に考えていかなければいけなくなった時、その歴史を紐解くことは、その未来を考える一助になる可能性は十分に秘めているとも思っています。
だから、いつかきっと、ほんの少しだけ、世間一般に役立つときが訪れるかもしれません。
ところで、「そこに価値を見いだし研究をしていた」と書きましたが、国立公園史研究に何の価値があるのかと問われても、おそらく、世間一般に広く価値あるものではないのは確かで、大部分は自分自身にとっての満足という価値、という側面が強いと思います。
ただ、この先、国立公園という制度が何かの壁にぶち当たり、その未来を真剣に考えていかなければいけなくなった時、その歴史を紐解くことは、その未来を考える一助になる可能性は十分に秘めているとも思っています。
だから、いつかきっと、ほんの少しだけ、世間一般に役立つときが訪れるかもしれません。
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