独学で字を覚えた芭蕉
句郎 今から3百年前、江戸時代に生きた芭蕉の人生は今の社会に生きる人々の人生と比べて、喜びと悲しみの落差が大きかったんじゃないかと思うんだ。
華女 具体的に言うとどんなことだったの。
句郎 芭蕉は農民の生まれだった。だから文字など覚える必要もなかったし、覚えろと言われることもなかった。田んぼや畑、山で働くことが子供のころから強制されていた。
華女 勉強しなくて良かったのね。
句郎 勉強などしていたら怒られたかもしれない。
華女 当時の農民の子供は立派な働き手の一人だったのね。
句郎 そうなんだ。芭蕉は13歳の時に父を亡くす。その後、次男であった芭蕉は武家、藤堂藩藤堂家の息、良忠の台所方奉公人として出仕している。一切の給金などはない。着物と食事が与えられる奉公人だった。この武家奉公人になれたことが芭蕉にとっては大きな大きな喜びだった。口減らしができたことを喜んだ。
華女 奉公人というのは、きっとそうなんだと思うわ。私の家にも子供の頃
「大人さん」という人がいたわ。土間に座ってご飯を食べていたのを覚えているわ。
句郎 奉公人だったのかな。
華女 そうなんじゃないの。農業を覚えることができたんだから。
句郎 芭蕉にとって、ご飯が一日二回確実に食べられるということが大きな喜びだった。
華女 家にいては満足にご飯を食べることができなかったのかもしれないわ。
句郎 そうなんだ。だから主君良忠に仕え、文字を覚えることができたときは喜びに震え、世界が広がったことを実感したんじゃないかと思うんだ。
華女 良忠公という方は俳諧を嗜む人だったんでしょ。
句郎 蟬吟という俳号を持ち、京の都の俳人、北村季吟の弟子であった。
華女 北村季吟という人は、源氏物語の注釈書を書いた人よね。
句郎 そうそう、五代将軍徳川綱吉に仕えた歌人であると同時に俳諧を嗜む人であった。芭蕉は蟬吟の使いとして季吟のもとへ通うようになった。
華女 それでまず文字を覚え、歌を覚え、俳諧を知るようになったわけね。
句郎 きっと道々和歌を芭蕉は諳んじ、仮名を覚え、漢字を聞いては一つずつ覚えていったんじゃないかと思うんだ。
華女 知識を得る喜びを私も味わいたいと思うわ。だって、高校生の頃は勉強しないでもいい年齢に早くなりたいと思ったものよ。試験なんかがあって勉強は本当に嫌いだったわ。芭蕉は向学心の強い若者だったのね。
句郎 今の我々にとっては、そんな些細なことに喜びや悲しみがあったのかと思うような日常生活の中に芭蕉は生きていた。
華女 李白や杜甫の漢詩もまたそのころ覚えたのかしらね。
句郎 きっと季吟のところで借りた書を藤堂良忠のもとへ届ける間、寸暇を惜しんで書き写し、覚えたものかもしれない。
華女 ここには何と書いてあるのか分からない。なんとか分かりたい。そんな気持ちを持ち続けた若者だったのかもしれないわね。勉強とは自分でするものなのよね。誰かに強制されてするもでない。