醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  376号  白井一道

2017-04-20 16:20:13 | 日記

 主人持ち プロレタリア文学は

  志賀直哉は小林多喜二宛手紙で次のように書いている。
『三・一五』は一つの事件の色々な人の場合をよく集め、よく書いてあると思ひました。私の気持から云えばプロレタリア運動の意識の出て来る所が気になりました。小説が主人持ちである点好みません。プロレタリア運動にたづきはる人として止むを得ぬ事のやうに思はれますが、作品として不純になるが為めに効果も弱くなると思ひました。大衆を教へると云う事が多少でも目的になってゐる所は芸術にしては弱身になってゐるやうに思へます。
 「小説が主人持ちである点好みません」。こう書かれている手紙を読んだ多喜二はここに志賀直哉の限界を感じると同時に政治的主張が文学に顔を出していると欠点を指摘されたと感じた。多喜二は志賀直哉を敬愛していた。文学の師と仰いでいた。志賀直哉の文学自身が政治的主張を持っていると多喜二は考えている。ただその政治的主張が文学に顔を出していない。そこに志賀直哉の文学が芸術になっていると考えていた。「三・一五」は文学になっていない。多喜二はそう思った。
 一九二八年二月二十日、第十六回衆議院選挙が実施された。この選挙が日本で初めて行われた普通選挙である。二十五歳以上のすべて男子が参政権をもった。この普通選挙で無産政党の候補者八名が当選した。こういうことがあることを予想した政府は普通選挙法を成立させると同時に治安維持法を成立させていた。無産政党の八名が当選したことに驚いた政府は治安維持法を発動させ、一九二八年三月十五日、日本共産党・労農党関係者およそ一六〇〇名を治安維持法違反容疑で逮捕・拷問した。この事件が三・一五事件である。北海道小樽でこの事件に遭遇した小林多喜二はこの弾圧事件で逮捕された小樽の関係者を取材し、書いた小説が「一九二八年三月十五日」である。この小説を多喜二は「戦旗」に発表した。プロレタリア文学の中央文芸誌に掲載された多喜二最初の小説である。多喜二はこの小説を自分の処女作・デビュー作と言っている。  
 蔵原惟人はこの作品を高く評価した。又一方この作品の批評を多喜二は志賀直哉にお願いしたのだ。その返事が上記のものである。同じ手紙の中で志賀直哉は「蟹工船」について、政治的主張、大衆教化の説教が顔を出していないと褒めている。人間が表現されている。こう述べている。
京都太秦、広隆寺に行くと有名な半跏思惟像「弥勒菩薩」がある。この仏像は仏教の教えを表現した彫刻作品である。仏教普及のためのまさに主人持ちの美術作品である。にもかかわらず当時の日本社会の政治的主張がこの半跏思惟像「弥勒菩薩」には顔を出していない。それゆえだろう。この仏像は古代日本の芸術・美術を代表する作品になっているのだ。きっと仏教思想の中に人間社会普遍の真理があるからなのだろう。
 あらゆる芸術作品はすべて政治的主張を表現するために作られてきたし、これからも創られていくに違いない。その政治的主張が芸術作品に顔を出したなら、その芸術作品は芸術作品としての価値を失う。問題はその政治的主張に問題があるのだ。その政治的主張が間違ったものであるなら文化遺産にはならない。