醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  365号  白井一道

2017-04-07 14:33:20 | 日記

 芭蕉はどんな時間を生きたのか

句郎 芭蕉は自分の身体を自然の一部だと思っていた。心も自然の一部だと思っていたんじゃないかな。
華女 そうなの。何を言っているのか、ピンとこないわ。
句郎 そうかな。芭蕉は日の出とともに起き、体を動かし、日没とともに眠った。
華女 電気もなければ、時計もない、眼鏡もない時代だったしね。
句郎 そう、時計がなかったからね。
華女 どうやって時間を計ったり、時間を知ることができたのかしら。
句郎 芭蕉が生きた一七世紀後半、徳川時代は五代将軍綱吉の時代は商品・貨幣経済が発展した時代だった。道路が整備され、宿場町が整い、流通の安全が保障された時代だった。
華女 経済が発展した時代だったら、なお一層のより正確な時間を知る必要がでてきたわけよね。
句郎 当時の時間は、夏と冬では時間の長さが違っていたみたいだよ。
華女 時間の長さに違いがあるわけないでしょ。一時間の長さが夏と冬で違うわけがないじゃない。
句郎 近代社会に生きる人間にとっては、夏と冬で時間の長さが違うことはないけれども、江戸時代にあっては、およそ二時間を一刻(いっこく)と言っていたんだ。
華女 夏と冬では一刻の長さが違っていたの。
句郎 そうなんだ。
華女 どうしてなの。
句郎 夏の一刻は日の出から日没までの長さを六等分した長さが一刻だった。夏の日は長いから一刻の長さが長くなった。反対に冬の日の出から日没までの時間は短いから一刻の長さが短くなった。
華女 なるほど、そういうことだったの。ではどのくらい長さがちがったのかしらね。
句郎 夏至と冬至の日で比べてみると四八分ぐらいの違いがあったみたい。
華女 具体的にはどういうことなの。
句郎 夏至の日の昼の一刻の長さが二時間三八分あったのに冬至の日の昼の一刻の長さは一時間五十分しかなかった。
華女 じぁー、夏の夜の一刻の長さは短くなったのね。「短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」。しづの女の気持ちの世界ね。
句郎 そう、心理的にはそうかもね。江戸時代は日の出から日没までの時間を六等分し、そこに十二支を割り振りし、時間を決めていた。
華女 それが『曾良旅日記』にある「巳の下尅」という時間なのね。
句郎 子の刻は午後十一時~午前一時に、丑は午前一時~午前三時というふうにね。
華女 それで「草木も眠る丑三つ時」という言葉がうまれたのね。
句郎 そうなんだ。この時刻の割り振りは同時に方角をも意味していたんだ。家相なんかにも鬼門は艮(丑寅うしとら)(北東)の方角と言うように。
華女 へぇー、驚いた。
句郎 さらに「子」は季節をも意味している。子は北だから冬。午は南だから夏。卯は東だから春。酉は西だから秋。冬の色は黒。春の色は青。夏の色は赤。秋は白。その基本は太陽光線の傾きがすべてを決めていた。
華女 日常生活のすべてが十二支で表現されていたのね。