「江戸の平和」と「ローマの平和」
侘助 江戸時代は二百七十年間も平和が続いた。凄い時代だと思うんだけど。
呑助 「ローマの平和」というのは何年間ぐらい続いたんですかね。
侘助 十八世紀、イギリスの学者エドワード・ギボンが『ローマ帝国衰亡史』の中で五賢帝の時代を「人類史上もっとも幸福な時代」と述べ、その時代を「ローマの平和」と表現してから一般に広まったようなんだ。その時代はおよそ二百年間かな。
呑助 じゃー、江戸時代は「ローマの平和」と言われた時代より長いんですね。
侘助 そういうことになるね。
呑助 じゃー、どうしてそれほど長い間、平和が続いたんでしようかね。
侘助 強大な軍事力を持った国の周辺地域にその国の軍事力に対抗できる軍事力をもった国がなくなるとその地域世界に平和が訪れる。それが「ローマの平和」というものだったと思うんだ。
呑助 なるほど、そういうことですか。
侘助 ローマ帝国の成立が地中海世界の成立と言われているからね。
呑助 地中海世界というのは、ヨーロッパの南側と北アフリカ、西アジアの西側あたりを言うんですかね。
侘助 そう、西の方から言うとイングランド、イベリア半島、アルプス山脈の南側、ドナウ川の南側のバルカン半島、トルコのあるアナトリア半島、パレスチナ、エジプトから北アフリカ、ジブラルタル海峡までかな。
呑助 広大な地域ですね。
侘助 そう、主に五賢帝という有能な皇帝の統治の時代を「ローマの平和」と言うんだ。この時代はローマ市民が異民族を支配する時代だった。
呑助 単に軍事力だけでなく、共和政というのが機能した時代だったんですかね。
侘助 そうなのかもしれない。共和政治がローマ市民間に大きな不満を生まなかったからかもしれない。
呑助 じゃー、江戸時代も徳川家の支配に大きな不満を持つ各地の大名たちがいなかったから平和が続いたと言うことなんでしようかね。
侘助 徳川家の絶対的な軍事力を前にして、その軍事力に対抗できるような軍事力を持つことが各地の大名たちにはできなかったということが真実だとは思うけれども、徳川家に歯向かうことは悪いことだと言う気持ちを各地の大名たちは持ってしまったということがあると思うんだ。
呑助 飼いならされたということですかね。
侘助 まあー、自分に与えられた職分を全うさえしていたら、平和に安全に生きられる状態があったからなんじゃないかと思うんだ。
呑助 我慢できる生活が補償されていたということですかね。
侘助 まぁー、平和が続き、当時の庶民の生活も徐々に少しずつ豊かになっていったということが大きな不満を生まなかったということなんじゃないかと思うんだ。
呑助 そうでしようね。今の時代を考えても我々国民の生活が少しずつでも豊かになっていったら、国民の不満はうまれないでしようからね。
侘助 そうだよ。格差が広がり、国民の生活が徐々に苦しくなると不満が出てくる。