醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  383号  白井一道

2017-04-28 12:17:29 | 日記

 芭蕉は日本のシェイクスピア

句郎 シェイクスピアの文学作品がイギリスのルネサンスだとしたら、芭蕉の文学作品は日本のルネサンスといえるんじゃないかなぁー。
呑助 そもそもルネサンスとは何なんですか。
侘助 ドイツの学者、トレルチは、著書『ルネサンスと宗教改革』という著書の中で、「人間の関心の方向を変えた」出来事がルネサンスだと言っている。
呑助 「人間の関心の方向を変えた」とは、どこからどこへ人間の関心をかえたんですか。
侘助 中世社会に生きていた人々は天上の世界、神の世界に関心を向けていた。しかしルネサンスは人々の関心をこの地上の世界に向けさせたということかな。
呑助 あぁー、それでルネサンスは近代世界の始まりだといわれているんですね。
侘助 そう、近代的なものの見方、考え方の始まりがルネサンスということなのかな。
呑助 芭蕉の文学作品のどこに近代的なものの見方や考え方があるんですか。
侘助 芭蕉の教えを聞いて弟子だった土芳がまとめて著した著作『三冊子』の中に次のような言葉があるんだ。「高くこころをさとりて俗に帰るべし」とね。この「俗に帰るべし」という言葉はトレルチと全く同じことを述べているのではないかと思うんだ。
呑助 「俗」とは世俗、この世ということですか。
侘助 そう、そう。農民や町人の日常生活の中に人間の真実があるという主張だと思うんだ。
呑助 貴族や僧侶の高貴で神聖な生活の中ではなく、庶民の生活の中に人間の真実を見たということですか。
侘助 そう、だから今までは上を向いていたのを水平方向に視線を変えたということだと思う。
呑助 芭蕉は西行が歌に詠んだ世界にあこがれていたんですよね。
侘助 そうらしい。『笈の小文』という紀行文の中で芭蕉は「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」と述べている。西行が和歌で表現した人間も、宗祇が連歌で表現した人間も、利休が茶で表現した人間の真実と私が俳諧で追求し、表現しようとしている人間の真実は同じものであると、芭蕉は言っている。
呑助 高貴な人々の生活や心にだけ、美しい人間の真実があるのではなく、額に汗して働く、農民や町人の生活や心の中にも美しい真実があるということですか。
侘助 シェイクスピアが生きた十六世紀後半から十七世紀前半のイギリス社会は身分制社会であった。農民や町人など下層階級の人々の生活や心の中に美しい人間の真実があるとは誰も思わなかった。同じように江戸時代もまた身分制社会、人を身分によって差別することが当然とされていた社会であった。そのような中にあって、下層社会に生きる人々の生活や心の世界に人間の真実を発見しようとしたのがシェイクスピアであり、芭蕉だったんじゃないかと思うんだ。
呑助 へえー、芭蕉という人は偉い人だったんですね。
侘助 なにしろ、日本のシェイクスピに匹敵する人ですからね。